誰もが羨む、美しき理想都市

芸術都市、南東部——————



 辺りに、扉を叩く甲高い軽音を響かせるヒューズ。中央街に留まること数時間、道行を再開したヒューズは、芸術都市へと到着していた。


 道中は別段変わった景色はなく。唯一あったとすれば、峠道から見た森が見渡せる景色が綺麗だったな、くらいのものだった。

 途中、道の狭まった崖道にひやりとしたが、チェインは難なく横断した。

 そこからの道のりは平凡で、飽き飽きしていたヒューズだったが、チェインから目的地の到着が知らされ、跳ね起きた。


 顔を出し初めに目に入った芸術品、細部に至るまで精巧で、その繋がりから裏側にも刺繍ししゅうのような壁画芸術が施されているだろう芸術都市の外壁に、衛士は感嘆の声が漏らした。

 さすが、芸術都市と呼ばれるだけのことはある。と思ったのも束の間、チェインと別れを済ませたヒューズは都市へと入場した。


 関所を抜け、杲杲こうこうとした太陽が都市の雅さを際立て、浩然こうぜんたる建築装飾に一驚を喫する。


 何よりも目を引いたのは、都市の中心にそびえたつ巨城だ。都市の主が構える金殿玉楼きんでんぎょくろうの居城は、否が応でも視線が吸い寄せられる。

 網膜に焼き付けられる一幅いっぷくは卓絶した傑作だ。集積場のように注目を集める王城は、正しく財の限りを尽くした堕落の魔城だった。


 あまりの目の引きように意識が逸れてしまうが、市民の姿も相当なものだ。こちらもご多分に漏れず、高級そうな衣類とアクセサリで自身を包み、にわかに信じがたい想像上の光景だ。

 一番マシなのは巡察兵の銀鎧だ。都市に注目が集まり、銀一色の装いの彼らから視線が流れる現象は、まるで感性が過多となった都市の潤滑油だった。


 収攬しゅうらんされていたヒューズは、行動を再開し、令書でリオンから指示された場所に向かい、辿り着いた。


 左右を精妙な技術と彩色で彩られた大通りを抜けて辿り着いた現在位置は、都市南東の一区画にある宿だ。彼はその一室をノックして、返答を待っていた。

 扉の向こうから、「誰だ?」と、警戒心を包括しながらも聞き心地の良い澄んだ声が返ってきた。

 あらかじめリオンに伝えられていた文言を述べると扉は開かれた。宿の一室に足を踏み入れたヒューズ。部屋の中はベッドと机ぐらいしかない質素な空間だ。


 窓は開かれ、風に仰がれた白いレースカーテンは宙を泳ぐ。声の主はベッドに腰かけていた。見た目は二十代前半といったところか、長髪は束ねられ、肩の前に垂れさせていた。すらりとした見た目の人物で、随分と美形であった。彼は親しみやすい暢達とした調子で名乗る。


「話は聞いてる。よろしく、新人。俺はジャック・ダレスだ」


 差し出された手を握り、名乗り返す。ジャックは握手を交わしながら、こちらを見定めるような視線を向けてくる。その弁柄べんがら色の瞳は、ヒューズを捕え、彼という人間を解析している。


「で?どうだった?街の様子は?」


「綺麗な街ですね!圧倒されました!」


 白磁の長髪を仄かに揺らしながら放たれた問いかけを、間髪入れずに答える。

 なぜならここに来るまでに見た建造物や美術品は細部まで緻密に手を加えられ、製作者のこだわりを感じた。

 その感想を聞いて、ヒューズを猜疑の目で見たジャック。

 直後、彼は得心がいったように、眉を曲げて呟いた。


「それだけ人が減ってるのか?」


 目の前の衛士の言葉の真意を知るべく、口を開きかけたところで状況が変化する。

 突然の歓声に驚く、なにやら外が騒がしい。

 喝采が窓を通して室内に入り込んできた。


 ジャックが手招き、カーテンの隙間から、階下を見下ろす。


 そこには、歓待するように人だかりができ、道の中央を空けていた。

 ヒューズはその状況から左右を見回すと右から行進してくるそれが見えた。初めは軍隊かと思ったが、軍隊にしては装飾が多すぎる。芸術の都であるならおかしくはないが、それにしたって冗長で過剰だ。軍隊の先頭には煌びやかな装飾が施され複数の馬に牽引された車輪付きの輿こし、その上には他とは一線を画す芸術が加えられた玉座があり、格の違いから奇抜さも伺える。


 そこに座すのは、これまた綺麗な女性だった。

 化粧をしているが、元の良さがはっきりするほど美人だ。ブロンドの髪が風にそよぎ、更に道を照らす。

 それを守護するように兵も配属されている。その中には武装都市の兵も混じっていた。

 さすが武装都市の兵士だ。芸術都市の兵とは背丈や筋肉量がまるで違う。


「やっぱり、武装都市の兵士がいるんですね。あの兵達はなぜ…」


「大方、女王が大事そうに抱えてるのせいじゃないのか?」


 もう一度女王を確認する。確かに女王は傍らに何かを抱えている。

 諧謔的かいぎゃくてきに乱立する過多な装飾品の中で、あれほど古典的な水晶があるのは奇妙と言える。

 派手が決壊し、異彩を放つそれは、なぜだか他の品より格が高いように思える。


 あれは〝王のレガリア〟。

 王が王である証、輝ける王権。

 適性がある者は、その力を行使することはできる。

 女王が玉座についてから北兵が従いだした事から、前王は適性が無かったのか?


 女王を取り囲むように配置された武装都市の兵士たち。彼らは将の身を守る護衛のようでもあり、彼女が身を飾るアクセサリのようにも見えた。


 武装都市の兵士、その様は異様である。


 煮え膨らむ力は皮膚の下でもはちきれんばかりに暴れ、歩む動作すら完成系と思わせる。軽装から回避、攻撃特化であることは伺えるが、その肉体を見れば、防御すら必要としない人間の臨界点ともいえる。


 口元に手を当てて、脳漿のうしょうを絞る。「女王の目的を探るべきか…」と結論に至ったが、「それはやめた方が良い」とジャックが制止した。

 白髪の房が、移した目線と共に揺れた。王城を見るその瞳は、冷たくて情もなく冷酷だ。吹き込む風は暖かだが、ヒューズの体温は徐々に下がった。


「王城に潜り込んだ工作員は皆、帰ってきていない。女王には手を出さない方が良いだろう」


 同じ思考に至った者たちの末路を聞き、冷や汗を浮かべるヒューズ。

 主の居城はハリボテではなく、慮外を許さぬ堅牢で、作品にばかりかまける芸術都市を心の片隅で見下していたヒューズは、思いがけない事実に意識を引き締める。


「安心しろ。自分たちでやることだけが仕事じゃない。まあ、夜まで待て」


 ジャックの言葉の真意がわからず、疑問を残したままのヒューズ。


 異変はそこでわかった。


 外の様子が変わったのだ。


 行進部隊が去り静寂が訪れたが、再び騒がしくなった。それは先程の賛美や崇拝とは違う。ジャックに口先で示され、もう一度階下を見ると、そこには傷を負った人々が集められていた。それも老人、女子供など関係なしにだ。


 綺麗な街、誰もが羨む、夢物語のような理想都市。

 住人一人一人が放つ脚光はこちらの目を潰すほど眩しかった。

 だが、同時にそれは正反対のモノへの暴力の表れでもあった。


 ジャックは哀れみと諦観の目を向ける。彼のその反応にこれが幻覚ではないことを実感する。


 階下に響いた悲鳴に引き戻された。


 視界には芸術都市の兵士によって引き釣り出される人々がいた。そして、これ以上は集まらないと判断した中央に立つ兵士は高らかに宣言する。


「国民よ、見よ!芸術の都である我が都市に!こんなにも醜悪な者たちがいるではないか!断罪だ!断罪である!醜き者を!薄汚き者を今こそ断罪せよ!」


 宣言により、国民の注目が、鈍器を持つ兵士たちに集まると、それは開始された。

兵士たちは一斉に各々が持つ鈍器で中央に集められた国民を殴りつける。

 その赤い生き血に、悲鳴が透過する。

 赫々と染み渡った大地は、荒波の如く荒れていた。

 宿の一室に響いた鈍い不協和音は、鼓膜を突き刺し可視化した残虐の具現だった。

 窓より飛び出そうとしたヒューズだったが、ジャックがそれを止めた。


「なんで止めるんですか⁉助けないと⁉」


 険しい顔を向けるヒューズに対して、ただ首を左右に振るジャック。

 けたたましく耳障りな声明に、抑えられぬ怒りが湧き上がるが、止めることが出来ない。

 こうして拘束されている間にも、あれは進む。そうなれば手遅れになってしまう。耳朶じたに触れる聞くに堪えない汚声が強く、胸が苦しくなる痛切の声は弱くなるのが、その証拠だ。

 無情にも、悪夢のようなその行いをとがめる者はいない。


 一切の迷いなく、自らの正義に従い、声高らかに中央の兵士は鈍器で国民を殴りながら叫ぶ。広場に鈍い音が響く。初めは彼らも抵抗していたが、攻撃を受けるうちに力が弱まった。今ではただ叩かれるだけの肉袋と化している。だが兵士たちは鈍器を振り続ける。


「ああ、汚い!汚い!貴様らのような者たちを見ると寒気と怖気でおかしくなりそうだ!この苦痛を罰と知れぇ!この裁きを貴様ら汚物の浄化と知れぇ!」


 国民の誰かが、この迫害に救いの手を差し伸べることを期待したが、それはない。

 彼らは助けるどころか嘲笑い、石を投げつけ、兵士と同じく鈍器を振るう。

 すると、中央の兵士は足元の肉袋を持ち上げ、その人相を周りの国民に見せつける。


「この都市は美しき者たちのための都だ!国民よ!この者たちの正体は今!暴かれた!こやつらは悪魔だ!人の皮を被った畜生どもだ!人ではない!人ではないのだ!ならば大神は我ら正義を罰せない!公明な我らに課せるはずがない!なぜならば正しいのは我らだ!抹殺せよ、殺害せよ!そして栄光を!美の化身である我らが女王に栄光を!美の信徒である我らに祝福を!」


 兵士自身の手で惨たらしく原型すらわからなくしたのに、元からそうだったと宣言する。胸を上下させ満足したのか停止した彼らを確認した中央の兵士は兵士たちに指示を下す。

 そして天高く掲げられた刃は国民の頭部と胴を分断した。

 兵士の行動に歓声が湧く。人々と兵士は笑顔で称賛し合っていた。

 国民は兵士に賛美を送る。喝采の雨に兵士は目を輝かせながら、胸を張る。彼らには血で濡れた〝それ〟は見えてはいないようだ。

やがて事を終えた人々は去り、広場に静寂が訪れた。


「……女王が玉座につく前は、ここは貧民街だったらしい。女王の行進もその証明のためだ」


 警備があったとはいえ、ああして人前に姿を現したのは、権威の誇示こじだけではなく、そういう意味合いもあったようだ。

 自身の領域になったという勝利宣言、とどのつまり断罪を受けている彼らは敗北者だ。

 征服を成した彼女は、優雅に見下ろしに来たのだ。

 あの凱旋がいせんは、この地に眠る無数の死者たちへの幕引きだったのだ。


「これがこの都市の常識だ。下手に正義感気取ってみろ。兵隊どもが押し寄せてくるぞ」


 ジャックの冷淡な声が、組み伏せられたヒューズの鼓膜を揺らす。

 ジャックはもう話すことはないと立ち上がり、その場を去ろうとする。


「俺がこの都市に残るのも明日の朝までだ。今日の夜、任務がある。それまで休んでおけ」


 部屋を後にするジャックに、ヒューズはもう何も考えることが出来ず返答もできなかった。

無人の一室で嗚咽おえつが漏れる。自分は衛士になって、多くを助け、正しさを貫きたいと思った。

 だが、現状は任務の枷に囚われ何も出来なかった。


「……———。」

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