日没のSaudade(サウダージ)

芸術都市、南南東一区画—————


 そしてアリスに連れられ、入り組んだ通路を抜けた先は南東を流れる河川付近の屋台だった。


 屋台は川の一部を囲うように設置され、囲いから引き上げられた新鮮な獲物が辺りに臭みのない芳ばしい香りを漂わせながら焼かれ、その匂いは空腹を更に助長した。

 河岸を変えた彼らは、昼食を取っていた。

 アリスは串に差し込まれた焼き魚を差し出す。両面こんがりと焼かれたそれは先ほどまで店主が炙っていた焼きたてだ。ここは外周部、その上、相当に入り組んだ道の先だ。兵士の巡回路からも外れているらしい、その証拠に排除されそうなこの店もこうして残っている。

 差し出されたそれを口に運ぶと、噛み応えのある弾力と食感、しょっぱい味付け、噛めば噛むほど身から出る魚油が口内に溢れ染み渡る。

 香ばしい風味は胃に落ちて、口内で感じた味わいがまだ残って鼻孔に入り込む錯覚を覚える。

 未だ残る味覚に戸惑うヒューズに傍らにいるアリスは、細く長い美足を組み腰かけた。


「店なら他にもあるが、どうにもお堅い。格式ばったものではお前も委縮するだろうからな」


 彼女は気を使ってくれたらしい。確かに落ち着かない内装豪華な店内より、この方が気楽だ。


「うまいよ!これ!」


 ヒューズの絶賛にアリスは「だろ?」と片眉を上げる。見渡せば屋台は他にも複数ある。先程から匂いが鼻をくすぐる、行ってみようと思い、歩を進めようとすると……。


「あ!こら!最初は見逃したがせめて座って食べろ!行儀の悪い!」


 ヒューズはそうお叱りを受け、大人しくベンチに座って焼き魚を食べたのだった。


「良い場所だな」


 ヒューズの感想に、「ああ」と肯定するアリス。


「特に私はあの橋下が好きでな。自然と足が運ばれる」


 確かに橋下で緩やかに流れる河川は、とても趣があって静かだ。心が洗われるような、水音はこちらを落ち着かせてくれる。


 食後は彼女に連れられて各所を回った。都市の教会、国民にも開放された宮殿、女王の謁見広場など巡り、ヒューズは引かれる手に、掛けられる声に、不甲斐なく甘えてしまった。

 どの建築物も芸術都市に相応しく、美しさには半ば凶器を孕んでいたが、ヒューズは目の前の少女に意識を向けていた。一通り鑑賞を終えた今は、彼女のとっておきの場所に向かっているらしい。だが、周辺は建物に囲まれ薄暗く、ヒューズは現在地が分からなかった。分かることは自身の直上の紅の空と彼女の現在だ。彼女は随分と人々に慕われているらしい。


「人気者なんだな」


「そこまでじゃないさ、誰だって知り合いを見かけたら挨拶する」


 素直な感想を告げる。しかし、本人は別弾特別なことだと思っていないようだ。

 彼女の人助けは昨日のものだけではなかったらしい。降り注ぐ感謝が、それを如実に語る。

 どうやら、ヒューズが思っている以上に、彼女はこの街に馴染んでいる。

 アリスはヒューズの言い淀んだ様子を察したのか、複雑な表情をしながらも案じてくれた。


「悪いことばかりではなかったんだよ。だから今の私がある」


「……わからない。その行動とあの選別での出来事に関係はないだろう」


 図々しくも零れた音に、自分の言葉であるにも関わらずゾッとした。

ヒューズには分からないのだ。彼女の行動原理が。あの出来事を経て、憎むでもなく、悪逆に染まるでもなく。どうしてこうも……。


 階段を踏みしめる彼女の姿は、彼の目に強く映る。だから不可解なのだ。

 気づけば階段に先はなく、頂上が間近であった。話は途中だが、彼女が見せたかった物も気になったので階段を登り切るとヒューズは思わず感嘆の声を上げる。

 広い空間に出たかと思えば、とても綺麗な夕日が見えたのだ。少年が呆然としていると、夕日を背にした少女が手を引く。ヒューズはその様に思わず見惚れる。欄干に手を掛け、余韻に浸る。都市を一望できるこの風景は、都市に来て一番綺麗なものを見たとさえ実感させる。


「それだよ。私はそれのために……」


 彼女に向き直る。その時ヒューズは胸の内でチクリと薄針が突き刺さる感覚に襲われた。

 夕日に照らされた顔は、贈り物を持つ少女を送り届けた時の表情とは違うように見えた。

 その凛々しい顔はどこか欠落していて、けれどそれこそが何も必要としない存立した善。

 そう。だから、もう■■は必要ないのだ。


「……正直に言えば、今の女王の施行を私は良く思わない。いつ人々が危険に晒されるかわからないからなそれはお前にも言えることだ。お前も危険に曝されるかもしれない。その前にこの都市を出た方が良い。立場的にもそう良くはないだろう?」


 彼女がヒューズの立場を知っているのは当然だ。なぜならあの選別の中にいたのだ。


「出来ることなら人々も、お前さえも……守りたい」


 その叙情は夕立のように、強き光がヒューズを照らす。

 言葉が出ないとはこのことだ。彼女は本気で、目の前の男さえも守りたいと言っている。

目標ができた。自分がすべき正しい行い、彼女が守るものを自分も守りたい。


「ありがとう。……それじゃあ、俺はもう行くよ。今日はありがとう」


挨拶を済ませ、その場を立ち去る。守るべき者ができたのならば迷いはない。

そして一人の衛士は胸を張って任務に向かう。

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