第34話 最後の一日一悪(保科正之アライグマ)

 名乗らぬコウモリによって全ての記憶が戻った保科正之アライグマだが、なぜか悔いるような表情になった。

「私が逃げなければ……」

 自らを責めるように呟いた後、打ち明けていく。


 保科正之アライグマは、外来生物法が施行される直前の幼い頃に売られた。小姓(飼い主)の家であり城は、前世江戸アニマル軍とは違う領地だった。いつもならすぐに前世江戸アニマル軍の領地に馳せ参じるのだが、特定外来生物に指定された為、すぐには行けなくなった。小姓に普通のアライグマとは性格が違うことを学習させ、自由に動ける環境にすることが必要となったからだ。ある日、そんな行動をとっていて、気付いた。前世江戸アニマル軍に入隊しなくてほっとしている自分に……。そんなときだった。雨が降る日、名乗らぬハクセキレイが城の開いた窓のかまちで休んでいた。保科正之アライグマはまだ自由に動けるまでの環境ではなかったが、部屋の中では自由にできるようになっていた為、名乗らぬハクセキレイに転生アニマル音で話しかけてみた。すると、転生アニマル音で返事が返ってきた。懐かしさと親しみで、保科正之アライグマはすぐに心を開いてしまった。名乗らぬハクセキレイも毎日のように訪れるようになった。そのことで保科正之アライグマは、何度生まれ変わっても、前世江戸アニマル軍の領主の兄(徳川家光)と弟(徳川忠長)の間を取り持たなければならない心労を口にしてしまった。名乗らぬハクセキレイは、今世だけでも面倒な兄弟のことは完全に忘れて自由な転生アニマルとして生きたらどうかと、名乗らぬコウモリを紹介してきた。


「私はその誘いに乗ってしまった。記憶を消すことに同意したのです。私は私の弱い心に負けたのです」


 自分を恥じるように保科正之アライグマは、顔を地面に落とした。体を小さくし、震えている。


「保科正之殿。過去を嘆いてもしかたない」


 慰めるように名乗らぬモンシロチョウが、保科正之アライグマの肩にとまった。


「そうじゃ。過去より今じゃ。今、何をするかじゃ」


 織田信長ウサギのこの言葉に、はっとしたように保科正之アライグマが顔を上げた。見る間に、その表情が決意に変わっていく。


「私はこの領地を離れ、野良となって前世江戸アニマル軍に馳せ参じます」


「それは危険じゃ」

 慌てふためいた名乗らぬモンシロチョウがとどめた。

「特定外来生物に指定されているアライグマではなくまた生まれ変わって……」


「待てません」


 遮った保科正之アライグマの覚悟は決定けつじょうしている。


「私、保科正之は、今を持って前世武将アニマル軍を除隊します。そして、最後の、一日一悪。領主争いを止めるため、出陣します」


 保科正之アライグマは織田信長ウサギに向かって深く頭を下げた。そのとき、肩にとまっていた名乗らぬモンシロチョウはふわりと舞い上がった。


 身を翻した保科正之アライグマは、木々の暗闇に入っていった。


「皆のもの。ハクセキレイとコウモリから目を離さず、しばし待て。サルとモンシロチョウは、わしについてこい」


 即座にめいくだした織田信長ウサギは、保科正之アライグマが消えていった方角へと飛び跳ねて向かった。その後を、豊臣秀吉リスサルが追い掛ける。名乗らぬモンシロチョウも風を読み、舞い上がって風に乗り、後を追った。


 里山を下りると、暗闇の舗装された道路には街灯が一定の間隔で灯っている。車はまだ走っていない。遠退とおのいていく保科正之アライグマの後ろ姿だけが見える。


 路側帯で止まった織田信長ウサギは、胸を反って座った。その背後で、豊臣秀吉リスザルも座った。名乗らぬモンシロチョウは、保科正之アライグマを見送る織田信長ウサギの長い耳先にとまった。


「名乗るのなら、まだ間に合うぞ。覚えておるか? 純粋に夢見る保科正之は、おまえがまぬけなアニマルでも会ってみたいと言っておったぞ」


「その夢は叶わぬ」


 ぼそっと羽を鳴らした名乗らぬモンシロチョウは、自分自身を納得させているようでもあった。


 保科正之アライグマの後ろ姿が、暗闇に吸い込まれるように小さくなった。


「夢は叶わぬとも……」

 名乗らぬモンシロチョウは、ひたむきな保科正之アライグマに、語りかけるように、羽を鳴らした。

「夢を叶えるために費やした時間と労力と勇気は、最大限に己を幸せにするものじゃ。なぜなら、後々のちのちその努力は様々な形で役立っていくからじゃ。じゃが……」

 保科正之アライグマが見えなくなった暗闇を、憂えるように見詰める。

「ヒトにつかまったらお仕舞いじゃぞ。気をつけてゆけ」


「保科正之が再び、徳川家光と徳川忠長を親密にさせるじゃろう。されば、前世江戸アニマル軍とその領地は安泰じゃ。さすれば、また孫に会える」


 おもんぱかる織田信長ウサギだが、名乗らぬモンシロチョウはつれなく羽を鳴らす。


「戻るぞ」


「照れおって。今日のこのシーンは、ずっと頭の中に焼き付けておくぞ」


 織田信長ウサギの髭は、にやにやする口元に連動してぴくぴくと波打った。


「はよ忘れろ」

 長い耳先にとまっていた名乗らぬモンシロチョウは、憎々しく鱗粉りんぷんを振り撒きながら舞い上がった。

「先に行くぞ」

 風に乗り、里山に戻っていく。


「わしも戻ります」


 神妙に織田信長ウサギと名乗らぬモンシロチョウの会話を聞いていた豊臣秀吉リスザルは、なぜ自分まで誘われたのか、その理由が分からないと感じながらも聞くことはせず、戻ることを選択した。


「おまえには折り入って大事な話がある」


 織田信長ウサギがとどめた。


 ゆっくりと振り向いた織田信長ウサギの何時にない真剣な表情を、豊臣秀吉リスザルは息を呑んで見詰めた。


「黒田官兵衛からの情報じゃ」

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