チョコレート、のち、ほなみ②
「このかまくら、どうしたの?」
「お姉ちゃんと一緒に朝作った」
「お姉さん、いるんだ」
「まあね。雪羽は? 一人っ子?」
「うん」
「ふふ、そんな感じする」
一人っ子っぽい感じって、なんだろう。笑っているところを見るに、悪い意味ではないのだろうけれど。
夏川が小さく息を吐いて、私も息を吐く。白い息は宙で混ざり合うことなく、そのまま緩やかに薄れて消えていった。
不思議な状況だ。
二月という寒い時期に、二人腕を触れ合わせながらホットチョコを飲んでいる。今日も気温は凍えるくらい低いはずなのに、体は温かかった。
温かい飲み物を飲んでいるおかげでもあるのだろうが、何よりも、触れ合った腕から伝わってくる彼女の熱が、私を温めてくれている。
好きな人と一緒に、狭いところで二人きり。
贅沢な時間だ。
ちらと夏川を見ると、目が合った。目が合ったらすぐに笑いかけてくるのは彼女のいいところで、困ったところでもある。
その笑顔を見るだけで私はいっぱいいっぱいになって、様々な感情が渦巻いていく。いっそこれを抑えずに、今ここで好きと伝えてしまえば。
それができるなら、苦労していないけれど。
「昨日から、色々唐突だよね」
「そうかも。……迷惑だった?」
私が夏川のことを迷惑なんて思うはずがない。
その曇りのない笑顔で、力強い手で、どこまでも連れて行ってほしいと思う。どんな日でも、どんなところでも、二人でいられればそれでいい。
私の明日も、明後日も。
予定を夏川に埋めてほしい。夏川の予定を私で埋めたい。予定が書いてあるカレンダーの上に私の名前を書いて、全部上書きしてしまいたい。
それができないのは、わかっている。
……わかっている。
わかりたく、ない。
「ううん、大丈夫。どうせ暇だったし」
「なら、よかった。今は? やじゃない?」
「嫌だったら、すぐに出てるよ」
「確かに、そうだね。雪羽って意外とそういうとこ、はっきりしてるもんね」
このくらいなら、好きって悟られることもないと思う。
しかし、私は一体何をしているんだろう。
好きな人に、自分の気持ちを悟られないようにして。それで辛くなって。本当にこれでいいんだろうか。
「じゃあ、これは?」
夏川は触れ合っていた腕を絡ませてくる。コップが揺れて、中のホットチョコが音を立てた。
「こぼれるからやめて」
「あはは、だよね。ごめんごめん」
夏川はいつものように笑って、私から腕を少し離した。
夏川はいつでもスキンシップが多い。でも今日は、なんだかいつもとは調子が違うような気がする。
スキンシップの仕方の問題なのか、なんなのか。
決して嫌というわけではないけれど、少し気になる。
しかし、このまま彼女に何度も触れられたら、抑えが効かなくなりそうだ。
私は夏川と恋人になりたい。けれどそれは、今の関係を崩してまで目指すものじゃないと思う。
そのはずだ。
好きって言い合うより。キスするより。今はこの時間の方が大切で、壊したくないと思っている。
夏川の笑顔が見たい。
私の目を見て、笑ってほしい。夏川の笑顔を見られなくなってしまったら、きっと私の心はどうにかなってしまう。
「なんかさ。この一年、あっという間だったよね」
「……うん」
確かに、夏川と友達になってからは、毎日が楽しくてあっという間だった。
私はそっとコップを傾けた。
甘いチョコの味。この前食べたチョコは甘いとしか思えなかったけれど、今日のチョコは確かに甘さ以外にも感じられるものがある。
なんだろう。優しい感じだ。
夏川の気持ちが混じった甘さ。
優しい味。
優しくて甘いのは、夏川も同じだ。ペットは飼い主に似るというけれど、作るものも本人に似るものなのかもしれない。
「来年も同じクラスだといいよね」
「そう、だね」
あまり考えてこなかったが、もうそろそろクラスが替わるのだ。
クラスが替わったら、夏川の寝顔が見られなくなってしまう。
それに、夏川は環境に馴染むのが早いし友達を作るのもうまい。だから夏川と過ごす時間は、多少減ってしまうかもしれない。
それは嫌だと思う。
しかし、クラス替えは運みたいなものだから、どうしようもない。
「もし同じクラスになれなくても、さ」
夏川の声色が少し変わる。
思わず彼女を見つめた。
彼女の顔は少し、緊張しているように見える。
「時々こうして、二人で遊ぼうよ」
いつもより小さな声。
緊張した顔。
それが何を意味するかって、そんなの。
「……もしかしてそれ言うために、家に呼んだの?」
「それは、まあ。目的の一つではあったよ」
「なんで?」
「なんでって言われても。一緒に遊びたいから?」
「……言われなくても、そうするつもりだったけど」
夏川はコップを置いて、膝を抱えた。
「私、薄情なやつだって思われてたの」
「……だって、雪羽いつも塩じゃん! クラス替わったら他の友達と遊ぶからもういいよとか言われそうだったし」
「親友って言うなら、ちょっとくらい信用してよ」
「私は親友って思ってても、雪羽がどうかなんてわかんないもん」
「それは……」
彼女から親友と言われた時、私もだよ、と言った覚えはない。
夏川は不安だったのだろうか。私からどう思われているのか。ということは、少なくとも夏川は私を特別な友達だと思ってくれているってことだ。
そこに恋愛感情は、ないんだろうけれど。
あったらあんな気軽に好きだの愛してるだの、言ってくるわけがない。
「親友だよ。親友って、思ってる」
沈んでいた夏川の顔が、ぱっと明るくなる。
寒さのせいか赤くなった顔で笑う彼女は、子供みたいで可愛かった。
「そっかそっか! 雪羽は私のこと大好きかー。私も愛してる!」
「飛躍しすぎ。大好きではないよ」
本当は大好きっていうか、そんな言葉じゃ表せない程度には好きだけど。
「私は大好きー」
「……もう」
私の気も、知らないで。
「あんまり変なこと言うと親友やめるよ」
「親友を人質に取らないでよ、怖いから」
「だったらちょっとは控えて。好きとか愛してるとか、困るし」
「……うん。わかった」
ちょっとした苛立ちを込めて言うと、夏川は小さく頷いた。
夏川の言葉は、いつも過剰だ。
私は好きと言われる度に気持ちが揺れ動いて、こっちからも好きって言ってしまいたい衝動に駆られる。
しかし夏川は別に恋愛感情なんて持っていなくて、単純に友好の意味を込めて……あるいはふざけて好きという言葉を口にしているだけなのだ。
その事実に苛立つのは、私が勝手に彼女のことを好きになったからで。
普通の友達なら別に、好きとか愛してるとか言われても、気にしないはずなのに。
過剰反応して夏川に変な顔をさせてしまう私は、どうかしていると思う。
「……他の目的って、なんなの?」
目を伏せている夏川に声をかける。彼女は私の方を見て、笑った。
「んー……雪羽との親睦を深めること、かな」
「……そうなんだ」
「そ。だからかまくら作って、こうしてロマンある状況を作ったの」
「かまくらって、ロマンあるかな」
「あるよ。ありありだよ。かまくらの中で二人語り合うって、ロマンだらけじゃない?」
「まあ、そうかも」
「でしょ? じゃあとりあえず、好きな人の話でもしよっか」
「……いない。終わり。夏川は?」
夏川は少し、考え込むような仕草を見せた。
いるなんて、言わないでほしい。
いたとしても、それが私であってほしい。
そう、思った。
「私も、いないよ」
いないと言うまでに間があったのが気になる。本当はいるのだろうか。いや、だとしても、わざわざ隠す必要はないのではないか。好きな人の話をしようと言ってきたのは夏川だし。
しかし、それ以上に。
好きな人はいないと彼女が言ったことが嬉しくて、イライラする。
他の人を好きじゃないのは、嬉しい。
でも私に恋愛感情を持ってくれていないのは嫌だし、苛立つ。
私は勝手な人間だ。好きになった人には、自分のことも好きになってほしいとどうしても願ってしまう。
今は友達という関係を崩せないけれど。
いつか勇気が出たら。夏川ともっと仲良くなって、何かの間違いで夏川が私の告白を受け入れてくれそうになったら。
告白したい。
好きだって。
そして、あわよくば彼女と恋人になって、恋人しかしないようなことをしたい。
したいことは無数にあって、なりたい関係だってある。けれど私は臆病だから、一歩踏み出すことはできなかった。
「そっか」
私たちはそのまま、肩を寄せ合って少しだけ話をした。
ホットチョコがなくなると寒さも厳しくなってきて、私たちは自然に建物の中に戻ることになった。
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