第10話 テスト勉強

「どーぞ」

「お、お邪魔します……」


 里奈さんの部屋にお邪魔することになった。


 近くに迫る期末テストの勉強を見てもらうためだ。


 里奈さんの親御さん……正確には、父親と会わないか内心ヒヤヒヤしていたけれど、今日は平日。普通に会社に勤務しているようだ。


 ほとんど話したことはないが、唯香と交際していたことを知っているからな……。


 その上、今度は里奈さんと付き合い始めたと知れば、どうなるかわからない……。


 とはいえ、いつかはキチンと報告しないとな。


「ボーッとしてないで、座ってよ」

「あ、はい」


 里奈さんに促され、俺は差し出されたクッションの上に尻をついた。


 八畳ほどのスペース。

 クローゼットや机、ベッドといった必需品が置かれていて、私物はあまり見当たらない。


 白を基調とした内装で、イチゴのような甘い香りがする。


 この家には何度も来たことあるけれど、里奈さんの部屋に入るのは初めてだった。


 里奈さんはからかうように口元を綻ばせると。


「元カノのお姉さんの部屋だからって、緊張してるの?」

「そりゃ、しますよ。てか、元カノのお姉さんじゃなくて、彼女、ですから」


 俺の指摘を受けて、里奈さんは頬に朱を注ぐ。


 身体を縮こめて、コクリと小さく首を縦に振った。


「う、うん、そうだね……。え、えっと、勉強しよっか」


 居た堪れない空気が蔓延り始めたところで、里奈さんはパンと両手を合わせて空気を入れ替える。


 俺はバッグから、英語の参考書を取り出した。


「はい。英語がてんでダメなので、ご教授願いたいんですけど」

「英語? あれ、拓人くんって英語できないの?」


 眉を八の字にして、里奈さんは困惑した声を上げる。


「すみません。純血の日本人なもので。英語はさっぱりです」

「いや、そういう意味じゃないんだけど」

「どういう意味ですか?」

「なんというか、えっと、私は昔、アメリカいたことあってね。帰国子女的なとこあるんだ」

「へぇ、初耳です。すごいですね」

「だから、拓人くんも同じかなぁ、みたいな?」


 俺は難しい顔をしてしまう。


 どうしてその発想が出てくるのか理解できなかった。


「俺、そんなに帰国子女っぽく見えます?」

「いや全然」

「言ってること破綻してないですかね……」

「え、えっとさ、海外に行ったことはある?」

「ああ、ありますよ。小学生の頃なので、もう割と忘れちゃってますけど」

「その時に、英語覚えたりしなかった?」

「二週間とかだったのでさすがに覚えられないです。ただの旅行でしたし」


 小学生ともなれば、日本語すら使いこなせていない。


 当然、英語を扱えるレベルには至らなかった。ほとんど、母さんに引っ付いてたしな。


 でも、そういえば、旅行の記憶がほとんどないんだよな。なにか衝撃的なことがあった気はするんだけど。


「そっか。ま、覚えてないよね」

「? はい」

「よし、じゃ、勉強しよっか」

「お願いします」


 里奈さんはグッと拳を握ると、気合いを入れる。


 テーブルの上に参考書を展開しながら、マンツーマンで教えてもらう。

 英語に関しては基礎から怪しい俺にとって、懇切丁寧に教えてくれる里奈さんは女神のようだった。


 というか、教えるのが普通に上手だ。学校の先生に向いている気がする。


「──うん、正解。よくできました」

「い、いちいち撫でる必要ありますかね」

「子供は褒めて伸ばす教育方針を採用してます」

「いつから里奈さんの子供になったんですか俺」

「嫌?」

「嫌ですね」

「えー、面白いのに。試しに、お母さんって呼んでみてよ」

「お、お母さん?」

「……な、なんか生々しいね……。変なこと言わないでもらっていい?」

「アンタが言わせたんでしょ……」


 俺はジト目に里奈さんを映しながら、呆れたように言う。


 ともあれ、こんな調子で、無駄な会話を挟みつつも順調に勉強を進めていく。


 そうして一時間近くが経過した頃だった。


「あ、そうだ。飲み物持ってきてなかったね」

「あ、全然、気にしなくても」

「ううん。持ってくるからちょっと待ってて」

「ありがとうございます」


 里奈さんは腰を上げると、軽快な足取りで部屋の扉を開ける。


「──いっっつぁ⁉︎」


 と、苦悶に満ちた声が付随する形で聞こえてきた。


 この扉、音が出るのか? 

 そんな能天気なことを考えたのも束の間、見慣れた青髪が目に入った。


「ゆ、唯香? 大丈夫?」


 里奈さんが慌てながら心配そうに問いかける。


 唯香は額を手で抑えながら、みるみると顔を赤くすると、何も言わず逃げるように立ち去っていった。


「あ、ちょ、ちょっと……唯香……」


 走り去る唯香を、里奈さんが心配そうに見つめる。


 なにしてんだ、アイツ。

 まさか、扉の前で俺たちの会話を盗み聞きしていたのか? 


「だ、大丈夫かな……。少し、様子見てくるね」

「あ、それなら俺が行きます」

「え? でも」

「変にこじれる前に、言っとかなきゃいけないこともあるので」


 里奈さんは少し釈然としていない様子だったが、俺の目を見つめ返すと。


「わかった。じゃあ、唯香のことは拓人くんに任せる」

「了解です」


 里奈さんは飲み物を取りに一回に向かう。

 俺は、唯香の部屋へと向かうことにした。

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