幻想体術〝■■■■〟

鉱山都市、近郊、大草原空中———————


「うおぉッ!」


 寸での所でその場で飛んで空中に浮かび、剣の柄を挟めたが、衝撃を和らげることは出来ず後方に吹き飛ばされた。そして矛の衛士は、盾の衛士と同じ末路を迎える。


 空を舞う中でヒューズは叫ぶ。意識を失いかけていたが、肌を殴る風、普通では感じられない浮遊感が意識を呼び起こした。覚醒した彼は風の抵抗に耐え、落下地点を見る。


 そこには門周辺の警備用に建築された十一の家屋とそれを囲う防護柵が見えた。

 外壁の防護と、衛士が暇を弄ばないようにと気休め程度に設置されたものだ。門の更に外側を警備する二重警備を行う衛士用の休憩スペース、それがあの家屋だ。


 このままでは家屋に激突する。だが回避する手段はない。助かるかはわからないが、出来るだけのことをして耐えるしかない。体を固め、防御態勢に入る。


 弾丸と化し、家屋を穿つヒューズの脳内をガラス、木材、家具の破砕音と衝撃が襲う。苛烈かれつな暴打にさらされて、力む目尻を微かに震わせ、これから訪れる痛切を忌み嫌う。


 全身の感覚を研ぎ澄ませながら、負傷部位を探す。今ならまだ応急処置をすれば間に合うと考えたからだ。だが、返ってくるのは柔らかい感触だけ、どうやら運が良かったようだ。

 目をしばたたかせながら、自身の身体と周囲を確認する。体の感覚はあるし、五体も無事、だが家屋は半壊している。よくあれだけの衝撃を耐えたものだ。これも下敷きになってくれたクッションがあったおかげ————————。


「酒くさッ⁉」


 自身の下にあるモノに目を向けようとすると、辺りに立ち込めている酒臭さに気づく。

 この吐き気を催す異臭がするということはつまり下にいるもの、いや人物は……。


「てめぇ…上司に対して開口一番がそれとは良い度胸だなぁ、ヒュ~ズ~」


 我らが南門の衛士長、リオン・ラース殿だった。


「お前も~ウェイトも~、衛士やめて人間ボールになったのかぁ~?良いだろう、立てよ。だったらまた向こうにぶん投げてやるよ!」


 衛士長はとても憤慨ふんがいし、その手はヒューズの頭をギチギチと掴み持ち上げている。

 アイアンクロウだ。

 どうやら彼が下敷きになってくれたおかげで助かったようだ。ていうかこの人も良くあの衝撃を耐えたものだ。普段はあんなでもやはり南門の衛士長、耐久力は折り紙付きのようだ。

 そしてヒューズは彼の言葉の中に気になる単語があったことに気付き、仲間の安否を聞く。


「え、衛士長!ウェ、ウェイトは、ウェイトは無事なんですか!」


「あん?あ~、あいつは無事だぞ。今頃、衛士所で治療されてるところだろうな」


 どうやら無事だったようだ。それにしてもあの状態で食らった、あの一撃。良く生き残ってくれた。仲間の生存を聞き、ウェイトの生存力に感謝する。安堵あんどの声を漏らしたヒューズは続き、対応してくれたであろう自身の上司に謝意を述べようとする。


「ウェイトも衛士長が受け止めてくれたんですね」


 それも衛士長が墜落時の衝撃を和らげてくれたおかげ—————。


「ん?いや、俺は受け止めてないな。あいつは家屋に直撃だったぞ」


 衝撃の事実に絶句する。ウェイトはなんと生身で耐えきってくれたのだ。


 もしかしたらを考え、身震いする。改めて、仲間の耐久力に感謝の念が絶えない。

すると我らが衛士長も彼を絶賛した。酔いが覚めているのか、いつもより理性的だ。


「いやぁー、俺も感心してよ。あいつボロボロだったろ?盾も半分しか残ってなかったよな?なのにあいつ器用に盾の残った部分を使ってよ。最初見た時は死んだかな?って思ったけど、生きてたんだよな!これが!」


 冗談で言ってるのかわからなかったが、もしも本気で心配せず感心するだけだったならマジなサイ〇パスな気がするな、うちの衛士長は。助けて貰った立場で失礼かもしれないけど…。


「それで?何が来た?ウェイトはバカだが腕は立つ奴だ。ただの獣じゃないだろ?」


 リオンの状況確認に対して、言い淀むヒューズ。先程感じたものも、感覚的なものだ。これといった確信があるわけではない。なんとか自分の中でも整理をつけようとした。

 あれをどう説明したものか、明確にわかるのはあれが生き物ではない事だけだ。

 ヒューズの説明を待たずに、衛士長は踵を返し、怪物の方向に歩を進める。

 自身の目で確認した方が早いと判断したのだろう。彼は異形の討伐に向かう。


 その後を、慌てて追いかけるヒューズ。

 あれを前に、悠長に治療など受けている場合ではないと考えた。

 せめて、あの異形の結末だけは、なんとしても目に納めなければ。

 リオンは、左斜め後方に追尾するヒューズを見たが、何も言葉を発さなかった。


       ◇ ◇ ◇


 現在、衛士たちを統率している熟達の衛士が指示を出していた。

 異形は後方の外壁を貫く勢いで突き進むが、重厚な盾たちがそれを阻む。


 圧し掛かる超重量に、盾兵たちの顔が歪んだが、異形の突進は止まった。

 盾兵たちが雄叫びを上げ、怪物を押し戻す。さすがの異形も複数の力には抗えないらしい。

 盾兵の後方から剣を持つ衛士たちが散り、異形の側面に攻撃を与えるが、その表皮は頑強だ。


「回避しろッ!」


 熟達の衛士は、異形の表皮が流動したことを見逃さず、回避行動を下した。これはこの異形が攻撃を仕掛ける直前に見せる現象だ。そうして、一秒にも満たない時間に触手は放たれた。

 命令を受けた衛士たちは全員が触手を回避し、異形の周辺には誰もいなくなる。

 そして…。

 直後彼らの後方で矢を番えていた弓兵たちは一斉に矢を放ち、その全ては異形の頭部に直撃するが、あまり効果は見受けられない。そして、衛士たちは最初の陣形に戻った。


 熟達の衛士、南門副衛士長、マルコス・ダガーはこの状況に歯噛みする。

 現状は、倒されはしないが、倒せない膠着こうちゃく状態となっていた。


 怪物の攻撃を何度も防いだ盾兵たちは皆、限界が近かった。

 陣形再編、その言葉がマルコスの脳裏に浮かぶ。彼は頬に汗を垂らし、考えを巡らせた。


「防御陣形ッ!」


 熟考しているうちに、異形が多量の触手を射出する。

 声高らかに防御姿勢の指示を出す。現状は非常に不味い。

 しかし、そんな状況にも関わらず、気の抜けた声が背後より聞こえた。


「おーおーおー、苦戦してるみたいだな~。マルコス」


 奥歯を噛みしめ熟考しているマルコスの後方より闖入者ちんにゅうしゃは現れた。

 その男は、両腕をポケットに入れながら、だらしなくかかとで地面に音を立てながら歩いていた。


 命を落としたと思われた新米衛士ヒューズと南門衛士長リオンの姿があった。

 リオンは臨戦態勢に入ってか、髪をかき上げオールバックにしている。

 その眼光にギラつきと両腕に微かに宿った「それ」から、マルコスは背筋に悪寒おかんを感じた。


「リオン⁉まずい!全員、怪物から距離を取れ!」


 そこからのマルコスの行動は早かった。その敵前逃亡に衛士たちは困惑する。そして衛士の一人がそれを指摘するが、マルコスの慌てようから衛士たちは疑問を孕んだまま異形から距離を取る。そして、異形の前には衛士長リオンが残った。


「ん~~……はあ~~、お前らさぁ。仮にもこの都市を守る衛士だろ?これで攻撃のつもりか?」


 リオンは異形を、正確にはその外傷を確認する。そして確認した後、大きなため息をつく。


 異形は視界にリオンを捉えると、その巨大な体躯を疾走させる。

 リオンと異形にはある程度の距離があるが、このままではそんなものすぐに縮まるだろう。

 異形は目と鼻の先。次に移る光景はき殺される衛士長の姿だろう。しかし現実は…。


「攻撃ってぇのはあ~、こぉう、やるんだろうがぁッ!」


 衛士長の怒声の後、その場にいた衛士たちは自身の目を疑うことになる。

 衛士長が動き出し、数コンマ。彼の両腕には、時空の歪みが発生していた。

 その腕は不規則に曲がり、ぐにゃり、と湾曲わいきょくしている。彼の両腕には、陽炎かげろうが灯っていた。

 幻ではない、幻影でもない。この世は、夢想の渇望が成り立つ世界ではない。浮世の現実だ。

 だが確かに、空中楼閣くうちゅうろうかく蜃気楼しんきろうは、彼の手の内にあった。


「唸(うな)れぇッ!〝兵戈ひょうが〟ッ!」


 次の瞬間、なんと異形の巨躯がひっくり返ったのだ。まるでそこだけ物理法則が歪んだように、小さき者が巨大な異形を力で圧倒したのだ。


 異形は突進し、その頭部は確かにリオンを捕えていた。だがそこに下方からリオンの拳が飛んできた。拳は異形のあぎとを捕えて頭が、身体が持ち上がり、横転したのだ。


 異形は腹を宙に向けていると、そこに衝撃が五度奔る。それは矢だ。

矢は遥か上空から異形の腹を穿つ。放ち手は見張り台で弓を番えているアーチだ。

 しかしそれは深い一撃ではない。あくまで表面だけだ。それを見た衛士長はまたも憤慨ふんがいする。


「だからぁ、そんな攻撃じゃあ敵は倒せねぇんだよ!わかってんのかアーチィッ!」


 もちろんこの場にいないアーチにその声が聞こえるはずがない。


「敵を倒すにはぁ、こうだろうがぁッ!」


 一時の怒声でリオンの怒りは収まるはずもなく、彼は瞬時に異形の腹上に移動すると、その鋭利なかかとを持ち上げる。

 そしてトンカチで釘を打つ要領で矢の上にその一撃を放った。


けぇッ!〝無用むよう〟ッ!」


 異形の腹状を刺し貫く衝撃は、内部にまで共鳴する。

 異形は悲鳴を上げ、断末魔が辺りに響く。明らかに効いていた。

 異形は手足をじたばたさせた後、パタリと手足を落とし、動かなくなった。

 無音の平原、衝撃の残響ざんきょうは勝利の宣言となって空間をいだ。


 これぞ、彼が〝回帰者かいきしゃ〟である所以。

 彼のみが保有する独自の世界観であり現実を塗り替える真我アートマン、幻想体術〝兵戈ひょうが無用むよう〟。


 勝負はあった。勝者は我らが衛士長だ。その足元には異形が伏している。

 そして、勝者は声なき野次馬と化した衛士たちに告げる。


「てめぇらぁ!わかったか!こうやんだよ!」


 現実離れした光景に一人を除いて、誰も声を発せなかった。

 声の主は副衛士長マルコスだ。


「リオン、皆をお前基準で考えないでくれ」


 マルコスがリオンに抗議すると他の衛士たちも呼応し、

 そうだそうだと声が上がった。


「バカか?戦場でそんなこと通用するかよぉッ!死に物狂いで戦いやがれッ!」

「ウェイト君はともかく、衛士所にいる全員はお前のような芸当はできないぞ!だから私が連携をとっていた所をお前ときたら……」

「あん?結果討伐できてねぇじゃねぇか!それに連携とるなら俺に合わせろや!」

「お前と戦ったら怪我人が出るぞ!好き勝手に暴れて、まったく……」


 その後も怪物の上に君臨する衛士長と地上から見上げる副衛士長の口論は続いた。

ヒューズがリオンの戦闘を目撃するのはこれが初めてだった。

 ヒューズは、周囲の衛士と同じく、言葉を失うのみだった。

 いつの間にか私情が入りだし、論点がずれ始めた所で異変が起きた。副衛士長が「リオンッ!」と衛士長の足元を警戒する。

 なんと足元の異形はあの一撃をまともに食らったにも関わらず、動き出したのだ。怪物はまたもその関節の方向、位置を組み換え、手足を地面に下ろし、衛士長を振り落とした。


 異形はその場を逃走する。その先は森の入り口方向、森の奥地へと姿を隠そうと試みている。


 衛士長は、それを見て数秒思考した後に、舌打ちをして都市へと足を向けた。

 異形はそのまま、身体に負った傷を抱え、森の奥地へと走り出し、消えていった。


「全員、衛士所に戻ろう。あの生物?は一先ず後にしよう。こちらでも上に報告しておく」


 マルコスの言葉を合図にその場にいたすべての衛士が持ち場に戻った。

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