第2話 事件の前に、朝食を
朝食は七時。
ディアンケヒト家はきわめて特殊な習慣を持っている。
家人と使用人五〇人が同じ食堂に集まって、全員でいただくのだ。
しかも、美味い。
パンもふかふかで、スープはしっかり味がする。塩のお湯じゃない。生果実も量は少ないが使用人にまで配られる。
俺は四年間、家庭教師として貴族家を渡り歩いたが、食事をする使用人の表情はどこの家よりも明るく、賑やかだ。そして、テーブルマナーもしっかり仕込まれている。古株から新顔へ適切に教育してあるのだ。もちろん当主の方針だろう。
ここの家人は、使用人を〝家畜〟あつかいしていない。
笑い話のようだが、この事実はデカい。そしてディアンケヒト家に賢明なる跡取りがいることの意味は、使用人にとって楽園が未来永劫続くことを示唆している。食事環境からしても、彼らにとって家の繁栄は信仰に近いのかも知れない。
「高く亭々たる世界樹に住まいし、光の大神ヴェロイヒテンリヒト。闇の大神モントシャイン。広く皓皓たる大地に住まいし、五つ精霊の御柱すなわち……」
食前の祈り、巫咒の古代祝福をあげているのは、公爵夫人ウスキアスだ。
「……では、いただきましょうか」
「いただき、ますっ」
当主の合図で、みんなでいただきますを復唱して、賑やかな朝食が始まる。
「サリバン先生」
家人席の末席で、となりからクレア・シンクレア夫人が小声をかけてきた。
「今朝はどちらにおいでだったのですか」
十歳も年下の若造にも口調は丁寧だが、声にはっきりと恨みがこもっている。
「どういうわけか、早くに目が覚めて、菜園の方を回っていました」
「ちっ」お行儀。
「何かあったのですか?」
俺もしらばっくれるつもりはないが、知らないフリをする。
「セスフォード伯爵家とファーニスト伯爵家が、御家に決闘を申しこんだそうなんですっ」
公衆の面前で小娘にぶん投げられた割には、お盛んなことで。
「ほう。そりゃまた前時代な。裁判所もよく認可を出しましたね」
「司法なんか通してるわけ、ないじゃないですか……っ!」
横から小声で怒鳴ってくる。俺は耳をぱたりと閉じて、パンをちぎって口に入れる。その甘い香りに溜息をついた。せっかくの朝の幸せをぶち壊されたくない。
決闘は、言わずとしれた、実力による自力救済のことだ。
先進国ブルトン王国から輸入された文化なので、フェーデ権とも言われる。貴族だけに許された紛争解決方法だ。ちなみに、わが国では平民が決闘をすると私闘罪といって罪になり、保釈なしの懲役刑を科される。結構重い。
決闘方法は、当事者双方が認めた立会人をたてて、紛争内容の書面に連署血判して、真剣勝負をする。
普通は寸止め。参ったといえば終わり。なんだが、重軽傷者は後を絶たず、たまにの頻度で死者も出る。その場合、わが国では私闘殺人罪が適用され、強盗殺人と同格の罪になる。国家非公認だからだ。
これだけ罪が重いのは、決闘が世間一般の密かな娯楽になっていたからだ。見物したがる男女は多く、衛兵が決闘を止めに入ると見物人から暴動が起きた、なんて事例もあるほどだ。
ここで注意すべき点は、一点。わが国の決闘は、土地(領地)がらみの紛争以外は行ってはいけない。なりゆき、所領管理者たる国王と、あらゆる原罪を免除する司法の許可が必要になる。要は小さな私戦争での一騎打ち解決との見方だ。
なので、この決闘許可申請件数は、過去八年でゼロだと聞いた。
手続きが面倒なこともあるが、所領の境界線で揉めてるのがバレたら、管理者たる国王のメンツを潰すことになり、喧嘩両成敗で双方の所領没収もありえるからだ。
ゆえに、騎士の名誉がどうたらとか、二人の男が一人の女の愛をめぐってこうたらとか、そういう小ぎれいな事情でする決闘は、戯曲にしか出てこない。
なので、セスフォード伯爵家とファーニスト伯爵家が、ディアンケヒト家に社交会で投げ飛ばされた恥ごときで、格上の公爵家に決闘を持ちこむのは、筋違い。相手にするだけ無駄である。
そのはず、なんだが。
俺は上座をチラリと見てから、となりに小声をかける。
「御屋形様はなんと?」
「今朝やってきた使者に、領地をかけるなら受けて立つ、とあしらったそうです」
さもありなん。おれは肩を揺らして、パンのうまさに舌鼓を打つ。そして、咀嚼を止める。
「二つの伯爵家が、その売り文句を買ったと?」
シンクレア夫人はこくこくこくっと頷いた。
俺は引いた。ねーよ。ありえねーって。そんな馬鹿げた話があって……マジか。
「シンクレア夫人。昨日の社交会でのトラブル。原因はなんだと聞いていますか?」
「伯爵家の喧嘩で飛んできたお皿が、アースキン伯爵夫人に当たったと」
「いえ、そっちじゃなくて。その二人の喧嘩の原因です」
シンクレア夫人は、虚空を見つめたまま、葡萄の粒を口に入れる。
「トマト……」
「は?」
「たしか、トマトという農作物の投機で揉めていたとか」
「サリバン先生」
上座から声がかかり、思わず長イスから立ちあがる。
「まさか二ヶ月という短時間で、娘が魔力を制御できるようになるとは思わなかった。先生のお陰だな」
「恐れ入ります」直角最敬礼でお辞儀する。
ディアンケヒト公爵ウォーデン・アズマ・ディアンケヒト
三六歳らしいが、見た目には二十代後半の若さを保っている。
二〇年前。魔人戦争において〝クレイグミラー籠城戦〟における激戦で武功をあげた魔法剣士。彼は王国の生きた伝説だ。俺も戦場で何度も彼の勇姿を見て、魂を奮えたものだ。
人柄は快男児だが、いささか貴族らしからぬ庶民じみた振る舞いが目立つ変人だった。
「ルシェルに〝
「承知しました」
〝火炎槍撃〟は、火属性中位魔法。王国内の魔法学校の卒業試験課題となる魔法だ。
貴族において、親が子に教育を施す習慣は低流貴族ではよくあるが、上流貴族では方針だけ決め、後は家庭教師任せが多い。とりわけ魔法は別格で、良い魔法使い、魔法剣士は金の靴を履いてでも探したい。
だが親が魔法剣士なら、話は違う。魔法専門の教師を雇う経費もバカになるまい。
採用面接の時、そのことを訊ねた。するとウォーデン公爵は真摯な顔でうなずいた。
「おれの技はすでに上の二人の男子に伝えた。娘は体も弱いから、兄たちと違って剣士にはさせられない。純粋に巫術と魔術を身につけさせたいと考えてる。そのための王立魔法学校進学でもあるな」
エレオノーラにはすでに成人した兄が二人もいることを、俺はこの面接であらかじめ聞かされた。二人とも十代で魔法学校を飛び級二回でさっさと卒業し、帝国に潜入させているらしい。
二人の兄は実子じゃないな。家庭教師の感でピンときた。
「先生は剣にも覚えがあるらしいな。今度、私と手合わせしてみるか」
「それは、かまいませんが」誰から聞いた。
「なんだ。なんでもいってくれ」
「先ほど、巫術を身につけさせるとうかがいました。両律は可能でしょうか」
「精霊万象思想と超自然思想の両律……それもまた先生の目で判断してくれ。これまでの家庭教師たちは娘を失望させ続けてきた。不勉強すぎる、といってな。お陰でついたあだ名が〝クビ切り令嬢〟だ」
それから、当の〝ゲンブツ〟と引き合わされて、理解した。
知り合い顔じゃなかった、あの夜の、とんでもないじゃじゃ馬だとはな。
それが二ヶ月前の話だ。
§
「お食事中の所、失礼いたします。至急の陳情をお持ちしました」
食堂に入ってきたのは、近衛兵のボールス少尉だった。武官平装で、右手に赤く塗った木札。緊急入室許可の割り符だ。初めて見た。
「陳情人は」
「カルダム村のバートランドであります」
領主にメモ紙を渡すと、ボールス少尉は二歩下がって直立し、裁可を待った。
「ボールス。バートランドを談話室に通せ。この件はルシェルに対応させると伝えろ」
「はっ」
近衛兵が食堂を出て行くと、当主がメモ紙をテーブルに滑らせた。
トラブルが音もなく、俺に飛んでくる。途中、エレオノーラがはしたなくインターセプトの手を出したがメモ紙のほうからひらりと躱していく。俺はメモ内容に違和感をおぼえた。
「これをエレオノーラ様にですか」
「領内の問題だ。適任者の手が足りない。後始末はディアンケヒトが請け負う。ただ、この件は表沙汰にしたくない。懲らしめる程度で済めばよし。すまなければ叩きのめしてくれて構わない」
「承知しました」
「もぉっ。せんせぇ~。わたくしにも見せてくださいっ」
エレオノーラがせがんできたが、おれはメモ紙を畳むと、虚空にパッと放って銀貨に替えた。
「わあっ。コインになったあっ」
四歳の末っ子ヴィクトリアが玉子で黄色くなった口をOの字にする。
「ふーん。単純なミスディレクションじゃん」
八歳の三男アルバートが訳知り顔で冷ややかな目を向けてくる。
「では。食事を済ませた方から、一階の談話室に入れまーす。誰が一番かな~。よーい。どん」
おれが勝手に決めると、子供たちは無言で匙を動かし始めた。
「最近のうちの子たち、
公爵夫人ウスキアスが怪訝そうな笑顔で、のんびりと手を頬に当てていた。
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