表面張力は、まだ①

 浮かれているのは、自分でもわかる。

 だって、久しぶりに穂波に会ったのだ。学校があるときは毎日会えていたけれど、夏休みが始まってからのこの一週間は穂波の顔を見られていなかった。


 だから彼女に誘われた時は嬉しかった。

 私は受動的なところがある。


 穂波を街で見つけたときは迷わず声をかけられるのに、遊びに誘うのには勇気がいる。元々私は人を誘うタイプではないのだ。


 穂波の積極性に甘えて、彼女から誘ってくれるように仕向けている。それはどうなのだろうと、自分でも思うけれど。


「わー。見て見て見て。街がミニチュアみたい」


 穂波はいつもよりテンションが高い。

 化粧だっていつもより念入りにしている気がするし、格好も普段より可愛い……気がする。


 そもそも穂波はいつも可愛いのだから、誤差かもしれないけれど。


「……こういうとこって、友達と二人で来るものなのかな」

「わかんない。でも、楽しいからいいんじゃない? ほら、雪羽も見ないと損だよ」


 私たちは今、二人で観覧車に乗っている。

 穂波は街を見下ろして子供みたいにはしゃいでいるけれど、私はそんなに楽しいとは思えなかった。


 上から見ても、下から見ても、街は街だ。

 角度が違うだけで、その本質は変わらない。


 けれど彼女が楽しそうにしているから、外を眺めてみる。

 やはり、穂波を見ている方がよっぽど楽しい。


「穂波はこういうところ、よく来るの?」

「んー。観覧車に友達と乗るは初めてかな。皆ジェットコースターとか派手めなやつが好きだから、静かな乗り物には乗らないんだよね」

「そっか」


 皆って、誰なんだろう。私の知らない友達と遊園地に来てはしゃいでいる穂波。あまり、想像したくない。


 無理だってわかっているのに、私だけを見てほしいと。

 どうしても思ってしまう。重い。気持ち悪い。それでも穂波を私だけのものにしたいのだから、私は本当にどうしようもない。


 今日は正直、浮かれすぎて自分でもわけがわからなくなっている。


 いきなり匂いを嗅ぎ出すとか意味不明だし、穂波の全部が可愛いとか口を滑らせたり。挙句の果てには穂波が私の一番好きな人だなんて言いそうになってしまった。


 いつも通りにしようとしても、うまくいかない。

 ぶれている。私の心の主軸というか、そういうものが。


 穂波がいつもの二倍くらい笑顔を浮かべるから、私はもっと主軸を見失っていく。抑えたはずの感情が溢れて、漏れ出していく。


 好きの一言を口にした瞬間、この関係は終わる。

 わかっているのに、言ってしまえなんて囁いてくる自分もいて。

 もう本当に、なんなんだ。


「雪羽、あんまり楽しくない?」


 いつの間にか、穂波が隣に来ていた。

 心臓に悪い。

 私は顔を背けた。


「こういうのって、楽しいっていうか静かに見るものじゃないの」

「……そうかも」


 穂波は私の隣に座った。

 呼吸の音が聞こえる。

 眠っている時とは違う、規則正しくはない呼吸。

 彼女の指先が私の手に触れた。


 その手を強く握ってしまいたい衝動を抑える。人混みでは手を繋ごうなんて提案をして、それが受け入れられた今日の私は、少しおかしくなっている。


 指先だけじゃなくて、彼女の手を全部感じたい。


 そう思ったって、今この場で私から手を繋ぎにいくことなんて、できるわけないのに。


「雪羽ってさ。どこか好きな場所とか、あるの?」

「何、急に」

「だって、あんまり楽しそうじゃないからさ。夏休みのうちに、雪羽が好きなところ行ってみようよ」


 微かに触れた指先に、全神経が集中しているような気がする。

 今日は感情を抑えるのに必死だったから、彼女にはつまらなそうに見えたのかもしれない。


 本当は、穂波と一緒にいられるだけで楽しいし嬉しい。

 二人でいられるだけで心が舞い上がって、一生こうしていられればいいのにって気持ちになる。


 しかし、そんなこと言うのは私のキャラじゃないし、気持ち悪いって思われたら嫌だ。穂波は私のことを好きと言ってくれるし、いつだって好意を見せてくれている。


 それでも。

 心に渦巻いているこの気持ちを彼女に吐露してしまったら。


 引かれるかもしれない。一年で近づいた距離なんて一瞬で離れて、穂波の姿は見えなくなってしまうかもしれない。


 夏休み前、じゃんけんで負け続けたあの日のように。


 穂波の姿が見えなくなるのは嫌だ。私の目にも、穂波の目にも、互いの姿をずっと映していたいと思う。


「特にないよ。どこでもいい。別に、遊びに行くのが嫌いなわけじゃないから」

「えー。じゃあもっと楽しそうにしてよー。もっともっと笑ってみたりとか」

「穂波」


 見ちゃ駄目だとわかっていた。

 けれど私は、自然と穂波に顔を向けていた。


 薄く化粧された顔が目に入ってくる。飛び抜けて可愛いってわけではない、と思う。でも、見ただけで心臓が跳ねる程度には可愛いって思ってしまう。


 この距離なら。

 少し体を前にやるだけで、キスできる。

 そう思うと自然に唇が目に入る。


 オレンジがかった唇には、口紅が塗られているのがわかる。さっき塗り直したばかりだからか、彼女の唇は潤っていた。


 キスっていうのは、きっとただの接触じゃない。

 心を通わせるための手段みたいなもので、好きの確認みたいなもので。好きと好きがぶつからないキスに意味なんてないのだろう。


 ただ唇を合わせても、それは指先と指先を触れ合わせるのとなんら変わらない。


 わかっているのに、キスがしたいと思った。


 何も考えず、彼女の肩を抱き寄せてキスできたらどれだけ幸せだろう。今後のことも無視して、彼女に嫌われることも厭わずにキスできたら。

 ……ばか。


「……雪羽」


 穂波は私の頬に両手を伸ばしてくる。

 その動きはひどくゆっくりで、避けようと思えば避けられる。思えば彼女が私に触れようとしてくる時は、いつもそうだ。


 避けられるように、してくれているとか。

 彼女の性格から考えたら、そんなわけないんだろうけど。


 動かずにいると、頬に触れられた。そのまま横に引っ張られて、変な顔になっているのがわかる。


「ひょなみ?」

「ぷっ。あはは! 雪羽、変な顔!」


 穂波は楽しそうに笑っている。

 変な顔って言われても、その笑顔を見ているだけで何もかもどうでもよくなってくる。


 穂波はいつも楽しそうだ。

 ニコニコ笑って、妙に気難しそうな顔をしたかと思えば、次の瞬間にはまた笑っている。ころころ変わる表情は見て飽きないし、楽しそうにしている彼女を見ているだけで心が満たされる。


 光がないと何も見えないのと同じで。

 穂波がいないと私の日常は意味をなさない。何も見えない。何も感じられない。穂波が私の日常を彩ってくれているから、幸せだと思う。


「あはは! ふふ……ひゃっ」


 私は穂波の脇腹を突いた。

 穂波の手が私から離れる。


「何してくれてるの。変なことしてる暇があるなら、外でも眺めててよ」

「外より雪羽を見てた方が面白いから」

「……はぁ。じゃあ、いいけど」

「えへへー」


 穂波は観覧車が下に着くまでずっと私のことを見つめていた。

 何が楽しいのかは、よくわからない。

 ただ彼女の機嫌が良さそうだったから、私も何も言わず外を眺めていた。


 私が一番だって、言ってくれたけれど。穂波のことだから誰にでも言っていそうだと思う。それこそ私の知らないクラスメイトにもあなたが一番だとか言ったりして。


 一番が一人とも限らないよな、と思う。

 友達がたくさんいるのに、私を一番に選ぶわけがない。私はそんなに魅力的な人間ではないし、好かれるようなことをしてきたつもりもないのだ。


 好かれたい。

 しかし、今更キャラを変えるのもおかしい。

 結局私は、様々なものにがんじがらめにされて生きている。


 もっと身軽になれたら、穂波にも好かれて、恋人になれるのだろうか。

 無理、なんだろうな。

 ……はぁ。

 本当に、私はめちゃくちゃだ。

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