第−8話 寂しいって言って
彼女が病室に閉じ込められている間にも、容赦なく時は流れ行く。夏が過ぎた少し肌寒い季節、彼女は十三歳の誕生を迎えた。俺は部活があったのだが、どうしても当日に祝ってあげたくて、疲れた身体にムチ打って病室へ向かった。
コン、コン、コン———
彼女の病室をノックしたが、返事は無かった。いつもは明るい声で応えてくれるのに。
コン、コン、コン———
もう一度ノックした。それでも返事は無くて、とてつもない不安感が俺を襲った。
『……入るよ』
一声かけて病室のドアをゆっくりスライドさせた。凛のベッドにはカーテンがかかっており、入り口から中は見えなかった。そっと近づいてカーテンの隙間を除くと、彼女は耳にイヤホンをしてスマホを見ていた。
『……あのー』
少し声を張って呼びかけると、彼女はパッと顔を上げ、慌ててイヤホンを外した。
『優くん⁉︎ どうしたの急に、今日部活でしょ?』
俺の不安は音もなく溶けて消えた。
『そうなんだけど……誕生日だから、祝いに来た』
ベッド脇の丸椅子に腰掛け、鞄から赤い包みを取り出した。
『あ……そっかそっか、今日だったね……』
彼女はベッド脇の引き出しの上に置かれた卓上カレンダーを見て、細々とつぶやいた。
『誕生日おめでとう』
彼女はまだ驚きが抜け切らない様子で、その包みを受け取った。それもそうだ、今までお互いの誕生日といえば、お菓子と『おめでとう』の一言で済ませていたから。実は前から、こういうのやってみたいと思っていた。
『ありがと……開けてみてもいい?』
『うん。気に入ってくれるといいけど』
彼女はゆっくりとリボンを解き、中身を取り出した。
『……かわいい』
俺が選んだのは、抱き抱えるのにちょうどいいサイズの、くまのぬいぐるみ。
『クラスの女子に聞いたんだ。こーゆーの、何あげたらいいかわかんなくて』
病院で一人は絶対寂しいからと、その女子たちは言っていた。でも彼女がぬいぐるみなんて持っていた記憶はなくて、好みじゃないかもしれないと、少し不安だった。
『嬉しい……大事にするね』
顔を綻ばせ、彼女はぬいぐるみを抱きしめた。俺の心配は蛇足だったらしい。
『名前、どうしようかな……』
『名前?』
『うん。いつまでも「くまさん」じゃ可哀想だから』
ノートとペンを取り出し、彼女は何かを書き連ねた。
『この中だったらどれがいいと思う?』
俺にノート渡し、彼女はぬいぐるみの首元に巻かれた赤いリボンをいじった。
『マロン、こむぎ、むーむー、シャロ、くまこ……よく一瞬で思い付くな』
数えてはいないが、軽く見積もって十個以上の案が並んでいた。いつかペットでも飼うのを見越していたのだろうか。
『……むーむー、かな』
『じゃあ、むーむーで決定!』
言いながら、ぬいぐるみを高く持ち上げた。小さい子をあやすみたいに。
『いやいや、俺が決めていいのか?』
彼女のぬいぐるみなんだから、彼女が好きな名前を付ければ良いのではないかと思った。
『優くんがくれたんだもん。いいに決まってるよ。かわいい名前付けてもらったね、むーむー』
彼女はむーむーの頭をポンポンと撫でた。ぬいぐるみと戯れて……彼女にこんな可愛い一面があるなんて、それまで知らなかった。絶対に、間違いなく気のせいだけど、むーむーが笑っているように見えた。
『優くんの誕生日は過ぎちゃったから……また来年返すね』
『ん。楽しみにしてる』
俺としては、彼女が喜んでいる姿を見れただけで十分だった。でもそう伝えたところで、彼女は満足しないだろうから。
『……そういえば、さっきスマホで何見てたの?』
『……え』
布団の上にひっくり返ったそれを、彼女はそっと手で抑えた。
『な、なんでもないよ……?』
意味ありげに目を泳がせて、怪しさ百パーセントだった。
『何そのリアクション、余計気になる』
『ほんとになんでもないからっ』
彼女は膝にいたむーむーを、スマホの上に座らせた。何かはわからないけど、人に見せられないものを見ていたのは明らかだった。
『まさか、いかがわしい動画を———』
『違いますっ‼︎』
『隙ありっ』
彼女が気を抜いた瞬間を突いて、スマホを強奪した。今思えば、プライバシーの侵害で訴えられてもおかしくなかっただろう。
『ああっ!』
スマホは不用心なことにロックは掛かってなくて、ホームボタン一つで簡単に開いた。
映し出されたのは、動画投稿サイトの画面。視聴中だったのは誕生日ドッキリの動画で、おそらく主役であろう女の人がケーキを頬張っているところで止まっていた。
『……』
『た、たまたまオススメに出てきて、面白そうだったから見てただけ……』
俺が来たとき、彼女はまるで自分の誕生日を忘れていたかのように振る舞っていた。けれど彼女はまだ十三歳。そんなの強がりだって、少し考えればわかるはずだった。プレゼントを貰い、美味しいものを食べる。そんな楽しかった誕生日の思い出を、簡単に忘れられるはずがなかった。
『……寂しい、よな』
『別に……寂しくないもんっ』
その日は平日だった。両親は仕事で遅くなるだろうから、きっと来れなかっただろう。本来なら俺も来ないはずの日で、危うく彼女は、この閑静な病室で一人ぼっちの誕生日を過ごすところだった。
『来年も、祝いに来るから』
『……うん』
彼女はむーむーを抱きしめ、ただ頷いた。ぬいぐるみを選んだのは正解だったかもしれない。これからむーむーが、少しでも彼女の寂しさを埋めてくれますように。そう願った。
それが、余命宣告から半年が経ち、初めて見た彼女の弱い姿。
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