旅立ち

鉱山都市、南門衛士所——



 謎の生物を撃退した衛士たちは、各々の持ち場に戻る。


 都市の門を抜け、内部に入ると、数秒前までの出来事が嘘だったかのように平穏だった。店先で客引きをする店主も、はしゃぎまわる子供も、大通りの隅で物乞ものごいをする放浪者ほうろうしゃも、まさか自分たちが命の危機にひんしていたなど、夢にも思わないだろう。


 ほんのりと暖かくなった陽だまりが、平和の空気を助長する。

 そんなすでに危険とは乖離された衛士所の治療室に、彼はいた。


 衛士所に急ぎ戻り、胸を上下させながら、扉を壊す勢いで開いたヒューズは同僚を探す。しばしの静粛せいしゅくに不安を覚えたが、直後に返ってきた声に安心すると同時に、そこに向かう。


 遮られたカーテンを掻き分けると、その先には衛士長の秘書エルピス・ドーラーに治癒魔術を受けるウェイトがベッドに横たわっていた。


「…無事だったみたいだな!良かったぜ!」


 ウェイトはヒューズの姿を上から下へ値踏みするように確認し、自身がそれよりも相当ひどい状態であるにも関わらず、ヒューズの健康に安堵する。


 ウェイトの体はり傷だらけ、血がにじむ包帯を見るに傷はまだ塞がっていないようだ。そんな状態でウェイトは上体を起こす。その行動にヒューズとエルピスはヒヤヒヤする。

 しかし本人はそんな心配を気にせず、起き上がる。そして、今日の戦績について語りだした。


「いやぁ凄かったな!何だあれ?全然敵わなかった!俺もまだまだ修行不足だぜ!」


 想像していたより、平気そうで面喰う。本当にこいつの頑丈さは凄まじい。

しかし、そんな様子を見ても罪悪感は消えず、目の前の同僚への申し訳なさが絶えない。


「…すまなかった」


 ヒューズは同僚に対して頭を下げ、その様子を見た同僚はあたふたとする。


「おい、やめてくれよ。顔を上げてくれ。俺はこうして生きてるし、お前を守ったのも盾役である俺の本来の役目だ。今回は相手が悪かったんだ、それを考えれば善戦した方だぜ」


 ウェイトはこう言っているが、事実として死んでもおかしくなかった。なのにこいつは俺を叱責するでもなく、軽蔑するでもなく、接してくれている。


「……ヒューズ、俺の言ったことは覚えてるよな?俺たちには時間が無い」


 ウェイトの言葉に、こくりと頷く。

 彼が話した芸術都市の情報、今、俺たちが直面している不確定要素。


「その真偽がどうあれ、どのみち俺たちはもっと強くならないといけない。今回みたいに守ってもらえるとは思わない方が良い」


 それを抜きにしても、今回の襲撃で痛感した。

 事実、ヒューズは守りたいものを守れなかったのだ。


「さあ、仕事に戻れ。……お前が……俺たちがやるべきことは、分かるな?」


 扉へ促したウェイトに従ったヒューズは、退室する直前、改めて友に謝意を述べた。


「……本当に助かった。この借りは忘れないよ。任せろよ!今度は皆を守る!」


 ウェイトは手を振り、見送る。そして衛士所の治療室はヒューズが訪れる前の風景に戻った。


 最後までヒューズを見送ったウェイトは一つ深呼吸をして、呼吸を整える。

 ゆっくりと上体をベッドに戻したウェイトの表情は苦痛に歪み、鉄面皮が剥がれた。巨漢の衛士はゆっくり頭を下げた。彼の傷はその入り口を塞ぎ、流血はすでに止まっていた。


「傷口は塞ぎました。後でお医者様に見て貰ってくださいね。それにしても…」


「ふふっ」と彼女は笑った。

 エルピスの表情に微笑が浮かぶ、それは花のように周囲の空気を和ませる。

 ウェイトはその可憐な表情を見て、この女性に惚れているアーチの気持ちが分かった。


「やっぱり、男の子なんですね。強がって無理して。いや、君の場合は優しさかな?ヒューズ君に心配かけたくなかった?」


 現在の状況と先程のヒューズの状態を見て、秘書エルピスは大体の経緯を察した。


「まあそうですね。あいつの足枷にはなりたくない」


「?……それはおかしいじゃないですか?」


エルピスはその間違いを指摘する。


「ウェイト君の方が明らかに強いはずよね?それをまるで自分が足を引っ張っているような言い方をして。それに君、本当は中央に配属されるはずだったのにヒューズ君についてきたでしょ?」


 手負いの衛士は戸惑い、沈黙する。今まで衛士所に配属されている人々にこの手の質問はされたことが無かった。新米であるから王都以外に配属されることはおかしくないと、自分と遭遇そうぐうした人々全員は口々にそう言ったからだ。

 それに少し疑問を覚えたが、別に隠していることではないのでポツリポツリと理由を答える。


「……確かに今の俺はあいつより強い。だけど、この先あいつは俺を必ず追い越しますよ。だからあいつの成長を拒むわけにはいかない」


 改めて自分の発言が恥ずかしくなり、「……まあ、あくまで予感なんですけどね」と頬を掻いたウェイトに秘書は自身の考えを伝える。


「……それは勘違いでは?」


「ははっ、そうかもしれません。けど俺の勘は良く当たるんですよ」


 巨漢の男はそうに違いないと傲岸不遜に呟く。根拠はない、証拠もない、だけど信じて疑わない。

 しかし、ウェイトの心中はそれだけではない。ある思慮も残っていた。


「……だけど同時に危うい。あいつは寄り道が多いんです。いつも必要以上のものを抱えて」


 そばでつるむうちに、その善性に気付く。

 善根ぜんこんであれば、良かった。人助け、良いことじゃねぇか。だけど危険なのは……。


 自身に全く関係のない事柄でさえ、そこが死地であろうとも、守護に帰結する戦いであれば、彼は笑いながらそこに向かうのだ。

 一過性いっかせいの美しさすら感じられる彼の行動は、いつか彼自身も壊してしまうだろう。


「あいつは、誰かが近くで見てやらないといけない人間なんです」


 数度の善行ぜんこうで気取った。ああ、こいつはこういう人間なのだと。

 エルピスはその様子に呆れを通り越して感心までする。


「はあ…、そんな理由でよくあなたのお父様も許したものですね」


「いや、親父は俺の南門の配属に異論はなかったですよ。むしろ賛成していた。経験のない新人に中央はまだ早い!学んで来い!ってね」


「副団長様は息子でも厳しく当たるのですね」


「はい、この都市の盾ですから。都市を守るため未熟な衛士を排出するわけにはいかない!と」


「ふふっ、何となく副団長の人となりがわかりました。さて、私は治療も終わりましたし、持ち場に戻りますね。お医者様も呼んでおきます」


 秘書は腰を持ち上げ、扉に向かう。衛士も休養するため、その瞼を閉じる。

その途中、秘書は立ち止まり患者のベッドに向き直ると。


「愚かですね。ただの予感でここに来るなんて。それにもったいないです」


 その表情には微笑が浮かんでいるが、侮蔑と哀れみは感じられない。


「でも私はあなたのそんな優しくて、自由奔放なところ好きですよ」


 衛士は突然の発言に閉じかけていた瞼を開く。不覚にもドキッとしてしまった。

 そんな不意打ちなどに気付いた様子もないエルピスはその場を後し、無人になった治療室で衛士は眠りにつく。その直前…。


「ヒューズ、信じてるぞ。俺のことは構わず置いて行け。この前助けたガキンチョに言ってたよな。あれはたしか…そう、最後にちゃんと出来れば良いんだったよな…」





「死ぬなよ、相棒」




 その届くことのない警告は、空気に空しく消える。

 その音が掻き消えた時に、ヒューズにある命令が下された。



 〝南門衛士所所属、衛士ヒューズ・ドラコニス

 貴殿に芸術都市への潜入任務を通達する。都市の内情を調査せよ。〟

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