第28話 不安と錯綜

 里奈さんは辛そうな表情を浮かべながら、布団を深く被る。


 俺に背中を向けながら。


「ごめん。私、今ちょっと変だね……」

「い、いえ……」


 里奈さんがここまで思い詰めていたなんて知らなかった。


 里奈さんと俺との違い。

 里奈さんに元カレはおらず、俺には元カノがいる。


 この違いを、俺は深く気にしていなかった。


 だが、里奈さんにとっては重大な問題で、不安を煽ぐ要素だった。


 なにより、その元カノが妹である珍しい状況が、より拍車をかけたのだろう。


「幻滅させちゃったよね。こんな独占欲むき出しで性格悪い子、嫌だよね?」

「そんなこと──」

「私、本当はこうなんだ……。すごくワガママで、強欲。でも、お姉ちゃんだからってずっと言い聞かせて色々我慢してきた。それでも、やっぱ拓人くんに関してだけはダメだな。譲りたくない。誰にも、譲りたくない」

「…………」


 里奈さんは子供の頃の出会いをキッカケに、ひたむきに俺を想い続けてくれた。


 俺と唯香が付き合い始めて辛かったはずなのに、自分の気持ちに蓋をして祝福してくれた。


 別れた時には、復縁できるよう尽力してくれた。


 そんな里奈さんに対して、俺はなにかしてあげられただろうか。


 気持ちを伝える努力が足りていないんじゃないか? 


 大好きな彼女にこんなことまで言わせて、ほんと何してんだ、俺……。


 自責の念に駆られる。

 気持ちを切り替えるように、俺はバシンッと力強く頬を叩いた。


「え、えっと、拓人くん?」

「すみません、ちょっと出かけてきます」

「い、今?」

「はい。今じゃなきゃダメな気がします」


 俺は椅子から立ち上がると、ショルダーバッグを肩にかけて里奈さんの部屋を後にした。



 ▲▽▲



【月瀬里奈】


 私は昔から自分のことが好きじゃない。


 要領が悪いから、人一倍頑張らないといけない。


 私の真似をして、上手いこと生きている妹が羨ましかった。


 そうやってすぐに妬んでしまう自分が嫌いで、一番にならなきゃ気が済まない自分がなにより嫌いで、うんざりしていた。


 そんな私がさらに自分を嫌いになったのは、

 アメリカから日本に戻ってきて、二ヶ月が経った頃だった。


「……雨、すごいですね」


 バス停のベンチで座る私に、彼は声をかけてきた。


 目を疑った。


 だって彼は私の初恋の男の子だった。


 偶然の再会。

 近くに住んでいることは知っていたけども、こんなタイミングで再会するとは露とも思っていなかった。


「あ、うん。すごいね」

「ったく、ついてないな……」


 彼は困ったように空を仰ぎ見る。


 私のことには気づいていないみたいだった。


「座らないの?」

「あ、じゃあすみません。失礼します」


 私の隣に、彼が腰掛ける。


 すごくドキドキした。


 心臓が張り裂けそうだった。


「名前、なんて言うの?」


 勇気を出してみた。


 もしかしたら人違いかもしれない。


 その可能性を断ち切りたい意味も込めて聞いてみる。


「え、えっと、北見きたみ拓人っていいます」


 私は口の中が乾いていくのを感じながら、上がっていくテンションを必死に宥める。やっぱりそうだ。勘違いじゃなかった!


「……わ、私は、月瀬里奈」


 流れに任せて私も自己紹介する。


 これで思い出してくれる。そんな淡い期待を込めた。


「月瀬……。あの、もしかして妹いたりします?」

「い、いる、けど……どうして?」


 食いつかれるところが違かった。


 名前に引っかかってほしいのに、彼は苗字の方を気にかけた。


「その妹、唯香って名前じゃないですか?」

「……そう、だけど」


 なんで? 

 なんで、唯香の名前が出てくるの? 


 私のこと思い出してよ。どうして、唯香のこと──。


「そう、ですか。凄い偶然だな……」

「どういうこと、かな?」

「実はちょっと前から、唯香さんとお付き合いすることになったんです」

「……え?」


 なにそれ。


 知らない。


 どういうこと? 


「こんなことってあるんですね」

「……そう、だね……。凄い偶然だね……」


 私はかろうじて平静を装うので精一杯だった。


 私の好きな男の子が、唯香と付き合っている。

 そんな耳を疑う話をいきなり聞かされて、私の頭は真っ白になっていた。


「唯香さんって何が好きですか? 色々と手探りな状態で、情報が欲しいというか」

「……さくらんぼ、かな」

「さくらんぼか。今は時期じゃないですよね」

「もうちょっと先だね」


 楽しそうにする彼の横顔を見るのが辛かった。


 私に向けて欲しかった。


 私の好きなものを聞いて欲しかった。


「拓人くんはさ」

「あ、はい」

「唯香のなにが好きなの?」

「まだ分からないですけど、付き合いながら知っていけたらなって」

「そうなんだ……」


 付き合えるなら、誰でも良かったのかな。


 それなら、私じゃダメかな。


 私のほうが唯香より絶対、好きなのに。


 ずっとずっと、好きだったのに。


 本当に私は、嫌な女の子だ。


 表面上では取り繕って、明るく振る舞っている。


 でも、裏では嫌なことばっかり考えている。


 自分本位で、わがままで、強欲で、卑怯。


 そんな私のことが嫌いでしょうがない。


 自分で自分を好きになれていないのだから、彼から──拓人くんから好意を向けられていることを信じれきれない。



 ほんと……やだな。



 なんであんなこと言っちゃうかな……私。


 拓人くんが浮気しないことくらい、わかってる。


 だってずっと見てきたから。


 一途に唯香を好きでいる拓人くんを見てきたから。


 そんな彼が、二股するところは想像つかない。


 けどもし──もし、私から気持ちが離れちゃったら。


 そう考えると夜も眠れなくなる。


 だから彼には私しか見て欲しくない。

 私だけで満足して欲しい。他の子のこと知らないで欲しい。


 こんなワガママな私でも、拓人くんは好きって言ってくれるのかな。


 認めてくれるかな。


 また、他の子に取られちゃうのは嫌だな……。


 拓人くんが出かけて一人きりになった部屋。

 熱に浮かされフワフワした頭で、私はただひたすら、自己嫌悪に陥っていた。

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