第1部 首切り令嬢と首なし家庭教師
第1章 公爵ディアンケヒト家の人々
第1話 令嬢エレオノーラ、社交会デビュー…成功?
「サリバン先生っ!」
納屋を改造した俺の私室にノックもなく、お団子頭の
「先生っ、サリバン先生っ、お嬢様に鉄扇術などという暴力を教えたの、あなたですよね。さりば――。ちっ。あんの野郎ぉ、逃げたな?」
ベッドに手を入れて温もりを確認し、ベッド下を覗くと、女性家庭教師は殺気だったセリフを吐き捨てて部屋を出ていった。
俺は天井の
この元納屋は、ベッドだけでいっぱいになるくせに、天井だけは高いのだ。
「お嬢め。昨日あれほど護身以外で、やるなって念を押したのにっ」
カレドニア王国の都市ゴリアス。
港湾都市の領主であるディアンケヒト家は公爵を戴き、王国内外において比類なき名家だ。また、領都を王都近郊の都市ゴリアスに置いたことは、子々孫々、未来永劫の変わらぬ守護を誓約する証だという。
一方で、ディアンケヒト家は、貴族の間では「奇人変人」「錬金術師」「奇天烈大百科」など陰口に事欠かない変わり者一家としても知られていた。平民の間では、「商売上手」「軽税いいんすか」など人気もある。
それでも先代女王エレオノーラから、ディアンケヒト家に待望の第一子である女児が誕生した折には、女王みずから御名を
そんな王国だったが、ずっと順風満帆でやってきたわけでもない。
このアルビオン島には「険悪姉妹」と歴史が
名君と讃えられた女王も、南隣国のアンジェヴィン帝国と過去最長の十年にわたる戦争を続けた。
これを「魔人戦争」と呼んだ。
帝国が、王国から「魔獣」と呪われた鉄甲の兵器をくりだせば、王国は、帝国から「魔人」と怨まれた魔法剣士でこれに対抗した。
十年つづいた戦いの後、十年の停戦期間。今も国境では高い壁で南北を隔てて、交易だけが平和裏に続けられていた。
俺は、師匠の教育方針で、わずか六歳で魔術師として魔人戦争にも従軍した
十四年たった今でも、停戦後の国境を見に行くことはない。どころか、今でも近づきたくもなかった。戦場を間近で見た四年間は、誰が得したかもわからないほど、ひどい惨状だった。
なのに魔人戦争後も、王国は今も魔法剣士の育成に余念がなく、魔法というものをありがたがっている。悲しいかな、その世相にはディアンケヒト家も少なからず影響を受けていた。
愛娘がもうすぐ魔法学校の入学年齢になるので、魔法専門の家庭教師を雇った。
それが俺――コンラッド・サリバンだ。
もともと公爵令嬢には、読み、書き、計算、マナーを教える
彼女はゴリアス在住の元宮廷侍女。旦那は無領子爵でゴリアスの地方長官をしている。あと二年ほどしたら王都の宮廷文官に復職するから、それに合わせて彼女も辞めて王都に戻るだろうとメイドたちが噂していた。
こん、こん、つー、こん……(F)
ドアを固い物で小さく叩く音がする。それが何かのリズムのように素早く刻まれる。
F……R……I……E……N……D……L……Y(FRIENDLY/友好)
俺が彼女から教わった、不思議な符牒だ。
「どうぞ」今となっては俺も苦笑するしかない。
「やっぱりまだ、いらっしゃったのですね、先生」
ドアの隙間からそっと
ルシェル・エレオノーラ・ディアンケヒト――。
俺の弟子だ。
つっぱっていた壁を蹴って壁づたいに着地すると、俺は唯一の家具といえるベッドに腰掛けた。それから令嬢に隣をすすめる。チビなので腰を支えて座らせてやる。
早速、俺から話を切り出す。
「エレオノーラ様。昨夜の社交会デビューは、どうでした?」
「え、ええっ、もちろんっ。あれは、悪くない結果だったと自負しております」
誇らしげに背すじを伸ばすが、声はうわずっていた。
「何人と踊れましたか?」
「五人ほど、でしたかしら?」なぜ疑問形。
「五人も投げ飛ばしたのではなく」
「もっ、もちろんですわっ」
「その中で一番誰が上手でしたか?」
「えーと……レイモンド家の」
「レイモンド家の嫡男は、まだ八歳だったはずですが」
「そ、それでは、あれはヘプバーン家でしたかしら」
「ヘプバーン家の男子は、当主のレイノルズ卿だけです。七二歳ですよ」
貴族一般で、社交会を嫌がる子女が多いのは、コレだといわれている。
相手貴族の顔から家名と名前を覚えられないのだ。手紙の宛名に、それらをフルセットで書かなければ非礼にあたる。だが覚えるタイミングとして社交会デビューなら、相手の家と名を間違えても、双方の家にとって大した
そのため、戦後の貴族社会は社交会デビューを早める傾向にある。戦争がなく、貴族が増えすぎてもいる。覚えるなら、貴族の顔が変わらない間にと。みな、世渡りに必死なのだ。
エレオノーラの場合、十一歳で社交会デビューは若すぎだが、公爵家の長女ともなれば早いうちから貴族の顔と家格と名前、マストで家族構成までを叩き込んでおくことは悪いことじゃない。十一歳は身体的にダンスは踊れるはずもないので、社会見学だろうというのが俺の見通しだった。
「エレオノーラ様。王都主催の社交会で、何をやらかしたんですか?」
たぶん、シンクレア夫人が目の色を変えて俺の部屋に来たのは、この令嬢がここへ逃げこむとわかっての、朝討ちだろう。
エレオノーラは、俯きがちに小さな唇を尖らせて、「わたくしは悪くありませんよぉっ」頬をむくれさせる。俺はつい、そんな令嬢の頭を撫でてしまう。
「エレオノーラ様はダンスの最中に、相手を投げ飛ばすような無粋なマネはしないでしょう?」
「もちろんです。足を踏んでくれば、一クールでお別れしてますが」
俺は頷いた。社交会のダンスとはそういうものだ。
ダンスにはリード&フォローというルールがある。パートナーあっての交流だから当然、習熟も相性もある。気乗りしなければ丁寧にダンス流の挨拶をして、その場を離れる。
王都主催はダンスの習熟を披露する場でもあるから、恋愛交遊の場以上に、誇大広告の意味合いが強い。俗にいえば、顔を売らなければならない。未熟や気の合わない相手と踊って自分の技量を下げるようなことがあっては名折れになる。それがダンスだ。なので、十一歳のチビ少女と下心なく踊ろうという成人男性はまず、いない。
だから、彼女のトラブルは、ダンスホールの外で起きた何かだ。
エレオノーラは、観念した様子で肩を落とすと、ぽつりぽつりと語り出した。
「あの。セスフォード伯爵家と、ファーニスト伯爵家がケンカを始められて」
「おやおや」
どちらも古いが大きな貴族じゃない。もっといえば親戚同士だ。
「その時、投げたお皿が、アースキン伯爵夫人に当たってケガを」
アースキン伯爵夫人は、ディアンケヒト公爵夫人──エレオノーラの母親の従姉妹にあたる人物で、いわばディアンケヒトの眷族だ。昨夜のエレオノーラの社交会デビューで介添え役だった。小母さんにケガをさせられて、エレオノーラがその場で激怒したことは正当だし、理解できる。
「夫人のケガのほうは?」
「はい。ひたいを三ミリほど切って出血を。でも先生から教わった治癒魔法ですぐに消えました。周りで介抱してくれたご夫人方も驚いていました」
エレオノーラは親指を立ててニカリと笑う。おれは肩をすくめて応じた。
それはそうだろう。こっちは戦場で死にかけた仲間を一人でも多く助けるため、効率に効率を重ねて練りこんだ治癒魔法術式だ。三ミリ程度なら、むしろ驚いてもらわなければ困る。
「それで? その後、エレオノーラ様は、ケンカしていたキツネとウサギの狩りに出かけたわけですか」
「まあ、先生。うまいことをおっしゃいますのね」
「いやいや、うまくないから。これ皮肉だから」
社交場で貴族が親戚同士で揉めているのだ。やらせておけばよかったのに、どうしても腹の虫が治まらなかったのだろう。俺は一応、訊いてみた。
「エレオノーラ様、一応お
「もちろん。先生に教わったとおり、扇で手首を押さえて床に転がしただけです」
実は社交会には、デビューする子女を狙った痴漢が少なからず湧く。タチの悪いのが、子女が怯えるほど体をベタベタ触っておいて、「そこに体があるのが悪い」と居直る不埒な輩もいる。
なので、俺が〝魔法の一環〟として、万が一の護身を教えた。扇子を使った軽い小手返しだ。
ただ、このご令嬢、飲み込みは早いが、いささかやり過ぎる傾向がある。
「双方とも、しばらく起き上がってきませんでしたけれど」
ほら。やっぱりな
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