第3話 飢えるのは、いつも人間とは限らない



 談話室。

 一階にある使用人用の休憩所だ。各テーブルに椅子が二脚。窓ぎわにベンチが二脚。

 家人用の談話室は、三階にある。そっちには酒や楽器、書籍などの貴重品が保管されていて、貴族の高直な趣味娯楽がつまっている。


「ああ、先生っ。お嬢さま……っ」


 おれを先頭に子供連れで入ると、水を前にしたバートランドが立ち上がった。


 ホーズと呼ばれる長ズボンを穿き、ジャケット風の外套ジャクを羽織った四十がらみの男。この談話室は使用人部屋だし、農夫にまで口うるさくマナーを要求する使用人はこの館にいない。本当に家格というものに無頓着な公爵さまなのだ。


 バートランドは、カルダム村の長で四〇歳。頭部はすっかり日焼けた地肌が見えて、波に洗われた岩壁の海藻と評したら、子供たちから爆笑を得た。


 性格は野心家で、新しい物好き。細君は十二歳年下の二八歳。二年前までエレオノーラ専属のルームメイドだったらしい。その関係からバートランドは令嬢のシンパで、いろんな情報をもってきた。エレオノーラも農業に興味があるらしく、二人は馬が合っているようだった。


 それで朝食時の急報は、エレオノーラ宛てだった。


「ジャガイモの貯蔵庫を襲われたんですって?」 


 エレオノーラが切り出すと、農夫は喧嘩に負けた子供みたいに顔をくしゃくしゃにした。 


 ジャガイモ。

 エレオノーラがそれに出会ったのは、三年前。八歳の頃。

 知り合いの貴族商会から、通商外交の土産で贈られた中にあったらしい。

 発祥は隣国のエンジュヴィン帝国南部のベンサムという町。そこの夏祭りメイデーで毎年、女王に選ばれた娘がかぶる花冠にもされる花の種だそうだ。


 けれど令嬢が着目したのは花でなく、その根のほう。その花の栽培をカルダムの村に頼んだのは、単純に専属メイドの嫁ぎ先だったから。実に子供らしい発想だ。と聞いてて思ったが違った。


「あの時はまだ、お父様に知られるわけにはいかなかったのです」

「知られるわけにはいかない……なぜです?」


 以前、エレオノーラは決然とした眼差しで未来を見定めていった。


「ジャガイモが、三年以内に領内の民の貧困を救うことになる。そう確信していたからです」


 俺はその話を聞いても、訳がわからなかった。


 その確信から三年後。わずか三年で、ディアンケヒト領内から冬の餓死者が一人も出なかった。もちろん他の死者は出たが、少なくとも毎年餓死者を出していた村が誰一人欠けることなく、越冬できたという。

 その三年の間に、直接栽培を手がけたバートランドが、ジャガイモを周辺の村に配って育て方や食べ方を教えて回ったことにあった。


 カルダムは小さな村にすぎなかったが、ジャガイモの栽培が領内で評判になり、株を上げた。今年に入り、バートランドは村長にも選ばれた。

 一方で、彼の後ろで栽培法の指示していたのが十一歳になったばかりのエレオノーラだったことが、領主の耳に入った。かくして、家族会議は開かれた。


 エレオノーラは領主に内緒でジャガイモを栽培、配布したことを謝らなかったという。


「お父様。貧しい者達を飢えから救うことが罪ですかっ!?」


「そうは言わん。だがこの〝野菜〟がうちの領内に出回ったことで、周りの領邦領主から嫉妬を買うだろう。そのことを心に刻め、といっている」


「それは……っ」


「誰かが何十年もかけて苦し紛れに気づくことを、お前は。そして三年かけて栽培を積極的に推し進めた。ご丁寧に土壌の改良まで手がけてな。その結果をちゃんと最後まで見届けろ。そういってるんだ」


「わかりましたっ。責任を取れとおっしゃるのなら、いかようにも処分なさってくださいっ」


 言葉通りなら、エレオノーラは喧嘩腰で吐き捨てたのだ。

 娘に手を焼く領主の困惑顔が目に浮かんだ。


「ルシェル。〝転生者〟の知恵を用いるなとはいわん。おれだって〝転生者〟だ。十代の頃はバンバン使いまくって周りを驚かせたさ。おれが言いたいのは、ジャガイモのことでバートランドが村長になったよ、やったね! で、終わるなといっている。その後も見届け、始末をつけろ。お前なりのやり方で構わん」


  §


「あの。まことに差し出がましいのですが──」


 おれは家庭教師に雇われたての頃に初めて食べたジャガイモの話を聞き、令嬢のために領主の執務室へ推参した。令嬢が肝心なことを確認しそびれていたからだ。


「領外からジャガイモを分けて欲しいといった申し出に対して、ディアンケヒトの姿勢をお聞かせください」


 エレオノーラはハッとしておれを見た後、父親に返り見た。

 ウォーデン・アズマは面倒くさそうに鼻息した。


「売ればいいさ。ただし、通常価格の三〇〇倍でな」

「さ、三〇〇っ!? 慮外ですわ。お父様、馬鹿ですの?」

「親にむかって馬鹿とはなんだ、馬鹿とはっ!?」


 娘の軽蔑する目に、父親がブチ切れた。エレオノーラは怯まず身を乗り出す。


「飢えた狼に羊肉をちらつかせて、お前の肉と毛皮を寄こせといっているようなものだと申し上げているのです。戦争になりますわっ」


「そーおーだよぉ? 悪い?」

「お父様……ウザいだけですわよ」


 ウォーデン公爵は達観した目で、娘を諭す。

「飢えは貧しい者だけか? 力があって、その力を使えばぶんどれると思いこんでる心貧しい者から文句を言ってくる。お前らだけで食い物の独り占めは狡いぞ、こっちにも寄こせ。ってな」


「なるほど。それで三〇〇倍ですか」俺は納得した。


「おれは別に売るなとはいってない。ただ自分の領民の幸せしか考えてないのさ。それに満足できないヤツから暴れ出して喧嘩を売ってくるのなら、受けて立つ。だけど負けた後になって、貧者が臆面もなく善悪を持ち出して、国王うえに泣きつくのは業腹だってんだよ。だから、お前らはヤツらに善悪を持ち出される前に捌け。無理だと思ったら俺に言え。あんだぁすたぁん?」


 ところが、事態はこの時の領主の予想みたいに浅い話で終わりそうもなかった。


   § 


「これは……違いますわね」

 エレオノーラは現場を見て、ぽつりと言った。


 カルダムの村。

 村の農耕地を北東に抜けて、馬車で五分。

 湖沼ちかくの森に、おとなが三人は居れば一杯になりそうな小さなレンガ造りの小屋がある。


 そのドアを開けると地下へ続く階段。地下からひんやりとした冷気がダンジョンを思わせた。〝氷室〟アイスハウスという施設らしい。冬の間に雪や氷を運び込み、その中に秋のうちに収穫した野菜や血抜きした鳥獣を貯蔵する設備だそうだ。


 俺は初めて入るが、どうやら鍾乳洞を整備して使っているらしい。あちこちに鉄の管を通して、地下水を外に出しているようだ。湿気が少ないので肌寒い。


 そして、肝心のジャガイモは、おがくずを敷き詰めた木箱の中で眠っていた。


 安心した笑顔を見せるエレオノーラだったが、奥に進むにつれ、木箱の残骸がめだち始めると足が止まった。代わりにおれが前に出て、剣を抜く。


「先生っ!?」

「大丈夫です。ニオイはありますが、気配はありません」


 獣の仕業じゃない。明らかに魔物のニオイだ。


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