ノットイコール②
春になれば桜が咲く。
桜が咲けば寒さも和らいで、抱き合う機会は徐々に減っていく。だから抱き合う時は、一回一回を噛み締めるようにして彼女を感じるようにしている。
髪の匂いだとか、柔らかさだとか、体温だとか。
気持ち悪いなんて自分でもわかっているけれど、それでも全身で彼女を感じたくて、離したくなくて、誰にも渡したくない。
雪のように想いが心に積もって、募って、胸が張り裂けそうになる。だけど穂波に好きって伝えることはできない。
恋人とはどうなの。
恋人ってどんな人。
いつから好きなの。
もうキスはしたの。
聞きたいことも色々で、でも聞くことなんてできないから、私は今日もただの友達の顔をして彼女と抱き合う。
告白を聞いてしまったあの日から、穂波は変わった。
どこか吹っ切れたというか、前よりももっと堂々とするようになって、可愛さにも磨きがかかった。それはやっぱり、恋人ができたから、なんだろう。
「花冷えだねぇ」
「……うん」
彼女の背中を私の方に引き寄せていた腕を、そっと離す。
ふわりと香るシャンプーの匂いに、香水の匂いが混ざる。
彼女の匂いは変わっていない。
夏に初めて嗅いだ時と全く変わっていないから、それがなんだか痛いような気がする。
心も変わらないままでいてよ、なんて。
そんなの私のわがままだ。
「一日に桜が満開になってるのって、珍しいよね」
「うん」
「雪羽、愛してるよー」
「……うん」
「雪羽?」
じっと。
彼女の瞳が、私を映している。
黒目がちな大きな瞳は相変わらず綺麗で、私はそれを見ていられなくなり、彼女から離れた。
「もー。どうしたの? せっかくのお花見なのに、ぼーっとしてるじゃん」
穂波は苦笑しながら言う。
最近の彼女は派手な色の服を好むようになった。今日も赤のコートなんて着て、メイクも少し前より濃くなっている。
今の穂波は、私の知っている穂波だけど、私の知っている穂波じゃない。
不純物が混ざっている気がする。それは彼女の恋人の好みなのかもしれないけれど、私は前の彼女の方が好きだった。
初めて彼女がこういう色の服を着てきた時、私は今のままでいいと言った。
言ったけれど、やっぱり。
彼女はあのままではいてくれなかった。
私の好む服を着てきてよ、なんて言えるわけないけれど。
……だけど。
「雪羽、こっち見て」
「うん」
「花吹雪ー!」
穂波は地面に落ちている桜の花びらを集めて、宙に放り投げてみせた。
春の風に流されて私の方に飛んでくる花びらたちは、確かに吹雪と称せるような見た目をしている。
思わず目を閉じて、再び目を開ける頃には。
穂波が放った花吹雪は地面と同化して、消えて無くなっていた。
「あはは、似合う似合う」
かしゃ、とシャッター音が聞こえる。
みれば穂波が私の姿を写真に撮っていた。
楽しそうに笑うの彼女の顔はいつもと変わらず……いや、いつも以上に可愛くて、綺麗で、私のものになってくれないとわかっているのにときめいてしまう。
穂波は世界一可愛い。最近は強くそう思う。
私だけが独り占めできるような魅力じゃないなんてことくらい、わかっているのだ。穂波は自分のことを普通と言うけれど、全然普通じゃない。
可愛いって言葉を、百回言ったって足りない。
だけど私には誰よりも可愛いなんて言う勇気はなくて、だから人に取られてしまったのかもしれないと思う。
もっと、可愛いと言えていたら。
大好きって、伝えられていたら。
穂波は誰かの恋人になんてならなかったのかもしれない。
「ほら、見て。可愛いよ、雪羽」
「……」
穂波はスマホの画面を見せてくる。そこには髪に桜の花びらをつけて、間抜けな顔をした私の姿が映し出されていた。
全然可愛くない。
なのに穂波が褒めてくれるから、嬉しくなる。
穂波はいつも私のことを可愛いと言ってくれる。何度穂波の方が可愛いと言おうと思っただろう。
穂波は宇宙一可愛くて、誰より目を引く存在で、大好きよりもっともっと好きだ。
今更言ったって、しょうがない。
というか、言える勇気なんてあるはずがない。
「穂波」
「ん? なーに?」
「……やっぱり、なんでもない」
「何それ。気になるなぁ」
「なんか、テンション高くない?」
「高いよ。雪羽と一緒にお花見できてるから。私は桜を見るより雪羽を見てる方が好きだけど」
今日の穂波は、どこかおかしい。
すっかり言わなくなっていた愛してるとか好きという言葉を平然と口にしていて、それを聞く度に私の心は揺れ動く。
何を言えばいいんだろう。
何を言っていいんだろう。
わからなくて、ただ彼女を見つめた。
「なんて、エイプリルフールだよ、エイプリルフール。雪羽は可愛いけど、流石に桜を見る方が楽しさは上かなー」
そうか、と納得する。
エイプリルフールだから、いつもは言わないような言葉も口にしているのだ。
単純な話だった。
待てよ、と思う。今日がエイプリルフールなら、私もいつもは言えないようなことも言えるのではないだろうか。
それこそ愛してる、とか。
私のキャラじゃないなんて、今更だ。愛してるゲームが受け入れられたのなら、きっと大丈夫だ。
確かエイプリルフールは午前だけだったと思い、スマホを見る。
正午まで、あと三十分。
「お花見の準備、しよっか」
「……そうだね」
私たちは桜が綺麗だと有名な川に花見に来ている。
草の上にレジャーシートを敷いて、コンビニで買ってきたお菓子を並べる。
団子だとか、お饅頭だとか。普段の穂波は割と洋菓子を好んでいる気がするけれど、今日は花見だということで和菓子が多い。
いつものようにくだらない話をしながら、私たちはお菓子を食べていく。
スマホを見ると、もうあと数分でエイプリルフールが終わる時間だった。私は十二時にアラームをセットして、スマホをしまった。
「大学生になっても、こうやって二人でお花見できるかなぁ」
花見をお花見というところが、ちょっと可愛いと思う。
「どうだろうね。環境が変わったら、難しいと思う」
「……そうかな」
「うん。私にも穂波にも新しい友達ができて、違う環境で生きるようになって。そうなったらきっと、自然と……」
私は言葉を止めた。
穂波が寂しげな顔で私を見ていたからだ。
私のものになってくれないのに。
愛してるなんて言っていたくせに、恋人を作ったのは穂波なのに。
そんなことを考えてしまう。それが八つ当たりだってことくらい、わかっている。穂波は私のことを親友だと思ってくれている。
それで十分なはずなのに。
恋人になるという道が閉ざされても、一番の親友で満足するべきなのだ。そうすべきだってわかっていても、無理なものは無理なのが人間なんだけど。
「……穂波はどうして私のこと、親友だって言ってくれるの?」
「なんでって……うーん。雪羽が私のこと見つけてくれる特別な人だって思ったから。それで好きになって、関わるうちに気が合うなーってなって。それで、気づけば一番になってた」
まるで、告白されているみたいだと錯覚する。
あの日聞いた穂波の声はもっと余裕がなくて、もっと感情がこもっていたと思う。
今だって感情はこもっているけれど、余裕はある様子だ。
余裕、無くしてよ。私の前でも。
お願いだから。
「私も穂波のこと、好きだよ。最初は私の感情に気づいてくれて、輪に入れてくれたから。でもいつからかそれだけじゃなくなって、誰より大事になってた」
息を吐いて、穂波の頬に手を添える。
穂波の体がこわばった。
ああ、駄目だ。
感情がどうにも暴走している。こんなのエイプリルフールで誤魔化せる言葉じゃない。だけど穂波が私のことを好きだって言ってくれるから。
あまりにもいつもと変わらないから。
だからそれを崩したくなって、全てをエイプリルフールのせいにして、自分の心中を吐露してしまいたくて。
勇気が足りない私は、理由がないと好きって言うこともできない。
ちゃんと人に告白していた穂波とは比べ物にならないほど、私は弱い。
「だけど、穂波のことを親友って思ったこと、本当は一回もない」
「……ぇ」
穂波は掠れた声を出した。
目が見開かれて、私の姿が瞳に浮かぶ。
傷ついている、のだろうか。
その反応が私への感情を物語っている気がして、嬉しいような気がする。そう思ってしまう私は、きっと最低だ。
「自分を穂波の親友だと思っちゃったら、もうその先に進めない。私はずっと、穂波の恋人になりたかった。……だから」
穂波の瞳に近づく。
キスしてしまっても、エイプリルフールの冗談ってことに……なるわけない。
わかっている。それでも自分の感情を伝えてしまったせいか、止まれそうになかった。目を閉じてくれない穂波の顔が近づいてくる。
恋人同士だったら、目を瞑ってくれたのかな。
私はそっと目を閉じた。
その瞬間、けたたましい音が響く。
……時間切れだ。
「え、なんの音?」
「エイプリルフール終了の音」
「……今までの全部、嘘?」
「うん」
「……。も、もー! エイプリルフールの嘘は笑えるやつじゃないといけないんだよ! 雪羽のは悪質!」
「穂波のも似たようなものだと思うけど」
「違うよ。ぜんっぜん違う! 雪羽、冗談のセンスない!」
「……そうかもね」
時間切れになってよかった。
安心する気持ちと、がっかりする気持ち。両方が同じくらい心にあって、私はそっと彼女から顔を離した。
もしあのままキスしていたら、何か変わっていただろうか。
穂波なら許してくれそうな気もするけれど、好き同士になれないままキスをしたって、きっとなんの意味もないんだろう。
好きと好きがぶつからないキスに意味なんてない。
わかっている。
わかっている、けど。
やっぱり、それでもキスしたかった。たとえそれで、穂波に嫌われても。
だって私にはもう、それしかないのだ。
「ごめん」
「や、謝んなくてもいいけどさー。……悪いと思ってるなら、あーんして」
「……ん、あーん」
「はい、どーぞ」
穂波は私の口に饅頭を運んでくる。
齧ると、当然甘かった。
甘いのに、痛かった。
穂波は愛おしむように目を細めて、私が咀嚼する様をじっと見つめてくる。見ないでなんて言えなくて、私は彼女と静かに目を合わせた。
いつだって彼女は変わらない。だから私も変わらない自分を見せるように、微かに口角を上げた。
結局私たちは饅頭を食べさせあって、またくだらない会話に興じた。
それでも私の気が晴れることは、決してなかった。
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