フライング・バレンタイン②

 最近の人は、お気に入りのショコラティエなんてものがいるらしい。


 私だって最近も最近の人なのだが、あいにくそんなものはいないので、特に何を買うか決めずにデパ地下に来ていた。


 バレンタインが近いせいかフェアなんてものをやっていて、様々な店が出店している。


 都内のデパートということもあって、店内は遊園地なんじゃないかと思うくらいに混んでいるし、列も多い。


 チョコのためだけにこんなに並ぶなんて、皆暇なんだろうか。

 そんなことを考えている私も店を見に来ているのだから、人のことは言えない。


 どうせ好きな人にあげるのなら、美味しいものがいいに決まっている。思いは手間ではなく味で伝えるものだ。どれだけ手間をかけて作ってもまずかったら意味がない。


 しかし。

 当たり前だけれど、こういうところのチョコは高い。でも、十数個で5000円とか平気でするとは思っていなかった。


 私はバイトをしていないから、小遣いは生命線だ。

 チョコを買ったら今月は夏川とあまり寄り道できなくなる気がする。


 しかし、せっかくチョコを交換できるのに、変なものは渡したくない。適当なチョコを溶かして固めたところで、思いは正しく伝わらない——。


 いや、伝わっても困るのだが。

 チョコをとるか、お出かけをとるか。

 迷っていると、不意に。

 夏川の気配がした。


 夏川の気配ってなんだって話だけど、私はそれをいつでも感じ取ることができる。どんなところでも、夏川がいるとすぐにわかるのだ。


 それは私の嗅覚が彼女の微かな匂いを感じ取っているためなのかもしれないし、視界の端に映った彼女の姿を速攻で彼女のものだと識別できるためなのかもしれない。


 どちらにしても、今。

 私は確かに夏川を感じた。


「夏川」


 気配を感じた方に声をかける。

 視界の端で、黒い髪が微かに揺れた。

 人混みの中で振り返った夏川は、目を丸くしていた。


「わ、雪羽だ。奇遇だね、こんなところで」

「そうだね」

「よく気づいたね。私、特徴ないのに」


 夏川は駆け寄ってきて、そう言った。

 確かに、夏川は派手じゃない。セミロングの黒髪はサラサラではあるけれど、目立たない。顔は可愛い方だとは思うが、人の目を引く方ではない。


 それでも私にとっては、何よりも目を引く存在だ。

 だからわかる。どこにいても、何をしていても。


「砂漠で砂糖一粒を見つけるようなものじゃない?」

「……ううん。わかるよ、夏川のことは」


 私が言うと、夏川は目を瞬かせた。

 瞬かせて、その後、ふにゃぁって感じの笑みを浮かべた。


「そっか。そう言ってくれるのは、雪羽だけだよ」


 私だけ。

 その言葉に舞い上がる。

 そして、いつもより柔らかい彼女の笑みに、何よりも目を奪われた。


 他の誰かに向けているのを見たことがない、新しい笑みだ。それがあまりにも綺麗というか、破壊力があったから、私はすっかりやられていた。


 気持ち悪いって、言われなくて良かった。

 いつでも夏川を感じ取れる能力は、存外に役立つものだったらしい。


「ここで会ったのも何かの縁だし、一緒に見る?」

「……うん」


 今日という日の今という時間に、夏川と出会えた。それは何かの縁というよりも、運命のように思える。


 彼女に会えただけで、ここに来た甲斐があったと思ってしまう。

 私たちはそのまま、人混みに紛れるようにして店内を見て回った。


「……高いね」


 夏川は声を小さくして言った。


「うん、ほんと。……夏川は、何を買うつもりだったの?」

「んー、特に決めてなかった。とりあえず雪羽にあげる用に買おうと思ってたんだけど」

「私に?」

「そ。雪羽は親友だから、気合い入れてチョコ選ぼうかなーって思ってさ」

「……親友」


 初めて言われた。

 普通の友達よりも仲がいいと思ってくれている。


 それは嬉しいことだ。嬉しいことだけど、どうせならもっと、親友を超えた感情を抱いてくれていたら嬉しいなんて思ってしまう。

 私は贅沢だ。


「雪羽は?」

「私も、夏川に渡すの選びにきた」

「そっかー。じゃあさ、いっそ二人で一個のやつ、買っちゃう?」

「え」

「私もあんまお金ないから。その分愛情はたくさん入れるし」

「完成品にどうやって入れるの?」

「そりゃあ、まあ。ほら。ハンドパワー、的な?」


 夏川の言うことは、割といつも適当だ。


「どうする?」

「……そうだね。二人で、一個の買おっか」

「よし、じゃあ頑張って選ぼう!」


 夏川は手を差し出してくる。


「今から雪羽のこと連れ回すから、はぐれないように」

「子供じゃないんだから」


 文句を言いながらも、彼女の手を取る。

 下手に彼女に触れると、様々な感情を抑えられなくなりそうだから。だからあまり、触れないようにしている。


 しかし、好きな人と触れ合いたいと思うのは仕方のないことで、私は時々耐えられなくなって、彼女と触れ合うことを選んでしまう。


 私より小柄なのに、手を引いてくる力は強い。

 強いのは、それだけじゃない。


「いいからいいから! ほら、行こ!」


 私に笑いかけてくるその笑顔の力も。誰よりも強いものだった。

 なんでこんなに、夏川の笑顔は綺麗で、可愛いんだろう。


 その笑顔の眩しさだけで、溶けてしまいそうだと思う。いっそこのままドロドロに溶けて、チョコレートみたいに彼女の体に入ってしまえたら。


 ……いや。

 何を考えているのだ、私は。


 手を握られて、笑顔を向けられて。完全に舞い上がってしまった心は、着地点を見失って意味不明な感情を撒き散らしている。


 それが体の中に雨みたいに降り注いで、私は暴走しかけている。

 ……はぁ。


 私って、なんなんだろう。

 人を好きになったことなんて初めてだから、この思いだけでどうにかなってしまいそうだ。


 キスしたいなぁ。

 なんて、なぜか今不意に思った。

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