大草原での戦い

鉱山都市、近郊、大草原—————


 草木が垂れる初冬の平原、見上げる空には積乱雲が高くそびえ、まるでこれからの積雪を暗示しているようだった。


 備えの終わった自然の共生者たちは、静かにゆっくりと身を潜めていた。

 これから訪れる困難への予備と対策、さて今冬はいくつの生命がこれを越せるのか、穏やかながらも闘争心をはらんだ黄金原は、悠々緩々ゆうゆうかんかんと黄昏を待っていた。


 そんな彼らの緊張の糸は、一切の迷いなく一瞬で乱されてしまった。

 誰しもが首を持ち上げ、身構えた。

 地中より伝わる振動、空間を揺らす大音、嘆きにも似た自然のざわめき。

 この領域の者達は、指し示すことなくもそれが現れたことを直感したのだ。

 全ての生物の脳裏に同じ思考が舞い降りる。「ああ、これは自分達ではどうにも出来ない災害だ」、そんな諦めにも似た言葉が駆け巡った頃には、彼らもそれを視認していた。


 黒《《くろ》く、くろく、くろく、くろく。

 ふかく、ふかく、ふかく、ふかく。


 黒けき深淵、暗黒の淀み、闇の濁り、夜を束ねし父祖。


 存在そのものが、自我への攻撃だ。

 自然を壊しながら進行するそれは、腐乱ふらんしながらも突き進む。

 目指す先は、人の領域。自然の憎き怨敵おんてきだ。


 奴らとて、これにはどうしようもない。あれは動物たちにそう確信させるほどに埒外らちがいの存在なのだ。瞬きをすれば、あの居壁は残骸となっているだろう。一呼吸すれば、石の山は、火山へと変わっている。一歩進めば、そこはもう更地となっている。


 今日を以って、彼らは淘汰されるのだ。

 轟音響き、衝撃で周囲の大地はえぐれ返った。衝突で飛び散った黒い一部は、自然を枯らせて死滅させた。これまでそれが通った道も獣道となっている。

 これで彼らは理解した。

 確かにあれは人には脅威だが、自分たちには終焉なのだと。


 だが、激突による瓦礫は生じていない。死人すらだ。

 なぜならそれが打擲ちょうちゃくしたのは、都市の守りではなく、人間の盾であったからだ。


 異常を押しとどめる人間、ウェイト・イアスは全身全霊を傾ける。

 盾を掲げたウェイトは大地を踏みしめ、目の前から迫る大質量にあらがわんと力を振り絞る。

 歯を食いしばり、盾を持つ腕がきしむ。押し戻すどころか、押し返されるばかりだ。


 目の前の存在の正体を暴くべく、知識を漁るが、やはりこんな異形は記憶にない。

 さすがのお気楽脳筋なウェイトも、模索もさくする中で確信していた。

 額に脂汗を浮かべ、こんな経験はさすがに早すぎると理性が警報を鳴らすが、それを誤魔化すように状況に関わらず口角を吊り上げる。

 異形を都市に向かわせるわけにいかない、と。


 腹下に力をめる。うなる内臓と弾ける筋線維が不規則に脈動し、壊れてしまうのではないかというほどけたたましく暴れている。

 異形を押し返すべく放った咆哮は獣のそれだった。

 不敵な笑みを浮かべ、力を引き上げる。限界を超えた肉体運動は人体の筋細胞を破壊する。


 無我の境地の果てに、形成は傾いた。

 異形の巨躯は後退する。拮抗きっこうしていた力が、少し森林側に押しのけられたのだ。

 押し返された異形は地面を盛り返す。その体表が根にまで接触したのか、枯草の領域が目に見えて広がる。その様相は、汚染が地核まで到達し、この星さえも殺してしまうのではないかと危ぶむほどだった。


 進行をはばまれた異形も黙ってはいない。突如、異形の右側面から複数の触手が出現する。触手は値踏みするように頭をこちらに向け、次の瞬間高速で動き出し、ウェイトに襲い来る。

 防御態勢は間に合わない。その上、防御態勢を取ってしまえば、どのみち突進が来る。

 ウェイトは攻撃に備える。斬撃ざんげき性は見受けられない。打撃ならばある程度は耐えられる。


 しかし、直撃する前に、触手はその頭を切り落とされた。

 異形を食い止める衛士は背後に目を向けると、そこには剣を振り切ったヒューズの姿が。

 ヒューズは視線を目前の異形に向ける。生物とは思えないその名状しがたき容姿に身震いする。生物というより、ヘドロのような非生物が意思を持って動き出したと言う方が納得できた。


 ウェイトに迫りくる触手を切り落としながら、異形の正体について推考すいこいする。が、異形はどの書にも該当がいとうせず、一言一句も記されていない。正体不明の相手にどれくらい保つだろうか…。

 おそらくアーチが衛士所に事態を報告してるだろう。今頃、衛士所の先輩方は戦闘準備中だ。


 横目でウェイトの顔を見るヒューズ。彼は焦りを憶えた。

 ウェイトの顔色は悪い。額に血管を浮かべ、押し返す両腕は小刻みに震えている。はたから見ても相当無理をしている。彼の限界が来る前に、増援が来ると良いが……。


 すると異形は対象をシフトし、重量をまと猛打もうだがヒューズに迫る。その数、五つ。

 ヒューズは剣撃を散らせながら猛る。剣の動きが恐ろしく鈍い。まるで周囲の空気が実体を伴った無数の手となって押さえつけられてるようだ。


 三本は斬り落とし、四本目は剣で逸らす。だがこれでは五本目を防ぐことができない。冷ややかな恐れを直感したヒューズは、体を左に捩り触手を脇下に通過させた。


 直後、右側にある四本目と同時に斬り落とすべく両腕を振り下ろすが、直前にその上下の触手から新たな触手が射出される。

 顔に迫った触手は首を曲げて避けたが胸部の触手は直撃し、ヒューズは後方に吹き飛ばされた。吹き飛ばされ宙を舞う時間、守り手のなくなった相方の次の瞬間を予言し、現実となった。


 舞うハエを消した異形は、行進を阻む障害を排除せんと左右から触手を振るい、ウェイトの右肩、左脇腹、右太腿を抉る。それにより形勢が変わる。力は緩み、後方に押し込まれる。


 負傷を負った巨漢の足元に、鈍色の破片が転がる。それは鎧だったものだ。

 力勝負では圧倒的に不利だと理解したウェイトは、体の複数個所から発生し始めている熱が体を燃やす前に、目前から迫る力を横に逸らした。それにより異形の横腹が露わになる。

 ウェイトは盾を掲げ、異形の腹に突進する。突然の横からの襲撃に異形は態勢を崩した。その黒い巨躯は盾を持った一人の衛士によって横転し、大地をめくりあげ、地を這う。


 一人では手が余ると考えたウェイトは、対象から距離を取り、もう一人の仲間の下へ向かう。


「大丈夫か!ヒューズ!」


 ヒューズは胸部の防具を確認すると、一撃でひしゃげていた。ヒューズは防具がある程度の衝撃を吸収してくれたが、それほどの攻撃をウェイトは生身で受けたのだ。

 見れば、攻撃を受けた部位は痛々しく血が滲み、彼の笑顔も悲痛だ。


 会話の間はなく、異形は響動どよみを起こす。轟然ごうぜんたる叫びは、四方を地獄へと置換していった。

 横転した異形は手足を暴れさせていたかと思うと急停止し、直後手足の関節の向き、位置を移動させる。改めて敵を確認するが流体のようだった。手足は流体の体表を波立たせ移動する。

 定位置に着いた手足は、停止すると地面に下ろし、その身体を持ち上げる。


 剣を構え、間違いなく生物でない異形の行動に警戒する。すると横に盾を持った巨漢が立つ。その身体はふらつき今にも倒れそうだ。手当しているが、焼き石に水だ。流血は停止してない。


「ダメだ、ウェイト!下がって!」


「安心しろ!俺はお前の盾だ!どんな攻撃からだって、お前を守ってやる!」


 制止の声も押しのけて、自身の防衛力を誇示こじするウェイト。状況は、禍福かふくあざなえる縄の如く。都市への意識をらせたのは良いが、今のウェイトの状況では望ましくなかった。

 臨戦態勢に移った形なき異形は咆哮ほうこうを合図に突撃する。その流体であるにも関わらず、対象に多大な損傷を与える凶器は、目の前の障害を原型の残らないき肉に変えるべく、突き進む。


 その場ではもう選択の余地はなく、なによりそんな余裕はなかった。

 そうして衛士は友に誓う。彼に今できたのは、それくらいだった。


「約束する。俺はお前を絶対に死なせない」


 並び立ち、己が武器を構える衛士たち。

 だが即座にその突進は緩んだ。側部に生じた衝撃によって阻まれたからだ。衝撃は三つ、彼方から放たれたアーチの矢だ。ヒューズはそれを合図にウェイトと共に走り出した。彼が弓を放っているということは、状況は衛士所に報告済み。


 ここを耐えれば、増援が駆けつける。


「正面から戦っても埒が明かない!回れ!」


 二人の衛士が異形に迫る。対象は衝撃を受けた方向を注視し、こちらからは気が逸れている。

 彼ら思考は驚くほど深く、澄み切っていた。攻撃による損傷が幸いし、一種の興奮状態が通常以上の身体能力が引き上げていたのだ。死という氷結の予期すらも後押しにして、反応速度を跳ね上がらせた。


 怪物はもう目と鼻の先、まだこちらに気付いていない。

 ヒューズは、怪物を剣で斬りつける。その初激で、彼は驚きを隠せなかった。

確かに彼は、敵を削ぎ落とすべく剣を振るった。が、刃は敵の体表を浅く削るのみだ。


 目先の衛士に気付き、斬撃に憤慨した異形は強力な触手を放つ。

 しかし、穂先ほさきは全て対象に当たることは叶わない。ヒューズは敵の側面に体を滑らせる。

 対象の移動を認識した怪物は、側面の敵を排除せんと新たな触手を出現させるが、ヒューズと無形の物体の隙間を新たな影が入り込む。影はウェイト、彼は触手を悉く盾で吸収する。

 触手は万全ではないウェイトを吹き飛ばそうと力を籠めるが、ヒューズがそれを斬り落とす。

 怪物は一対となった衛士たちを正面に捕えようと体を回転させるが、即座に視界から消える。


 戦う思考の中で、この停滞に希望を望むと、それはすぐに叶った。


「報告を受けて参った!新米二人、下がれ!ここからは我らが相手をする!」


 われ鐘のような太く重たい声が、深奥へと沈殿した衛士の意識を引き戻した。


 耳心地の良い音に目を向けると、南門所属する衛士たちが完全武装で駆けつけていた。「何だ⁉こいつは⁉」「こんな怪物、見たことないぞ…」と、目の前の異形に混乱と驚愕きょうがくする衛士たち。

 彼らは、その肉体部に接着せっちゃくする腕部が痙攣けいれんしながら背面で円運動する様に、この世のものではないことをすぐに理解した。


 異形は、絶叫する。自身の周囲に増えた羽虫を、心底わずらわしく思ったようだ。

 その悲鳴を聞いたヒューズに、先程までの焦燥感しょうそうかんは消えていた。

 なぜなら頼もしい味方が来た上に、仲間の治療も出来るのだ。


「よし!ウェイト!俺たちはいったん引くぞ!お前も早く傷を———あ……」


 ヒューズは、呆けた顔を浮かべることしか出来なかった。異形は、彼の気が逸れた一瞬を異形は見逃さなかった。敵を一撃で葬る、過剰に膨張した触手は、もうヒューズの目前まで迫っていた。避けることは不可能。反応するには遅すぎる。大質量を孕み、当たれば確実に助かることのない死の一撃は、刻一刻と迫る。


 脳天から血の気が、すん、と引く。それ以上の情報は感じることが出来なかった。標的は、自身の身長はある触手を目前にして、ただ立ち尽くすことしか出来なかった。ぬめりとした感覚が、鼻先にあたる。そして……。


 ぐしゃり。紙を手のひらで押しつぶすような感覚だった。


 ヒューズはあることに感づいた。ああ、そうか。こいつは、まだ生まれたてなのだ。元より我々を掌握する存在が、あそこまで弱いはずがない。

 その危険性に気付こうと、意味は無くなった。もう伝える方法は存在しないのだから。

 しかしその一撃はヒューズに当たることはなかった。ウェイトが突進する形でかばったからだ。

 ウェイトは一撃を防ごうと試みるが、盾はひしゃげ、砕ける。盾の破片がその場に散らばる。そして千々に砕けた破片を置き去りにし、彼の体は彼方先の空へと吹き飛ばされた。


 一時、理解を拒み呆然としたが、自身の油断が仲間の死に繋がったことを理解し、叫ぶ。彼の名を叫んだが、反応があるはずもなく。他の衛士も目前で起きた出来事に恐怖していた。


 若輩じゃくはいの衛士は敵うはずのない敵に無謀むぼうにも立ち向かう。制止の声が聞こえたが止まらない。

 何度も怪物を斬りつけるが、刃は通らない。あくまで表面を削るだけ。

 怪物も黙っているわけがなく行動を起こす。先程と同程度の触手が突如出現した。

 冷静さを欠いたヒューズは気づかず、怪物を討伐せんと斬りつける。

 そして超重量の一撃がヒューズに放たれる。回避は叶わず、一撃はヒューズに直撃する。

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