第20話 トト(織田信長ウサギ)対 遙香(明智光秀ヒト)
襖障子から部屋の中へ、一歩入った剣斗(織田信長ウサギの小姓であり飼い主)は、腰に手を当て仁王立ちする遙香(明智光秀ヒト)に、ぎくりとして急停止した。
仁王立ちといっても、全く手強そうに見えない。華奢な体型だからとも言えるが、それよりも、美しさと気品に満ちた仁王立ちのポーズを取っているからだ。
剣斗の後を追ってきたトト(織田信長ウサギ)は、剣斗の足元から顔を覗かせると、遙香に向かって、アッカンベエと舌を出した。それを見た遙香の顔が歪んだ。
「剣斗。卑しいウサギに、手懐けられてんじゃないよ」
「なななに言っとんじゃ?」
いつもとは違う声調での遙香の怒号に、びびった剣斗だが、人格が変わっていることに気付き、優しい口調で尋ねる。
「遙香ちゃん。お酒を飲んだ?」
「飲んだわよ」
悪びれることなく遙香は、手に持つ缶チューハイを見せつけるように持ち上げ、茶目っ気にウインクした。
「やっぱり」
ぼそっと呟いた剣斗は肩を落とした。
ふんと視線を逸らした遙香は、缶チューハイをテーブルの上に置いた。直後には、剣斗に向かって突進する。
意外な展開に瞠目して硬直する剣斗の眼前で、急停止した遙香は、タンゴを踊るかのように剣斗に密着しながら身をくねらせ、背後に回った。そこに居たトトが、剣斗の足元をすり抜け、テーブルの下に向かう。だが、容赦ないほどの勢いで遙香が、トトの長い耳を捕らえた。長い耳にはリボンが巻き付いている。遙香が放ったリボンだ。
「つかまえた」
にやりと笑って得意げに顎を持ち上げた遙香の手には、新体操の手具であるリボンが握られている。剣斗とトトが来る前に、バッグから取り出していたのだ。だがそのリボンは、通常よりもかなり小振りの、幼児用の特注品だ。学生時代に新体操をしていた遙香は、勤めている保育園で、子供達に遊び感覚で新体操を教えているのだ。
トトがリボンに巻かれている長い耳を、巻かれている向きとは反対方向にくるりと振った。リボンは外れたが、遙香がイナバウアーのように胸を反らし、細長い片方の足でトトの足元を掬った。そのまま遙香はしなやかにバク転をし、新体操演技終了というように背筋を伸ばしてつま先立ち、リボンを握る手を斜め後ろ下に構え、もう片方の手は水平に伸ばし、ポーズを決めた。トトはすってんころりと転がり、さも痛そうに悶える。そんなトトを、ポーズを決めたままの遙香は、冷ややかに見つめる。
遙香のリボンを持つ手が、ポーズを決めたまま、らせんを描くようにくるくると回り始めた。
トトがよろよろと立ち上がり身構える前に、遙香のリボンはトトの首に巻き付いた。そのリボンを、遙香はくっと引き寄せた。それによってトトは再び、すってんころりと転がった。
トトはさも痛いといわんばかりに悶えながら、助けを求めるように剣斗の顔を見た。
遙香は引き寄せた弾みでトトの首から外れたリボンを、大きな円を描くようにして宙に舞わせ、ふわりと自らの足元に落とした。
「遙香ちゃん。もうやめ……」
さっきから腰を抜かしたように畳に座り込んでいる剣斗が口を開いた。
「うるさい」
言葉を遮った遙香は、苛つくように怒鳴った。剣斗が何を言いたいのか分かっているからだ。
「織田信長」
荒々しく呼んだ明智光秀ヒトである遙香は、口から転生アニマル音を鳴らした。
「あんたの魂胆は分かっとる」
剣斗からトトに視線を向けた遙香は、憎々しく睨み付けた。
トトは横っ面を向けた。遙香から見える左目はしらばくれている。だが、遙香からは見えない右目は愉快そうに笑っている。トトは遙香から一方的に痛めつけられることで、こんな横暴で思い遣りのない女なんだと、剣斗に見せ付けているのだ。これが復讐、別離作戦だ。
「生まれ変わっても、そのあたりの性格は変わらんの」
遙香が吐き捨てるように鳴いた。
「そうか」
ぞんざいに鼻を鳴らしたトトが、ふと思い出した。
「明智光秀。なんでおまえはアニマルに生まれ変わっておらんのじゃ?」
「知らん。こうして生まれ変わったことを認識したのは初めてのことじゃからな」
「生まれ変わりは初めてか」
驚いたトトの様子から、遙香は勘付いた。
面白くなさそうに片髭を引きつらせたトトは、気付いた遙香を感じ取っていた。
遙香は人差し指を顎に当てた。
「織田信長。あんたはもう何回、弱っちい不細工アニマルに生まれ変わっておるんじゃ?」
そう聞いておいて、言わなくても良いというように人差し指を口元に当てた。
「たぶん何度も生まれ変わっておるんじゃろうな」
トトは顎を持ち上げ、片笑むように片髭を上下させた。
「剣斗はあんたを公園で拾ったと言っておった。生まれて間もない雑種のウサギ。天敵だらけで、さぞ辛くて寂しかったじゃろうな」
遙香は皮肉っぽく微笑んだ。
「いいや、全然」
トトは余裕たっぷりの表情で長い耳を振った。
「そうか? もしわしじゃったら、心はとてつもない孤独とひもじさに襲われたと思う」
想像する遙香は続ける。
「プライドはずたぼろじゃ」
「おまえはまだ何も分かっちゃおらん」
諭すようにトトは首を横に振った。
「遙香ちゃん」
剣斗が遠慮気味に呼んだ。
はっとするように遙香とトトが、一斉に振り向いた。
「さっきから遙香ちゃんの口、餌を求める鯉の口のように、ぱくぱく動いているんじゃけど、それってまさか喋っとる?」
諸手を挙げて首を竦めた遙香は、妖艶に微笑んだ。
トトは剣斗の発言から、転生アニマル音は共鳴することなく、会話は聞き取られていないと分かりほっとした。
「剣斗」
怒鳴った遙香の形相は一変していた。
「剣斗は、この不細工ウサギと、キュートな私、どっちの味方じゃ?」
詰め寄るような口調で、腰に手をやって斜めに睨む遙香に、剣斗は気後れした。
トトが後足で畳を蹴って警戒音を鳴らした。
びくりとした剣斗は、遙香とトトを交互に何度も見遣った。優しい剣斗はあからさまに迷っている。
「剣斗。この不細工ウサギと決着がつくまで、家から出て行って」
胸の前で両腕を組んだ遙香が、静かに言い放った。
戸惑いながら腰を上げた剣斗は、言われるがまま自分の家から出て行った。
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