第22話 本当の、一日一悪(織田信長ウサギ)
どのくらい時間が経ったのだろうか? いつの間にか部屋は薄闇に包まれている。
「明かりを点けんか?」
遙香が疲弊気味に鳴いた。
「わしの目には必要ないが、点けることを許可する」
威厳たっぷりに鳴いたトトだが、なんとなく疲弊気味だ。
「ふん。偉そうに」
悪態をつきながら明かりを点けた遙香の肩は上下している。息苦しそうだ。
トトも、いつもぴんと張っている髭が元気なさそうに垂れている。
共々に疲れ切っている。
「ちょっと休戦せんか?」
遙香はゴミのように転がっている調度品などを足でよけ、空けた畳に胡座をかき、神妙な目付きをトトに向けた。
「いいじゃろ」
毅然と鼻を鳴らしたトトは、仕方ないといった目付きを遙香に返したが、ほっとしたように長い耳を後ろに寝かした。だがそれは数分ほどで、再び長い耳を垂直に立てると、高く跳躍した。棚の天辺に乗ると、ここの城主だといわんばかりに、威風堂々と前足を揃えて胸を反り座った。
「明智光秀」
トトは重厚に鼻を鳴らした。
「おまえの動作や思考から推測するに……やはりおまえは、本来ならば前世の記憶と共存できないヒトに生まれ変わっておる故、通常の転生アニマルの脳における共存の仕組みが違うようじゃ」
「そうなんじゃ」
小さく呟いた遙香は、憂えた目でトトを見上げた。その表情で、トトは確信した。
「おまえは明智光秀なんかになりたくないんじゃろ?」
穏やかに鼻を鳴らしたトトは、皮肉でも同情でもない優しさを醸し出していた。
トトの思わぬ質問に、遙香はためらった。だが、ゆっくりと頷いた。ためらったのは、明智光秀の記憶をおもんぱかったからだ。
「もう一生、明智光秀にはなりたくない」
胸を反らしたまま微動だにしないトトを見上げながら遙香は答えた。
「わかった」
深く頷いたトトは、胸をそり直し、堂々と鼻を鳴らした。
「秘薬を授ける」
「秘薬?」
首を傾げて見つめる遙香を見下げながら、トトはこくりと頷いて毅然と鼻を鳴らした。
「これが、本当の一日一悪」
にやりと片髭を上下させたトトは、続けて鼻を鳴らした。
「次回、転生アニマルになっても、復讐はもうおしまいじゃ。今回、おまえと思いっきり戦ったからな。楽しかったぞ」
きょとんとした遙香が、暫し考えて応える。
「わしも楽しかった。じゃが……」
疑わしそうに鳴いた。
「そんな秘薬が本当にあるんか?」
「ある」
力強く頷いたトトは、棚の天辺から畳の上に、すっと降りた。そのまま壁際にあるキャビネットの下に潜り込むと、何かを耳先に掴んで出てきた。それを遙香の眼前に落とす。
「酒の匂いを嗅いだだけで吐き気がし、一滴も酒が飲めなくなる薬じゃ。薬草に詳しいタヌキが、種々の植物をブレンドして作り上げた秘薬じゃ。食べろ」
「タヌキが作ったって事は、口で噛んで作ったんか?」
遙香は直径一センチほどの柔らかそうな黒い玉を見つめながら躊躇った。だがそれは、衛生面だけの理由ではない。
「毒薬かもしれん」
猜疑心に満ちた瞳をトトに浴びせた。
「疑い深い奴め」
トトは恨めしそうに遙香を睨んだが、予想していたと、余裕に満ちた表情で片髭を上下させた。
「もう一個、同じ秘薬を作っておる」
もう片方の耳先に掴んでいた黒い玉を、先の黒い玉の横に落とした。
トトは、二個の黒い玉を左右の前足でシャッフルした後、遙香にも促してシャッフルさせると、そのうちの一つを食べて見せた。
安堵した遙香だが、衛生面が頭を過り、戸惑いながらも黒い玉を手に取った。
「えい」
気合いを入れた遙香は、一気に黒い玉を口の中に入れて飲み込んだ。
――数時間後。
眠っていた遙香が目覚めた。
「私、寝てしまったんじゃね」
目の前に居るトトに向かって微笑んだ遙香は、ゆっくりと上体を起こした。
「ななななんじゃ?」
きょろきょろする遙香は、ごった返している部屋にびっくり仰天している。
「この荒れようはなんじゃ? 剣斗はどこに行ったんじゃ? トトちゃん、何か知っとる?」
遙香はまん丸に見開いた目をトトに向ける。
起き上がったトトは、ぴょんぴょんと飛び跳ね、転がっている缶チューハイを後足で蹴り上げた。缶チューハイは宙で放物線を描き、砕けたように座っている遙香の前に落ちた。
「酔っ払った私がやっちゃった?」
遙香はやばいという表情になった後、焦燥の表情に変わった。
「剣斗」
ぽつりと呟いた遙香は、慌ててトイレや他の部屋に剣斗を捜しに行った。だが、どこにも居ないと悟ると、バッグを手に取り、もうトトには目もくれず、急いで家を出て行った。
片笑むように片髭を上下させたトトは、高く跳躍すると棚の天辺に乗った。胸を反って座ると、堂々と鼻を鳴らす。
「明智光秀。剣斗との共作、生きた絵本。楽しみじゃ」
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