第7話 はい、あーんっ

「『唯香に振られたショックを紛らわすために、里奈さんと付き合ってたんだ。俺とヨリを戻してほしい!』って言うのはどうかな」


 昼休み。

 中庭の一角で、俺と里奈さんは昼食を取っていた。


 お互いに購買で買ったパンを片手に、ベンチに腰を据えている。


「それ、だいぶクズくないですか? 俺」

「彼女と別れて、速攻で元カノの姉と付き合ってる男のどこがクズじゃないの? もはやゴミだと思うけど」

「うっわ、容赦ねぇ……。自分から提案してきたくせに」

「ふふっ、でも効果はてきめんだと思うな。やってみる価値はあると思う。正直、このままだとどんどん悪い方向に進みそうっていうか……」


 里奈さんは苦笑いしながら、ポリポリと頬を掻く。


 仮にも里奈さんは、俺に対して好意を持ってくれている。

 なのに、俺のことを考えて、唯香とヨリを戻せるよう尽力してくれている。


 この現状に、俺は罪悪感に似た感情を抱いていた。


 正直まだ、里奈さんに気持ちを向けられてはいない。

 恋愛対象として里奈さんのことを見た時間が少なすぎるのだ。


 だから。


「もう少し、このままじゃダメですか?」

「え? 私はいいけど……」

「なら、このままで。大前提として、唯香の方から何かアクションがない限り、ヨリを戻しても意味ない気がするんです」

「それは、そーかも」


 少なくとも、唯香の気持ちが再び俺に向いている確証がない限り意味がない。


 今の状態でヨリを戻せたところで、それは姉に対する反抗心が主源力になるだろう。それでは、また近い未来に破綻する関係だ。


 そもそも、唯香と一緒にいた男がどう言う関係なのかも判明してないしな。というか、俺は唯香とヨリを戻したいのかな? 自分の気持ちがよくわからない。


「じゃあ、ひとまずはイチャイチャしとく?」

「なんでそうなるんですか」

「だってほら、付き合ってるし。唯香が拓人くんのこと奪い返しにくる前に、イチャイチャしとかないと損じゃん?」

「な、なるほど?」


 わかりそうで、微妙に納得しきれないが、取り敢えず里奈さんは俺とイチャイチャしたいらしい。


 里奈さんは食べかけの焼きそばパンを、俺の口元に運んでくる。


「はい、あーんっ」


 俺は身体を硬直させると、たらりと汗を流す。


「そ、それはちょっとやり過ぎな気が」

「ほほう。私の食べかけは衛生面が気になると」

「そうは言ってないじゃないですか」

「なら食べれるでしょ?」

「うぐっ……」

「唯香とはこういうことしなかったの?」

「自分の妹の性格考えてください。唯香がこういうことしそうに見えます?」

「あはは、見えないかも。あの子、基本的に誰にでも塩対応だし」


 本当にその通りだ。


 誰に対しても塩対応。

 それは彼氏である俺に対しても、変わらない。


 とはいえ、時折、人が変わったみたいに甘えてきたりするから、そのギャップが激しく俺の心を揺さぶるのだけど。


「でも、キスはしたことあるでしょ?」

「……そ、そりゃ、……まぁ?」


 一年半も付き合っていて、キスすらしていなかったら驚きだ。


 俺の理性はそこまで強くない。


「なら、間接キスくらい気にしないよね」

「……っ。ま、まぁ気にしませんけど?」


 煽られている気がして、俺のプライドが見栄を張り始める。


 里奈さんは頬を綻ばせると、さらに焼きそばパンを近づけてきた。


「ん、じゃ、あーん」

「あ、あーん……」


 恐る恐る口を開ける俺。

 接着剤を塗りたくったくらい両目を力強く瞑り、焼きそばパンを頬張る。


 里奈さんはふわりと微笑むと。


「おいしい?」

「……ふぁい」


 正直、味がよくわからない程度には精神状態が荒れているのだけど、それをひた隠して味の感想を伝える。


 余裕綽々な態度で、楽しそうに俺を見つめる里奈さん。

 その勝ち気な姿勢が俺の琴線に引っかかり、やり返したい欲が湧き上がってきた。


「じゃあ、里奈さんも一口どーぞ」

「え、……や、私は大丈夫だよ」


 ピザパンを差し出すと、里奈さんはほんのりと頬を赤くする。


「いえいえ遠慮しないでください」

「遠慮してるわけじゃ」

「俺が食べたところは衛生的に心配ですか?」

「……っ。拓人くんって意地悪だよね」


 ジトッとした湿った視線を送ってくる。


 その顔、卑怯じゃないか? 

 嗜虐心を誘ってくる……。


「はい、どーぞ」

「……も、もうどうにでもなれ」


 一口もらう側のセリフとは思えないセリフを吐きながら、ピザパンをかじる里奈さん。


 小さい口で頬張る姿はハムスターみたいだった。


「美味しいですか?」


 もぐもぐしながら、コクンと小さく頷く里奈さん。


 日焼けしたみたいに、顔は赤くなっていた。

 咀嚼し終えると、里奈さんはチラリと視線を送ってくる。


「明日はさ、お弁当作ってきてあげる」

「本当ですか?」

「うん。彼氏にお弁当作るの憧れてたし」

「楽しみにしてます」


 テンションがぐんと跳ね上がる俺。


 手作り弁当には俺にも憧れがある。


 ……と、ふと俺は自分の感情に疑問を抱き出した。


 つい昨日、唯香と別れたばかりだ。

 成り行きに近い形で、里奈さんと付き合い始めて、けれど、俺はまだまだ傷心していたはず……。


 だが、里奈さんと一緒にいる間は、荒んで暗くなっていた心がすっかり消えている。


 俺って、こんなに切り替えの早い人間だったかな……。


 薄情とも感じられる自分の感情に、俺は悩ましげな表情を浮かべてしまう。


「ん? どうかした?」

「いえ、なんでもないです」


 俺の表情の変化に、めざとく気が付く里奈さん。


 俺は空笑いして、誤魔化した。

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