only you②
「晴れたねー」
穂波は空を見上げて言った。
さっきまでの雨が嘘だったみたいに、空は晴れ渡っていた。
それでも地面に残ったいくつもの大きな水溜まりが、さっきまでの時間が嘘じゃなかったことを告げている。
「こう晴れたら、することは一つ!」
穂波はそう言って、私から手を離した。
少し心許なくなって、思わず声を出しそうになる。
手を繋いでいる時も、離している時も、穂波は変わらない。変わらずニコニコしていて、それを見ていると、やっぱり彼女と私は違うんだとわかる。
同性の友達を好きになるなんて、普通じゃない。
そんなのわかっているけれど、好きなんだから仕方ない。好きになってほしいんだから、どうしようもない。
「駅までグリコで勝負だ」
「小学生じゃないんだから」
「いいじゃん、たまには。ゆっくり帰ってみるのも味だよ」
「……じゃあ、やる」
雨が止んだからといってすぐに帰ってしまうのも味気ない、とは思う。
せっかく二人でゆっくりしていたのだから、その時間の流れを持ち込んで、雨が止んでもそのままがいい。
本当は。一時間を何十倍、何百倍の長さにして、二人だけで時を過ごしたい。
今日も明日もなくなってしまえばいいのに、と思う。ずっと二人だけで、いつまでも一緒にいられたらそれが一番幸せだ。
しかし、欲を言うなら。
やっぱり、恋人になりたい。
好きだって言ってほしいし、キスだってしたいし、もっともっと抱きしめ合ったりもしたい。私はどうしようもなくわがままだ。
「よし! じゃ、グーリーコ!」
彼女はチョキ。
私は、パーだった。
「私の勝ちね。ち、よ、こ、れ、い、と」
一歩ずつ、彼女が遠ざかっていく。
こういう遊びをするのは、久しぶりだった。小さい頃は今より友達が多かったから、普通の小学生がするような遊びもしてきた。
だが、まさかこの歳になってあの頃やったような遊びをするようになるとは思いもしなかった。
穂波から誘われていなければ、していなかっただろう。
何度もじゃんけんをして、その度に穂波は遠ざかっていく。気づけば彼女は何十メートルも先まで歩いて行ってしまっていた。
自分の運のなさが怖い。
「これ、何が楽しいの?」
少し大きな声を出す。
届いているかどうか不安だったけれど、ちゃんと私の声は届いたらしい。
穂波が手を振ってくる。
「わかんない! でも、友達と一緒にやればきっと、なんだって楽しいよ!」
遠すぎてよく見えないけれど、彼女が笑顔を浮かべているのはわかる。
穂波はいつだって楽しそうだ。
「ほら、次いくよー!」
お互いの手を見ることができないから、口でグーだのパーだの言うことになる。
教室でゆっくりしていた時間が長かったから、周りにはもう同じ学校の生徒は残っていない。
雨上がりの静かな街で、高校生が二人。
幼い遊びを必死になってやっている。きっと他者が見れば子供っぽいと笑うだろう。私自身、どうしてこんなことをしているんだろうと思う。
だが、穂波と一緒なら、どんなことだってしたいと思う。人に笑われても、自分で馬鹿らしいと思っても、彼女と一緒なら。
彼女が笑顔になったら、私も幸せだ。
気づけば穂波の姿はもうほとんど見えなくなっていた。
すると、電話がかかってくる。
穂波だった。
「まだやるの?」
「どうせだから、どっちかが駅に着くまでやろうよ」
「……いいけどさ」
じゃんけんを続ける。
十回勝負する頃には、穂波の姿は完全に見えなくなっていた。
私はまだ、スタート地点から動けずにいた。
運が悪いにも程がある。
ようやく一度勝負に勝っても、数歩しか進めないから穂波に追いつくことはできない。
彼女が私を置いて帰ってしまうことはないとわかっているけれど、その姿が見えなくなると途端に不安になる。
ただの遊びなのに。私は穂波に出会ってから、弱くなったのかもしれない。
「そろそろ駅着くよー」
スマホの向こうから、電車の音が聞こえる。
じゃんけんをすると、また負けた。
「改札の前まで着いた。私の勝ちだね」
「うん。私の負け」
「じゃあ、罰ゲームね」
「え、そういうシステムなの?」
「なんか甘いもの食べたいなー」
「奢らないからね」
「あはは、わかってるよ。冗談冗談。もう遊びは終わりにして、帰ろっか。待ってるね」
「わかった」
通話を切ったのは、穂波だった。私はスマホを片手に歩き出す。
穂波がいない帰り道は、久しぶりだった。
思えば私は、出会ってからずっと、彼女と一緒にいた気がする。
彼女と出会った時のことは、未だ鮮明に思い出せる。高校一年生の春、私は友達を作ることができず、孤立していた。
私自身は皆と仲良くしたかったのだが、表情があまり動かなかったり、声に抑揚がなかったりするせいなのか、人に怖がられることが多かった。
昔から、雰囲気が怖いとはよく言われてきた。
それでも中学までは地元の学校に通っていたから、昔できた友達とずっと一緒にいられたのだ。でも高校は地元から離れた場所だから、知り合いも友達も誰もいない。
ゼロから関係を始めるのは、私には難しかった。
どうすれば人に怖がられないのか。雰囲気を柔らかくするって、どうやって?
そう思っているうちに時が流れて、孤独のまま一年を終えるのかな、なんて思った。
そんな時だ。穂波が話しかけてくれたのは。
「秋空さん、私と一緒にお昼食べない?」
それが彼女の第一声だった。
彼女が私に頻繁に話しかけてくれるようになって、そのおかげで他の友達も次第にできるようになっていった。
一人だった私を、穂波が見つけてくれた。話しかけてくれて、新しい世界に連れていってくれた。
彼女に恋をしたのがいつからだったかは、もう思い出せない。
とにかく気づけば好きになっていて、どうしようもないくらい気持ちが大きくなっていた。
好きだ。
この気持ちは伝えたくないけれど、伝えたい。
いつの間にか私は早足になり、駅に向かって走り出していた。
私はどうかしている。
一分一秒だって、彼女の顔が見られないと不安になる。いつでも彼女の顔が見たいし、彼女のことを考えていたい。
苦しくても、苛立っても、それでも彼女のことが好きだ。今はまだ、伝えられないけれど。
「穂波」
名前を呼ぶだけで、彼女との思い出が頭の中に溢れ出す。
想いも溢れ出して、止まらなくなる。
この想いが人に比べてどれくらいの大きさなのかなんて、わからない。知らない。私の気持ちは私だけのもので、人に何を言われてもどうしようもないのだ。
重いかもしれない。おかしいかもしれない。普通じゃないなんて、わかってる。
人に恋をしたのなんて、初めてだ。
そして、きっとこれが最後だ。
これから先どれだけ長い時間を生きたって、穂波以上に誰かのことを好きになるのは無理だと思う。
「穂波!」
駅の改札前に、穂波の姿があった。
彼女はのほほんとしていて、片手を挙げて笑った。
「遅いぞー、雪羽。待ちくたびれちゃった。これはもう甘いものを——」
走ったそのままの勢いで、穂波に抱きつく。
穂波は私の勢いを殺しきれなかったのか、そのまま尻餅をついた。私も覆いかぶさるように倒れ込む。
いつの間にか閉じていた目を開けると、穂波の顔がすぐ近くにあった。
「もー、急ぎすぎ。転んじゃってるじゃん」
穂波の目には、私が転んだように見えたらしい。
それならそれで、いいと思う。つい感情を抑えられなくなって抱きついてしまったが、冷静になってみるとどうかしている。
ちゃんと感情を制御しないと、こういうことになる。穂波と一緒にいたいなら、感情を爆発させてはならない。
わかっているけれど、今は。
誤解を利用して、私はそのまま彼女に抱きついた。
「雪羽? どうしたの? 足痛い?」
「バランス感覚、失った。立てない」
「そんなこと言って、私に抱きつきたいだけだったりして」
そうだって言ったら、困るくせに。
そう思いながら、彼女をじっと見つめた。
彼女の表情はいつもと変わらない。丸く大きな瞳で私を見ていて、可愛いと思う。
「しょうがない。ほら、立っちして」
「幼児じゃないんだから」
「冗談冗談」
穂波は私を抱きしめたままゆっくりと立ち上がる。
長く抱きついていたら感情をもっと抑えられなくなるかもしれないのに、離れるタイミングを失ってしまった。
どうしようと思っていると、穂波の方から離れていく。
「ほら、帰ろ。雪羽」
「……うん」
心臓がドキドキというか、バクバクしている。
穂波は何も思っていないのだろうか。
心が重くなるくらいいつも通りだ。
ドキドキしてよ、なんて言えないけれど。
言ったらどうなるんだろうなんて、少しだけ思った。
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