ノットイコール①
冬が永遠に終わらなければいいのに。
最近の私はずっとそう思っている。
学校の校舎。一階の、階段の下。誰もいないその空間で、私たちは互いに暖を取り合っていた。
二人で海に出かけたあの日以来、こうして寒い朝に抱き合うのが習慣になっていた。誰もいないタイミングを見計らって、朝から階段の下なんかで抱擁し合っている私たちは、きっとおかしいのだと思う。
だけど穂波と抱き合えるなら、変でもいい。
穂波の中で、私が今どんなキャラクターなのかはわからない。ただ、私からハグすることに苦言を呈されることはないし、手を繋ぐことだって自然に受け入れてくれているのは確かだ。
だからいい。
以前だったら絶対こんなことはしていなかったけれど、徐々にじわじわと、私は穂波に触れたいという欲を隠せなくなって行っていた。
受け入れてくれる穂波も悪い。
そもそも先にスキンシップをとってきたのは穂波なんだから、全部穂波が悪い。
「んふふー。あったかいねー」
穂波は私をぎゅっと抱きしめながら言う。
最近の穂波は抱きしめ方に遠慮がなくなってきた。
いいって言ってないのに頭まで撫でてくるし、腰に腕を回して密着する面を増やしているし。
別に、嫌じゃないけれど。
こっちまで髪を撫でたりするのは恥ずかしいから、私はそっと彼女の背中に腕を回すだけにとどめている。時々つい、撫でてしまうこともあるが。
「……うん」
「雪羽って、やっぱ体温高い気がする。だから寒いのが得意なのかな?」
「コート着てたら体温高くなるのは普通じゃない?」
「そうかな? 私は結構冷たいよ。ほら」
「ひゃっ」
穂波の手が首筋に触れる。私は体を跳ねさせた。
「ふふ。ひゃっ、だって。可愛いね」
「……もう終わり」
私は穂波の肩を押した。
「えー。まだまだ寒いのにー」
「だめ。もう予鈴鳴るだろうし、ここまで。……冷たい手で触るの、今後は禁止ね」
「はーい」
名残惜しさを感じながらも、私は穂波から離れて歩き出した。
人混みでは手を繋ぐのが自然になっているけれど、今は繋いでいない。
手を繋ぐくらい普通に友達同士でやることだから、いいんだけど。
しかし、文化祭の時と違って、学校はそこまで人がいっぱいってわけではないから、手を繋ぎにいくことはできない。
理由なんてつけずに繋ぎにいけたら、本当はそれが一番だ。
それが無理だからあれこれ理由をつけているんだけど。
寒いからって言えば、繋げるかな。
穂波の手は冷たいから、理由としては厳しいかもしれない。体はあったかいのに。
……はぁ。
「あ、そうだ。雪羽、今日は先に帰ってて」
「なんで?」
「ちょっと友達と用事があるから。ごめんね」
最近は毎日のように穂波と一緒に帰っているから、少しもやもやする。私にも穂波にも友達付き合いがあるから二人で帰らない日もそれなりにあるけれど、でも。
何かの間違いで、穂波の友達が私だけになったりしないだろうか。
私だけに笑いかけて、私の名前だけを呼んでくれる穂波。
想像するとドキドキするけれど、同時にそんな穂波は穂波じゃないとも思う。
それでも嫉妬心が消えるわけではなかった。私はいつだって、穂波の友達に嫉妬している。穂波と話しているだけでも、彼女に笑いかけられるだけでも、羨ましいと思ってしまう。ずるいと思ってしまう。
手を繋いだり抱き合ったりするようになっても、それは変わらなかった。
いっそ、キスもできたりしないだろうか。
何か理由をつけて、穂波とキスできたら。
それは流石に、無理だろうけれど。
「わかった。……じゃあ、ここで」
私は自分のクラスの前でそう言った。
穂波は少し寂しそうな表情を浮かべてから、笑った。
「うん。じゃあ……また」
「またね」
小さく手を振ると、振り返される。
それだけでちょっと幸せになって、でもすぐに心が重くなる。
今日はもう、穂波と話せる機会がないかもしれない。
好きなんだから、自分からももっと穂波のところに行けばいいのにって、思うけど。
そのくらいの勇気がないと、告白なんてできっこないのに。
私は小さくため息をついた。
結局穂波と話せないまま放課後になった。
私はしばらくの間、今日は穂波と一緒に帰れないことを忘れて彼女を待ってしまっていた。
今日は一人で帰らなければならないと思い出した私は、のろのろと立ち上がって外に出た。
穂波と手を繋いでいないと、寒さがいつもより強く感じられる。
私は白い息を吐き出して、校門に向かった。
その途中で、体育館が目に入る。
穂波の気配がした。
体育館の中を覗いてみるけれど、穂波の姿はない。体育館裏の方から穂波の気配を強く感じて、私はゆっくりと歩き始めた。
放課後に体育館裏で何をしているんだろう。
心臓が妙にうるさかった。嫌な予感がするけれど、足はどうにも止まってくれそうにない。
私は穂波の気配が一番強い場所の手前で止まった。
「ずっと前からあなたのことが好きでした! 私と付き合ってください!」
声が、した。
聞き慣れた声。
でも、知らない声。
必死で、強い感情がこもっていて、今にも弾けてしまいそうな声だ。
それは、穂波の声だった。
私が一度も聞いたことのない、告白する時に彼女が出す声。
息が止まる。
気づけば私は走り出していた。
道中の記憶がないけれど、いつの間にか私は見慣れた駅のホームに立っていて、息はひどく乱れていた。
白い息が無数に吐き出され、消え、また吐き出される。
さっきよりもずっと心臓がどくどくと音を鳴らしていて、右手で強く胸を握っても静かになる気配がない。
「……うるさい」
私はベンチに腰をかけて、バッグを抱きしめた。
胸が痛い。走ってきたせいか、喉もちくちく痛くて、口内はひどく乾いていた。
電車の音がひどくうるさく感じられて、耳を塞ぐ。だけど耳を塞ぐとさっきの穂波の声が延々と響くから、仕方なく電車の音に耳を傾けた。
あれは間違いなく穂波の声だった。
私が穂波と誰かの声を聞き間違えるなんてことはありえない。気配を感じ損ねることもない。
今はそれが恨めしい。
「嘘つき」
好きな人はいないって、言ったのに。
誰のことも好きになれないなんて言っていたのに。
全部嘘だったんだ。
本当は好きな人がいて、告白までしているじゃないか。
あの後、どうなったんだろう。告白された人はそれを受け入れて、恋人になったんだろうか。されたのは誰? 男? 女?
男だったら嫌だけど、女だったらもっと嫌だ。
どうせ女を選ぶなら、私を選んでよって思ってしまう。
相手の顔くらい、確認しておけばよかった。
だけど、見なくて正解だったかもしれない。その人がもし知り合いだったら、今後うまく付き合う自信がないから。
そんなのどうでもいい。
嫌だ。
穂波が私以外の人と付き合うなんて嫌だ。
穂波は私のものなのに。そうじゃないと、駄目なのに。
……でも。
勇気が出ないとか言って、彼女にずっと告白できなかった私が悪い。言い訳していないで告白していれば、もしかしたら穂波と恋人になれたかもしれないのに。
そんなの知らない。
最近は、穂波の一番仲がいい友達は私だとちゃんと思えるようになった。だけど、一番仲がいい友達というのが、一番好きな人とは限らなくて。
「穂波……」
穂波に会いたい。彼女の恋人の名前を聞きたい。どんな思いなのか知りたい。
だけど、会いたくない。
わからない。地面が回っているみたいに頭がぐるぐるしていて、涙が出そうだった。
しばらく私はうずくまって過ごしたけれど、胸に渦巻いた気持ち悪さが消えることはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます