第二連 霧中
終わりが見えない。
この戦場について言い表すとするならば、一歩先が見えない濃霧の中を歩いている、こんな表現はどうだろうか。
青年は、自分の住む神聖王国ウィリデアの戦に、市民兵として従事していた。
自分のものは折れてしまったからと、そこらへんに落ちていた死んだ仲間の剣を握って、次から次に切りかかってくる敵を捌いていた。
普段なら彼はこの時間、二人の妹たちの為に朝食をつくり、仕事である農作業に勤しんでいるはずなのだ。
それなのに、どうして。
それは全て王様の命令だからだ。
背けばどんな目に合うか、誰も分からない。
なぜなら、一度背いた者は、例外なく仲間の元へ帰ってこないからだ。
妹たちは家で待っている。
妹たちのためにも生きて帰らなくてはと思うと同時に、何故自分は男に生まれてしまったのかと、青年は心の隅で後悔する。
女だったらこんなに命を懸けて戦わされることなどないのに。
倉庫に入っていた少ない食糧から、辛うじて持って来た一週間分の食べ物はすでに底をつき、二日間水しか飲んでいない。
脳が朦朧とする。足元がふらついている。
「!」
生きて帰らねばならないのに、既に気力がない青年の背中を、敵兵の剣先が狙う。
――ここまでか。
ああ、情けない。
剣に気づいて振り返った青年は、今振り下ろされんとする剣を目の前に足が竦み、目を瞑ってしまった。
………………数秒。
痛みはない。斬られた感覚も、ない。
不思議に思い、目を開ける。
「え……」
剣は身体のどこにも当たらず、地面に落ちていた。
その瞬間、唖然としている敵兵と青年の視界の端に、この灰色の戦場に似合わぬ緑青色がよぎった。
「がっ」
突如崩れ落ちた敵兵は、背を掻き斬られていた。
まだ動こうとする敵兵の頸を、緑青の影はすかさず突いた。
一体何が起こったんだ。
土煙が晴れ、影の正体が露わになる。
「何をしている。早く立って他へ行け」
「は?女?」
見たことも無い緑青の軍服、緑色の髪。
そして、雲のように白い瞳孔。
手に持っているのは支給された武具ではない。
二本の短いナイフを持った、1番目の妹と同じくらい……齢十五そこらの少女だった。
何故、こんな女子が戦場に……
少女にナイフを向けられ、反射で立ち上がる。
なんだこいつ……味方だよな。
「あと二秒で動かない役立たずならこの場で殺す」
「だ、大丈夫です!動けます!」
「なら今すぐ消えろ」
青年は土煙の中へ走って行ってしまった。
「……ふう。……次」
一瞬少女は青年の逃げた方向を一瞥するものの、直ぐに視線を戻して腰を落とす。
次の瞬間から少女は目にも止まらぬ速さで戦場を駆け抜け、時には己の倍ほどもあるような大男までも蹂躙していった。
夜。
「本当に見たんだ!緑っぽい色の軍服を着た、雲のような目の娘を!」
「しっ。静かにしろ。いつ敵が襲ってくるか分からないのに、大声を出すな」
「でも……!あいつ何者だ?一瞬で剣士を突いたんだぞ」
「女顔の男だろ。騙されんなって。飢えてんのか?」
「違ぇよ!腹は減ったけど!」
「だからうるせえよ」
「そいつは『神属軍』だな!!!」
隠れ場所に、先程の青年の倍はある声が響く。
「え、うるさ「黙れ。ランドさんが喋るんだから黙って聞け」
「え?酷くない?」
大声を出した男……ランドは、何人かの兵士が休む中、楽しそうに話す。
「緑の制服、雲のように白い瞳。あいつらの特徴だな!」
声がでかい。
「神属軍とは一体……」
「わからん!」
分からんのかい。
「俺は何回か奴らを戦場と宮中で見たことがあってだな」
「宮中?アイツらはウィリデアの軍なんスか?」
「ああそうだ。俺も上から聞いた話ではあるが、僅か百ほどの兵士が、更に細かく分けられ、今日のように劣勢になった場合や、暗殺などに送り込まれる特殊部隊だそうだ。どういう訓練を受けているかは知らんが、奴らの強さは人間離れしている」
「ランドさんくらいッスか?」
「いや」
ランドは首を振った。
「残念ながら俺以上のやつもゴロゴロいる。リオお前、間違っても余計な喧嘩ふっかけるなよ」
「……」
「リオ「分かったッス!」
ウィリデア軍中尉、ランド・サリヴァン。
目の前にまたでかい声で笑っているこの男は、ただの市民兵である青年でも知っている。
その横に常にいる、強兵リオ・ワトソンもだ。
あそこから逃げた青年は、幸運にもこのランドの小隊に入ることが出来た。
ありがたいものだが、この騒がしさ、見つからないだろうか。
まあ、これでさっきの恩人の正体も分かったので、良かったとしよう。
「あ、でも……」
青年はもう一度ランドに質問する。
リオの視線が痛い。
「その精鋭軍には、女もいるんですか?」
「さっきから女女うるせえよお前。そんな所に食いついてくるやつはモテねえぞ」
「いや、いる」
「いるんスか?!」
この手のひらの変わりよう。
「俺が会ったことがあるのは、俺と同じくらいのガタイの男、ド派手な巻き髪の女、あと、でかい斧ぶん回してる十二くらいの娘だな」
「そんなのがどうやって戦いなんか……」
「いや、普通に全員俺より強かった!」
「は?」
あっけらかんと言い放ったランドの言葉に、一同唖然とする。
「一瞬で俺が苦戦した相手をなぎ倒して行ったんだ。……あれは化け物だぞ」
先の緑髪の少女を思いだす。
化け物、という表現がたしかに似合ってしまうほど、彼女は速く、荒々しかった。
あまりの荒々しさ故に殺されそうになったが。
「まあ、奴らに会えて助けられたならば、お前は幸運だったな!」
ある意味では不運だったかもしれない。
青年は思う。
目をつけられていたらどうしよう。
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