好きより、もっと①
今日の穂波はちょっと変な気がする。
さっきから楽しそうではあるのだが、どこか元気がないというか、いつもと違うというか。
具体的にどこが違うのかは定かでないけれど、とにかくどこかおかしい。
やっぱり私が待たせてしまったから、怒っているんだろうか。
穂波はそんなことで怒るほど器が小さい人じゃないと思うが。
「ぜんっぜん当たんない! 何これ、バグってる?」
「現実にバグはないよ、穂波」
「だってだって、全然まっすぐ飛ばないし!」
……怒るかもしれない。今の穂波はどうにも子供っぽい。いつもはもうちょっと大人っぽいと思うけれど。
いや、どうだろう。
私たちは一年生の教室に来て、射的をやっていた。割り箸で作られたゴム鉄砲はあまり出来が良くないのか、まっすぐは飛ばない様子だった。
的にはそれぞれ点数が書いてあって、その点数に応じてお菓子をもらえる仕組みらしいけれど、穂波は今のところ一回も当てられていない。
不器用というか、なんというか。
私は割とすぐにゴム鉄砲の癖を把握して、いくつか的にゴムを当てていた。
「うえー。己の力不足を感じる……」
「意外と不器用なんだね、穂波って」
「こういうのもそれなりにできるのが普通人のいいところなはずなのにー」
「何、普通人って」
結局穂波は一度も的に当てることができず、残念賞として十円の駄菓子をもらっていた。
チョコの包装は綺麗に開けようとするのに、器用ではないんだ。
少しそう思ったけれど、それとこれとは話が別、なのかもしれない。
廊下に出ると、穂波はすぐに駄菓子の袋を破いてもそもそ食べ始めた。
「うぅ、敗北の味がする」
「そこまで? ……私のお菓子、ちょっと食べる?」
「勝者の情けは惨めになるので」
「情けって。もう、あーんして」
「む……」
私はチョコレート菓子の個包装を開けて、彼女に差し出した。
彼女は少し迷った様子を見せてから、それを口に入れた。
この前ポップコーンを食べさせてもらってから、私はあーんすることに抵抗がなくなった。
あーんして、あーんされて。そういう相互の食べさせ合いを一度してしまえば、意外と抵抗なくできるようになるものらしい。
しかし、私は食べさせてもらうより、食べさせる方が好きらしい。
私の手から渡ったものが、穂波の口に入る。それが妙に嬉しいのだ。それに、合法的に彼女の唇に触れられるのもまた、嬉しい。
私は前よりも強くなった。
その柔らかな唇に触れても感情が暴走することはない。
ちょっとやそっとのふれあいでは、うっかり好きっていいそうになることもない。
さっきは久しぶりに好きって言われたせいでつい口を滑らせてしまったけれど。あれは私の全力の1%にも満たない好きだったから、ノーカウントだ。
穂波も特に気にしていなかったし。
気にしてよって、少し思うけれど。
しかし、あの時向けてくれた笑顔は何よりも可愛かったから、いいかってなる。
「勝者の情けの味がする」
「美味しくないの?」
「雪羽が食べさせてくれたから美味しい」
「……」
穂波は私を一番と言ってくれた。
言ってくれたけれど、誰にでも言っているんじゃないのという思いは拭えない。
名前も知らないクラスメイトに飴でももらって「〇〇が食べさせてくれたから美味しい」なんて言っていてもおかしくないと思う。
勝手に想像して、勝手に嫉妬してしまう。
もっともっと、彼女の特別になりたい。
雪羽だけだって、また言ってほしい。
雪羽だけが好き。雪羽だけを愛してる。
そんな言葉が欲しくなって、胸がチリチリする。
「穂波。今日、楽しくない?」
「うん? なんで? 楽しいよ」
「本当に?」
「嘘つかないよ。文化祭、大好きだしね。すごく特別な感じで、ワクワクして。皆が一丸になって頑張るなんて、あんまりないし」
私は文化祭をそんなにいいものだとは思えない。
やるからには頑張るのは当然だ。しかし、大人数で一つのことをしたからといって、それで心が通じ合うわけでもない。
本当の心の繋がりというものはむしろ、日常でこそ生まれるものだと思う。私と穂波のように、当たり前の日常を過ごす中で。
「穂波って、結構陽の人だよね」
「陽の人って……」
「明るいってこと。嫌いじゃないけど、文化祭ってそんなにいい?」
「私より、雪羽の方が楽しそうじゃないね。……しょうがない。今日は私が、文化祭の楽しみ方を伝授してあげる!」
「ちょっと、穂波?」
「ほら、行こ!」
穂波は私の手を引いて歩き出した。
その顔には、いつもと変わらない眩しい笑みが浮かんでいた。
私は何度こうして彼女に手を引かれただろう。ずっとずれた世界で、陽の当たらないところにいた私を陽の当たる場所に連れ出してくれたのは穂波だ。
ふざけたり、簡単に好きって言ったり、ちょっと落ち込んでいたり。彼女は無数の顔を私に見せてくれる。
表情は私の百倍はころころ変わって、その度に私は一喜一憂している気がする。穂波が笑っていたら嬉しくて、元気がなかったら悲しくて。
穂波の表情が、私の一日をいつも彩ってくれている。
全ての判断基準が穂波に塗り替えられて、彼女しか目に入らなくなっていく。
だけど、それでいいと思う。
だって、好きなんだ。
他の誰にも負けないくらいに。穂波との時間を奪っていく他の友達になんて、絶対負けない。
だから私だけを見て。
私だけは、穂波のことをちゃんと見つけられるから。
私は穂波に連れ回されて、様々なクラスを回った。
トロッコに乗せられたり、お化け屋敷を見たり、迷路を歩いたり。
どれも学生クオリティだからそこまで楽しいってほどではなかったけれど、穂波がいつも以上ににこにこ笑っていたからよかったと思う。
気づけばさっきまでの元気のなさがどこかに消えていた。
穂波は繋いだ手をぶんぶん振りながら、子供のように笑って歩いている。
可愛いなぁ、と思う。
顔で好きになったわけじゃないけれど、こうして見ると穂波はこの世で一番可愛いと思う。誰よりも、私の目を引く存在だ。
「どう? 今日は楽しかった?」
「まあ、それなりに」
「それなりかー。私もまだまだだなぁ。いつか、雪羽が心の底から楽しかったって言えるくらい楽しませたいなー」
穂波と一緒にいるときはいつだってドキドキして、楽しい。
退屈な場所でも、あまり好きじゃない文化祭でも、楽しいと思う。
別に今日だって、文化祭の出し物はそんなに楽しくなかった。けれど、穂波の笑顔を見るだけで楽しいし、嬉しい。
そんなこと、言えるわけないんだけど。
……いや。
「ねえ——」
「雪羽」
気持ちを伝えようとしたら、先に彼女が私の名前を呼んできた。
思わず立ち止まると、彼女も止まった。
自転車置き場のすぐ近く。私たちがいるこの場所には、他の生徒の姿は見えない。今だけはこの騒がしい学校の中で、私と穂波二人きりだ。
「やっぱり私、雪羽が大好きだよ。私のことちゃんと見つけてくれて、わかってくれて。それってやっぱり、雪羽だけだから」
大好き。
私だけ。
彼女は私の心を見透かしたかのように、私の欲しかった言葉をくれた。
心臓が跳ねて、熱くなって、ドクンドクンと騒がしくなり始める。彼女の大好きという言葉には魔力がある。聞いているだけで踊り出しそうなくらい喜びの感情が溢れて、飛び跳ねた心が行き場を失ってしいまいそうになる。
好きとか愛してるとか、日常的に言っていた頃は。彼女の言葉に、ここまでの力はなかったように思う。
しかし回数が減ったからこそ、破壊力だとかそういうものも増している。
結果私は完全にノックアウトされ、言葉を失っていた。
「でも多分、それだけじゃなくて。雪羽がもし私を見つけてくれてなくても、きっといい友達でいられたと思う」
穂波は微笑んで言った。
「だから雪羽にはもっと楽しんでほしい。楽しませたい。一緒にいられるうちは」
「穂波。……私、穂波といるときは、いつも楽しいよ。嘘じゃない」
「そうなの?」
「うん。ほんとは、それなりよりももっと、楽しい、と思う」
「自分の気持ちなのにそこは曖昧なんだ」
「……まあ、うん」
穂波と一緒にいるときは本当に、心臓が破裂しそうなくらい楽しい。
流石にそこまでは言えないけれど、私は決して楽しくないわけじゃないと伝えたかった。
私には素直になれる時と、そうでない時がある。
彼女に向ける恋愛感情は然るべき時まで悟られないようにしないといけないから、全部素直に話しちゃ駄目なのだ。
それでもやはり、伝えたい思いもある。
だからバランスを取るのがかなり難しいのだ。
「そっか。なら、よかった。じゃあこれからももっと、一緒に楽しめるといいね」
「……そうだね」
心臓がうるさかった。
どうしようもない。
どうにもならない。
この感情をずっと彼女に伝えずにいるなんて、最初から無理だったのだ。
高校を卒業するまでには、ちゃんと好きと伝えよう。いや、好きって言葉じゃ全然足りないから、もっといい言葉を探そう。
たとえそれが、穂波に受け入れられないとしても。
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