第−4話 信じてた

『明日放課後に講習があってさ……だからごめん、来れない』

 受験生にとっては長く苦しい夏休みが終わり、学校では迫る高校入試へ向けての動きが強まった。放課後の講習も不定期で開かれ、彼女と会える時間は少しずつ限られてきていた。

『……そっか。いつもお疲れ様』

 彼女の病状の変化を感じたのは、二学期が始まってからだった。本当に少しずつだが声に張りが無くなり、以前に比べてゆっくりと話すようになったように感じた。

『だからさ、これ』

 俺は、ポケットから小さな赤い袋を出し、ベッドテーブルの上に置いた。銀色のシールが窓の光を反射し、輝きを帯びていた。

『今年の誕生日プレゼント。安物で悪いんだけど』

 彼女は一言礼を言って、封をしていたセロハンテープに苦戦しながら袋を開けた。

『……ネックレス?』

 ハートを形取ったチャームが付いたゴールドを、彼女はじっと見つめる。

『子供っぽかったかな』

『ううん、そんなことないよ。……ねえ、付けてちょうだい?』

 俺にネックレスを預けた彼女は背中を向けた。長い髪を持ち上げて、白い首筋が露わになった。その背中、前はもっと広かった気がする。

『ちょっと失礼』

 チェーンが冷えていたのか、肌に触れた瞬間ピクっとした。そんな姿もまた、愛らしかった。

『できたよ』

 彼女はベッド脇の引き出しから手鏡を取り出して、元に直った。しばらく鏡と睨めっこすると、ふいに俺の方を見上げた。

『……どうかな?』

『似合ってるよ』

 指先で長い髪の毛の先端を弄り、照れくさそうに微笑んでいた。

『ありがとう。アクセサリーとか、全然持ってなかったから……嬉しい』

 今年の誕生日は両親が来てくれると、彼女は喜んでいた。俺があげたネックレスも、嬉しいって言った。でも拭いきれてない切なさに、彼女は気づいていただろうか。

『一つも持ってなかったの? せっかく美人なんだから、もっと着飾らないと勿体ないよ』

『っ……褒めても何も出ないよ』

 本気のつもりだったが、彼女の心には届かなかった。彼女は枕元に座っていたむーむーを、膝の上に乗せた。そこは、いつしかむーむーの特等席と化していた。

『早く勉強するよ。受験生でしょ』

『切り替え早いな。ネックレス外そうか?』

『……もうちょっとこのまま』

 彼女はハートのチャームを触った。彼女の黒い髪に、ネックレスのゴールドは良く映えていた。

『明日の朝、おめでとうのメッセージ送るから』

『うん、楽しみにしてるね』

 患者衣にネックレスというのは不自然だったが、それでも綺麗だった。




 十二月二十五日、街は綺麗な飾りで装飾され、世間一般の人々は浮かれに浮かれまくっていた。が、いつの時代も受験生にクリスマスなど存在しない。同じ東暁高校志望の同級生三人と、俺はファミレスで勉強会をしていた。

『とりあえず、これでクリぼっちは回避したわけだ』

『智樹マジでナイス』

『だろ? まさか優真も話に乗ってくれるとは思わなかったけどな』

 本当は、行くべきではなかったのかもしれない。今日がクリスマスであろうと彼女は変わらず病気と戦っているのに、そのころ俺は友達とファミレスなんて、後ろめたくて仕方なかった。

『……まあな』

 けれど彼女は、入院以降もクリスマスだけは両親と過ごしていた。彼女の両親に対しては誕生日もそうしろよと何度か思ったが、どうしても仕事が忙しいと聞いたので、部外者の俺はなんとも言えなかった。とにかく、彼女にとってクリスマスは家族水入らずの貴重な時間。俺が変な気を遣ったところで、出来ることは何一つなかった。

 昼間から勉強して、約四時間。夕食時が近づき、店内が賑わってきた時間帯を迎えた頃。

『くぁー! 疲れたぁ!』

 智樹が声を上げたのを皮切りに、そろそろ解散しようという方向に話が向いた。会計を済ませて外に出ると、街は綺麗なイルミネーションで輝き、賑わいを見せていた。生憎、俺ら受験生男四人は、若いカップルとばかりすれ違った。三人はカップルたちを目で追っていて、それを見ているこっちが虚しくなってしまった。

 ……俺だって、クリスマスを一緒に過ごしたい人がいた。

『優真が教えてくれて助かったわ!』

 唐突な話題に、思わず笑ってしまった。この微妙な空気に耐えられなかったのだろうか。

『またわかんないとこあったら聞いて』

 彼女に教えてもらっていた立場ではあったが、それを人に教えることもまた、俺の役目の一つになっていた。自分が教える側になって、彼女の説明がいかに上手いか、度々痛感していた。

『優真って、一年の最初の頃はバカだったよな』

『え、そうなん?』

 三年間、クラスも部活も同じで仲が良かった智樹は、俺の成績の変化をよく知っていた。事実ではあったけど、言い方になんだかムカついた。

『何、喧嘩売ってる?』

『いや……何したらそんなに変わったんだろうなって』

 確かに、側からしてみれば不思議な話だった。一年の最初の、あんな簡単な問題にも悪戦苦闘していた俺が、三年になる頃には学年で十本の指に入るか入らないか。部活を続け、塾にも行かず、この好成績。……自分で言うのも変な話だが。

『俺は学年一位に教わってるから』

 胸を張って答えた。教科書を指差して、問題の解説をしてくれているときの彼女の横顔が、自然と思い浮かんだ。

『あのメガネに教えてもらってんの⁉︎ 優真と話してるの見たことないんだけど……』

『違う違う、俺の先生は———』

 気づくと、静かに雪が舞い降りていた。俗に言う、ホワイトクリスマス。

『本物の、学年一位の子』

 今頃彼女も、両親とこの景色を見ているのだろうか。そんなことを頭の片隅で考えていた。

 



 家族で夕食を済ませ、沢山の料理を詰め込んだ腹をさすりながら部屋に戻った。そしてベッドに腰を据えた瞬間に、スマホが鳴り出した。スマホを手に取ると、それは彼女からの電話だった。

『……もしもし?』

 全く意味はないのだが、俺は無意識のうちに立ち上がっていた。

『優くん、メリークリスマス』

 久しぶりに両親とのんびりできたのか、いつもより声のトーンが高かった。

『メリークリスマス。今日は楽しかった?』

『うん。二人ともプレゼントいっぱい持ってきてさ、片付けが大変だったよ』

 冗談めかして言う彼女の、楽しそうな表情が容易に想像つく。

『良かったな。それで、どうかした?』

『うん……あのね———』




 サンタクロースの足跡が消えかけた雪の日。その日に来てほしいと、クリスマスの夜に彼女から告げられた。正直なところ、俺は嫌な予感しかしなかった。これが物語の世界なら、良くない展開が待ち受けていただろうから。

『……優くん、こっち来て』

 丸椅子に座って口をつぐんでしまった俺に、彼女は呼びかけた。

『……こう?』

 俺はベッド脇に立ってみた。けど違ったらしく、彼女は首を横に振る。

『こっち』

 俺の手を掴んで、彼女は自分の真横に俺を引っ張った。足はベッドの端に当たり、手が囚われているので動けない。勉強を教わっているとき以外でこんなに近いのは初めてだった。

『どうした急に……』

 彼女は俺を見つめて、にっこりと笑った。そして、俺の背中に両手を回し———そのまま身体を俺に預けた。

『ふえぁっ⁉︎ なななななっ何して……⁉︎』

 突然好きな女の子に抱きつかれて、慌てふためかない男子はいない。場の雰囲気を読んで、優しく受け止めてあげれば良かったものを。

『……優くん……ありがとう』

 彼女の細い呟きに、ようやく我に返った。さっきまでとは違う焦りが、心を侵食していった。

『……何かあった?』

 聞くのは、すごく怖かった。もう最期が近いとか、そんなことを言われるんじゃないかって。

『うん、あったよ』

 ドクンと、心臓が大きく跳ねた。手に汗が浮かび、きっと酷く醜い顔をしていたことだろう。そんな俺の緊張を知ってか彼女は俺から離れ、俺たちはただ見つめ合う状態になった。そのとき彼女は、ほんのりと笑みを浮かべていた。

『———ドナーが、見つかったの』

『……えっ』

 彼女の余命は、医者の言葉通りなら残り約四ヶ月。でもそれは確か、臓器移植が出来なかったらの話で……ドナーが見つかったということは……

『助かるのか?』

『そうだよ……!』

 久しぶりに見る、眩しい笑顔だった。それを見た瞬間、目頭が熱くなって視界がぼやけた。

『わっ……』

 泣きそうになっているのを見られたくなくて、今度は俺が彼女を抱きしめた。

『よかった……ほんとによかった……』

 もう言葉も出ないほどに感極まり、少しでも気を抜けば、安堵のあまり座り込んでしまいそうだった。

『ゆ、優くん、苦しいよ』

『あ、ごめんっ』

 彼女の一言で、自分の思い切った行動に気がついて、顔が熱くなった。でも隠したりしなかった。彼女の目は潤んでいて、俺の顔なんてしっかり見えていなかっただろうから。

 これで彼女は助かる。長い闘病生活から解放されて、自由になるんだ。




 だが、奇跡というのはそんなに安いものではなくて———





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