第−6話 約束と恐怖と夢と
夏の努力が報われ、休み明けのテストは絶好調だった。順位は初の一桁にランクインし、基礎が固まったおかげでその後の勉強でもさほど苦労せずに済んでいた。夏の間に変貌した声色にもすっかり慣れ、学校生活は目まぐるしく過ぎ去った。そして先生たちが中間テストの話をし始めた頃、俺は違うことに頭を悩ませていた。
『今年のプレゼント?』
彼女とむーむーの出会いから、もうすぐ一年が経とうとしていた。去年はクラスの女子の入れ知恵でプレゼントを選んだが、次こそは自分で考えようと頑張ってみた。が、良い案が全く浮かばず、最終的に本人に聞く始末。
『うん。今度はちゃんと欲しいものあげたいからさ』
嘘つけ、思い浮かばなかっただけのクセに。正直に言えない自分に嫌気がした。
『……いらないよ』
彼女は膝の上に座るむーむーの頭を撫でながら、小さく呟いた。
『いいよ、遠慮しなくて。なんか、欲しいものとか———』
『ない! 私はこの子がいれば十分』
むーむーを力いっぱい抱きしめ、彼女は優しく微笑んだ。たかが二千円ちょっとのぬいぐるみを、彼女は一年も変わらず可愛がってくれていた。
『えー、いやでも……』
俺は困った。去年はぬいぐるみをあげて、今年は何も無しだなんて、なんだか変な気がした。
『プレゼントはいらないよ。だから……当日来てほしいな』
右手で髪の毛をクルクルといじりながら、彼女は言った。去年彼女が見ていた動画投稿サイトの画面が、微かに思い浮かんだ。
『……約束したじゃん。もともと来る予定』
『ほんと?』
頷いて見せれば、彼女は顔を綻ばせた。
『欲しいものないなら、俺が適当に用意するよ。文句なしな』
『えー、ほんとにいいのに……』
見舞客用に置かれた小さいテーブルに俺が勉強道具を広げる横で、彼女はまたむーむーと戯れていた。
『———先の短い私に、そんなに構わないで』
か細くて、聞き取れたのは奇跡か偶然か。むーむーだけに聞こえる声で言ったつもりだったのだろう。
『……ここの文法問題なんだけどさ』
俺は聞こえなかった振りをして、英語のワークを持ち寄った。英文に目を通す彼女の横顔は、変わらず綺麗だった。
迎えた彼女の誕生日。その日は去年と同じく部活があって、病室に着くのはいつもより遅かった。ノックをすると返事があって、そこが去年とは違った。
『入るよ』
ドアをスライドさせて、俺は戸惑いを隠せずに動きを止めた。
『優真くん……』
いつも俺が座っている丸椅子には、彼女の母親が座っていた。今年は仕事が休みで、彼女の誕生日を祝いに来たのかと思ったが、どうやらそんな和やかな雰囲気でもない。
『こんにちは……何かあったんですか?』
二人は困ったように顔を見合わせ、彼女が先に口を開いた。
『今朝、手術を受けたの。さっき起きたところ』
理解が追いつかなかった。手術を受けるなんて聞いてなかったから、たぶん緊急の。
『大丈夫、なのか?』
少し声が掠れてたけど、そんなの無視してベッドへ寄った。
『うん、もう平気だよ』
彼女は明るく振る舞っていた。でも前会ったときよりも顔が青く見えて、血の気が引いていくのを感じた。
『あんま無理するなよ。……俺は失礼します』
『え……ま、待って』
術後の身体に無理は禁物だからと思い、俺は踵を返した。彼女の制止も聞かずに。
『ごめんね優真くん、また遊びに来てあげて』
背中で受けた彼女の母親の言葉には、どこか聞き覚えがあった。ほんの少し冷たい何かが、俺の心をつつく。そんな感覚がした。
『今日、お祝いしてくれるって……約束した』
『……あぁ』
そうだ。持ってきたのに、プレゼント。彼女に言われて思い出した、その小さな包みを鞄から多少乱暴に引っ張り出し、再びベッドの側に寄って渡した。
『おめでとう。お大事にな』
目を合わせられなかった。また彼女の綺麗な瞳に魅せられるのが怖くて。そのまま、誰かが言葉を発する前に病室を出た。
馬鹿だと思った。彼女は病気で、余命宣告だってされた。俺はそれを承知の上で彼女の側にいた。絶対助かるって思ったし、そう信じた。でもそれ以前に、ある程度の覚悟は決めたつもりだった。なのに今さら、怖くて怖くてたまらなくて。
その日の夜、夢を見た。場所は彼女の病室。窓の外は、青なのか橙なのか、よくわからない色をしていた。彼女の身体には何本も管が貼られ、それと繋がっている機械は、ドラマとかでよく患者の死を知らせるアレだった。彼女は酸素マスクをし、顔は見たことがないほど青白くて———息のある人間とは思えなかった。俺の一生で一番と言っても過言ではないほど、不吉で嫌な夢。真夜中に目が覚めて、その後一睡も出来なかった。
『プレゼント、ありがとう』
その数日後、俺はまた彼女に会いに行った。
『このシャーペン、前に私があげたやつの色違いだよね。ピンクがあるなんて知らなかった』
あんな夢を見てしまった手前、来るのをやめてしまおうとさえ考えたりもした。実際、逃げた方が楽なのは間違いなかったし。それでも俺は、ここまで来てしまった。
『これで……お揃い、だね』
俺があげたシャープペンシルをベッドテーブルの上に置き、じっと眺めていた。右手で髪の毛を触りながら、頬を緩ませて。窓から差し込む夕焼けがペンに反射して、ピンクゴールドに輝いていた。
逃げることより、大好きな彼女を見捨てることの方が、俺には無理だった。たとえあの夢が、現実になったとしても。
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