第17話 元カノと元には戻れない

「え、えと、ど、どうしよっ」

「お、落ち着いてください……。別に、悪いことしてる訳じゃないですし」


 そうは言いつつも、声を顰め、俺と里奈さんは身を寄せ合っていた。


 唯香が男を連れてファミレスにやってきたのだ。

 しかもあろうことか、真後ろの席に案内されている。


 今のところ、俺たちの存在は気づかれていない。


 ソファの背が高めに作られているため、向こうからはせいぜい俺の頭頂部くらいしか見えてないはずだ。


「そ、そうだよね……。堂々としてればいっか」

「え、ええ。それで問題ないと思います」


 ただ、それでもやはり、状況が状況だけに身体を縮こめてしまう。


 例えば、唯香が女友達とファミレスに来ていたなら、ここまで気にはしなかった。


 だが、連れているのは男。

 関係性はまだわからないが、二人きりでファミレスに来る程度には親密度がある。


 とりあえずはこのまま、影を薄くすることになりそうだ。


「──で、話ってなんだよ?」


 俺と里奈さんの身体に緊張が走る。


 男が口火を切ったのだ。


 怒気を含んだ物言いだった。


「あたし、やっぱ無理かも。あんたじゃ、拓人の代わりになんない。だから別れてよ」

「代わり、ね。初めから、元カレの代替品として考えたってわけ?」

「そーでもないけど。でも、拓人と別れて、拓人がお姉ちゃんと付き合いだして思ったんだよね。あー、あたしってやっぱり拓人のこと好きなんだって」

「ほんで、オレのことは用無しになったと」


 唯香と男の会話がよく聞こえてくる。


 流石にこの距離だと丸聞こえだな……。


「用無しも何も、元々、試用期間じゃん。……とにかく、あんたに時間割いてる暇ないんだよね。どうやって拓人のこと奪い返すか、考えなきゃだし」

「それ、かなり勝手じゃね? つか、元カレのこと好きじゃなくなったんじゃねーの?」

「わかんなくなっただけ。今は、自分の気持ちを再認識できてる」

「ふーん。勝手なやつだな」


 里奈さんが俺の手を握る。


 ギュッと力強く、跡がつくんじゃないかってくらい強く、握りしめてくる。


「つか、そっちが言ったんじゃん。お試しで付き合ってみるかって。だから、あたしは拓人に別れを告げて、あんたと付き合うことで気持ちを整理してみることにした。それで、気持ちに整理ついたから別れよって言ってるの。変?」

「まぁ、一応筋は通ってんじゃね? ま、いーわ。オレもお前みたいな自己中女の相手してる暇ねぇし」

「あ、そ」

「なんか冷めたし帰るわ」


 男はすっくと席を立つと、そのまま粗暴な足取りでファミレスを後にした。


 ふんわりとではあるが、事情は把握できた。


 俺と唯香は、元恋人の関係。

 だから、唯香のプライベートな問題に深入りする気はなかったし、唯香から話してこない限りは何も見なかったことにしようと思っていたが。


 期せず形で盗み聞きしてしまったな……。


 男が消え、唯香が一人きりになる。


 と、里奈さんが俺から手を離し、席を立った。


 踵を返し、唯香の目の前まで一直線で向かった。


「ねぇ」

「え、お、お姉ちゃん……?」


 まさか、里奈さんがこの場にいるとは露とも考えていなかったのだろう。


 宇宙人でも見たみたいに、驚愕に顔を歪めていた。


「さっきの話、ほんと?」

「は、はぁ? なんのこと?」

「この後ろ席に座ってたんだ。後から唯香がこの席にやってきたの」

「盗み聞きしてたってわけ?」

「不可抗力でね」

「ふーん。拓人もいるんだ……」


 このまま俺だけ身を隠すわけにもいかず、俺も立ち上がる。


 唯香は俺も存在も認識すると、鼻を鳴らしながらつぶやいた。


「悪い、盗み聞きするつもりはなかった」

「……別に、謝んなくていい」


 唯香は視線をそっと落とす。


 里奈さんは小首を傾げて、苛立ちを瞳の中に宿していた。


「──私、拓人くんのことは渡さないから。絶対に渡さない」

「は? この前は奪い返しにこいみたいなこと言ってたじゃん」


 里奈さんは爪が食い込むくらい拳を握りしめて、俯き加減に。


「拓人くんは、本当に辛そうだった」

「え?」

「唯香に振られて、見たことないくらい落ち込んでて、もう、死んじゃうんじゃないかって本気で思った。だから、どうにかして二人仲を取り持ってあげなきゃって……思った」

「だったら」

「でもさ、唯香、自分勝手がすぎるよ……。拓人くんと相談すらせずに一方的に別れを切り出して、それで別の男の人とお試しかしらないけど付き合い始めて、やっぱり拓人くんのことが好きですって……そんなの、看過できない……できるわけがない!」


 ギリッと奥歯を噛み締め、獰猛な目つきで唯香を睨みつける。

 目尻にはうっすらと涙が浮かび上がっていた。


 里奈さんは、誰よりも俺のことを考えてくれている。


 だから、俺の感情が手に取るようにわかるのだろう。


 これじゃまるで、代弁者だな。


 俺が言いたいこと、全部言われてしまった。


 唯香はおろおろと目を泳がしながら。


「お、お姉ちゃんに言われたって──」

「いや、俺も同じ気持ちだよ」

「え……?」

「里奈さん、席戻りましょう」


 俺は今にも泣き出しそうな里奈さんの手を取る。


 唯香に対して、色々と言いたいことがないわけじゃない。

 ただ、大部分は里奈さんが言ってくれた。


 だからだろうか、俺の心はスッと何かの重りが取れたみたいだった。


 僅かながらに滞在していた唯香への未練が、さっきので解き放たれた気がする。


「ま、待って。……や、ヤだよ。ごめん拓人。あたしが間違ってたから──」

「前にも言わなかったかな」

「へ?」

「俺、里奈さんのことが好きなんだ。邪魔しないでほしい」


 優しく、語りかけるような口調で、けれどハッキリと今の気持ちをぶつけた。


 唯香のことが嫌いだとか、憎んでいるわけじゃない。

 ただ、今の俺の気持ちは里奈さんに向けられている。事情はどうあれ、再び、唯香とどうこうなる気はない。


 その意思を今一度、誤解のないよう伝えておくことにした。


 唯香は下唇を噛み締めると、脱兎のごとくファミレスを後にした。

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