第8話 元カノが俺の動向を気にしているみたいです

 昼休みは残すところ10分足らず。

 里奈さんは次の時間が体育らしく、少し早めに解散した。


 自席の椅子を引くと、唯香と視線が交錯する。


「……おかえり」

「お、おう。ただいま?」


 脊髄反射で返事したが、『ただいま』でよかったのか? 


 そもそも、『おかえり』って切り出し方自体、おかしい気がする……。


「お姉ちゃんと一緒にいたの?」

「そうだけど」


 どうして、そんなことを聞くんだろうか。


 唯香は割と束縛が強めで、俺の行動を監視するきらいはあった。

 付き合っている分には、そういった束縛も理解できたけれど、今は別れている。


 しかも、唯香の都合で別れているのだ。


 俺が昼休みに誰といたかを一々気にされるのは、釈然としなかった。


「なに、してたの?」

「それ言う必要ある?」


 唯香は表情を固くする。


 付き合っている時は素直に答えていたから、この返しは予想外だったのだろう。


「言いたくないなら、言わなくていいけど」

「そっか」

「…………」

「…………」

「言わないの?」

「言わなくていいんじゃなかったのかよ……」


 呆れまなこを唯香にぶつける。


 俺は嘆息すると、


「普通に一緒に昼ごはん食べてただけ」

「……ふーん」


 自分から聞いといて、興味なさそうだな……。


 唯香は頬杖をつくと、窓の外に視線を向けた。


「お姉ちゃん美人だから、付き合うの苦労するんじゃない?」

「唯香がそれを言うのか」

「え?」

「唯香も、里奈さんに負けず劣らずの美人だろ」

「……っ。な、なに、元カノ口説いてんの⁉︎」

「は? そんなつもりないんだけど……」


 唯香は珍しく頬を染めて、矢継ぎ早に言う。


 サファイアの瞳を左右に泳がせると、プイッとそっぽを向いた。


「……あたしとお姉ちゃんを同列に考えないでよ。惨めになるじゃん」


 同じ遺伝子を継いでいるし、里奈さんも唯香も美人だと思う。毛色が違うけど。


 ともあれ、下手に刺激しても仕方がない。


 一応謝っとくか。


「ごめん。気を悪くさせる気はなかった」

「……ふん。……てかさ、お姉ちゃんじゃなきゃダメなの?」


 眉根を寄せる俺。


「えっと、どういう意味?」

「そのまま。お姉ちゃんと付き合わなきゃダメ?」

「俺は一生独り身でいろと……」

「や、そうじゃなくて。女の子なんて、たくさんいるしさ」


 要するに、里奈さん以外の子と付き合うって選択肢はなかったのか──ということらしい。


「そういった意味なら、別に里奈さんじゃなきゃいけない理由はない」

「……だ、だったらさ」

「でも、里奈さんじゃダメな理由もないな。というか、この質問なんの意味があるの?」

「い、意味っていうか、気になっただけ……」


 この人じゃなきゃ絶対にダメってパターンこそ、稀有だろう。


 それこそ、結婚を視野に入れた交際になってくる。


 唯香の質問の意図がよくわからないな。


 と、スマホがブルッと震える。


 見れば、里奈さんからチャットが飛んできていた。


『午後の授業も頑張って♡』


 簡潔なチャットとともに、写真が送られてくる。


 体操着姿の里奈さん。

 けれど、胸元を右手で引っ張っており、見事な双丘が顔を見せている。

 ギリギリ下着は見えていないが、谷間はクッキリと映っていた。


「ぶふぅ、ごほ、こほっ⁉︎」


 思わず咳き込む俺。


「ど、どうしたの? 大丈夫?」

「あ、あぁ……大丈夫」


 付き合ったとはいえ、里奈さん積極的すぎないかな……。


 もはや痴女の領域だよこれ。


 こっちから求めたわけでもないのに、勝手に送ってくるとか。

 保存したけど。ちゃんと、保存したけど。大事なことなので二回言ったぞ。


「お姉ちゃんからチャット?」

「まぁな」


 俺の反応をみて察したのか、唯香が確認してくる。


 そそくさと里奈さんにチャットを送る。


『デジタルタトゥーを掘る気ですか』


 すぐに返信が来る。


『拓人くんにだけあげたつもりなんだけど、ネットの海に放流しちゃうの?』

『絶対しませんよ、そんなこと』

『じゃ、安心だね。これ、今日の夜に使ってもいいよ』

『どういう意味で言ってるのかよくわかんないです』


 この人、本当に痴女だったりしないか? 


『あ、この程度じゃ物足りないかな?』

『何が言いたいかは全然わかんないですけど、多分、いや間違いなく物足りないとは思います』

『そっか。まぁ、あげないけどね』

『そ、そっすか』


 ちょっと期待しちゃったじゃねぇか……。


 落胆を表現するように肩を落とす俺。


 すっかりスマホに夢中になっていて、唯香のことをなおざりにしていた。


 唯香が不機嫌そうに俺を見つめている。


「な、なに?」

「や、別に。楽しそうだなーって」

「楽しそうじゃダメ?」

「……ダメじゃないけど」


 振った男が楽しそうにしているのが気に食わないのだろうか。


 唯香の心情を推し量っていると、聞き慣れたチャイムが鳴る。

 それに付随する形で教師が現れ、教室内の弛緩した空気が引き締まっていく。


 俺は黒板側に顔を向けると、スマホをしまった。


 にしても、楽しそう……か。


 里奈さんとやり取りしていて、楽しそうだったのか。


 少し浮ついた気持ちになりながら、午後の授業に勤しむ俺だった。

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