フライング・バレンタイン①

 ケサランパサランは、見つけると幸せになれる生物らしい。

 つい昨日それを調べて、一人ベットの上で輾転反側していた。


 わざわざそんな生物に私を例えるってことは、やっぱり夏川にとっても私は特別な存在ってことなんだろうか。


 好きとか愛してるとかふざけて言ってくるから、夏川の本音はよくわかならい。


 そもそも、彼女には自覚が足りないと思う。

 彼女は冗談のつもりなのかもしれないが、こちらからすれば全く冗談では済まないのだ。


 ああやって簡単に好きだとか言われたら、勘違いする人も出てくるだろう。夏川は自分のことが好きだなんて勘違いしている人は、きっとクラスにもたくさんいるはずだ。


「飴食べる?」

「え? あ、ああ……」


 後ろの席から、夏川を観察する。彼女はいつも持っているミルク味の飴を、隣の席の男子に渡していた。


 夏川はいつもニコニコしている。

 私はあの男子の名前を知らないし、興味もない。しかし、夏川はちゃんと名前を呼んでいるし、ちょっとした世間話なんてしている。


 高校生としては、あれが普通なのかもしれない。

 だが、しかし。


 あまり他の人と仲良くしないでほしい、と思ってしまうのは確かだ。夏川は友達が多いから、私だけが特別じゃないなんてわかっている。


 それでも、私にとっては、夏川だけが特別なのだ。

 この気持ちを、夏川にも抱いてほしいとも思っている。


 だから。

 だから私に向けるのと同じ笑顔を、名前も知らない男子に向けないで。

 そう思っても言葉になんてできないから、机に突っ伏した。




「雪羽ー。雪羽はどれにする?」


 放課後。

 私たちはのんびりと街を歩いた後、有名なチョコレートショップに来ていた。夏川は朝と同じような顔で笑っている。


 私に向けられている笑みは、名も知らない男子に向けられているものと全く同じだ。


 気に入らない。しかし、別に夏川が悪いというわけではないのだ。私が勝手に彼女の特別になりたいと願っていて、特別になれない状況に苛立っているだけなのだから。


 とはいえ。

 好きなんて言えるか? なんて、自分に問うまでもない。

 言えるわけ、ない。


 言わなければずっと、友達のままでいられる。だが、言ってしまったら最後、私たちの関係は消えてなくなってしまう。


 恋というのは泡みたいなものだ。


 その中には温かくて心地良いものが詰まっているけれど、ちょっとした衝撃で泡は割れて、中に入っている良いものも全部なくなってしまう。

 私はそれに耐えられない。


「ホワイトチョコのやつ。夏川は?」

「普通のチョコにする。あ、見て。カカオ99%だって。あれにしょっかなー」

「やめた方がいいと思うけど」

「何事も挑戦しないと! あ、私たちの番だよ」

「ちょっ、夏川?」

「すみませーん! ホワイトチョコの一つと——」


 夏川は愛想よく注文をしていく。

 私の名前をいつも呼んでくれるその口で、私以外の人に言葉をかけていると思うだけで嫌だなんて、少し思う。


 重すぎる。

 自分でもわかっている。私は今まで想像していた以上に独占欲が強くて、嫉妬深い。もし許されるのなら、夏川には私以外の名前を呼んでほしくはないし、私以外見てほしくもない。


 夏川の唇から発せられる音は、私に関するものだけでいい。

 なんてことを、少しだけ。

 ほんのわずかだけ、思った。




「あ、普通に美味しい」

「無理してない?」

「してないよ。一口飲む?」

「ううん、いい」

「……そっか」


 夏川と間接キスするのは、危険だ。

 この前した時は正直何が何だかわからなくなった。心臓が弾けそうなくらいに鼓動を刻んで、頭がぐるぐるして。


 あの後自分がどんなことを話して、どんなことをしたのかすら鮮明には思い出せない。


 夏川はそういうのを全く気にしない人みたいだから、平気で一口ちょうだいだの一口あげるだの言ってくるけれど。


 そう言われるこちらの身にもなってほしいと思う。

 私は夏川と、もっと深いことがしたいといつも思っている。


 手を繋ぎたい。抱き合いたい。キスもしたいし、それ以上に深いこともしたい。そういう欲求を隠すためには、日頃から自制心を鍛えなければならない。


 彼女は何食わぬ顔でスキンシップをしてくるから、変に意識しないようにして、感情を暴走させないようにして。


 好きって言われても、それが冗談だって自分に言い聞かせないと私まで愛してるなんて言いそうになる。


 私は夏川とキャラが違うから、愛してるなんて言ったら本気と受け止められてしまうそうだ。


 だから。

 言いたいけど、言わない。


 恋人になったらキスをできるようになるかもしれないけれど、もし恋人になれなかったら。二人で過ごすこの穏やかな時間もなくなってしまう。


「雪羽のは? おいし?」


 彼女は微笑みながら聞いてくる。

 誰にでも向けられている笑みってわかっているのに。


 それなのに、目を見て笑いかけられるのはやはり嬉しい。様々な苛立ちやらもどかしさやらが全てなくなって、硬くなった心が熱で溶けたみたいに柔らかくなっていく。


「美味しいよ」

「そっか。それは何よりですなぁ」

「何キャラなのそれ」

「親戚のおじさん」

「おばさんじゃないんだ。……いや、おばさんでもおかしいけど」

「おばさんだと生々しくなっちゃうし」


 夏川は楽しそうな顔でドリンクを飲んでいる。


 リップで潤ったその唇が、店内の照明を受けて輝く。その輝きに目を奪われて、吸い寄せられる。


 キスしたら、どれだけ幸せになれるだろう。


「そういえば、そろそろバレンタインだね」


 びくりと体が跳ねる。


「うん、そうだね」


 バレンタイン。夏川と出会って初めての。

 私は夏川にチョコを贈りたいと思っているし、贈られたいとも思っている。


 しかし友チョコなんて柄でもないから、自分から言い出すことはできなかった。


「……夏川は、誰か男子にあげるの?」

「んー、男子にはあげないかな。友チョコは用意するつもりだけど」

「そうなんだ」

「雪羽は? 恋する相手にチョコをあげるとかそういうドキドキイベントやるの?」

「やらない」


 私が夏川のことを好きだなんて、かけらも思っていない笑顔だ。

 もやもやする。

 いや、好きだって悟られていたらそれはそれで困る。

 困るんだけど、全然意識されていないというのもまた苦しい。


 苦しいけれど、好きって気づかれてしまったら引かれるかもしれないし、縁を切られてしまうかもしれない。


 だけど——。

 ぐるぐる思考が巡る。

 気づいてほしいけれど、気づかないでほしい。

 矛盾で心臓が爆発しそうだ。


「じゃあ、チョコ交換しよっか」

「え?」

「やならいいけど、せっかくだしさ。雪羽からチョコもらいたいなーって」

「……うん。やろう」


 こういう時は、自分の表情筋が硬くて良かったと思う。

 彼女のチョコがもらえるとわかっただけで、心が舞い上がって仕方がない。彼女も私からチョコがもらえることに喜んでいたらいいのに、と思う。


 もちろん、私と同じ意味で。

 無理だって、わかっているが。


 そもそも夏川は、彼氏とかいるんだろうか。怖いから聞いたことがないが、いてもおかしくはないと思う。


 むしろ、いない方がおかしいのかもしれない。

 しかし、男子にはあげないと言った。

 いや、ならば。もしや同性の恋人がいる、とか。


 舞い上がった心が海底に沈む。夏川のことを考えると、どうしようもなく心が揺れ動くから、少し辛い。


 だけど、好きだという感情は変わらない。

 変わりようがない。

 たとえこの先、彼女との関係が薄れていくとしても。


「よし! じゃあ私、チョコに愛情死ぬほど入れるから! 雪羽もそうしてね」

「それは引く」

「相変わらず塩だなぁ。そういうとこも好き!」

「はいはい」


 私の気も知らないで。

 好きなんて軽々しく言わないでよ。


 そんなことを思いつつ、彼女から発せられる好きという言葉に、また舞い上がっている自分がいた。

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