明朝、二人の衛士は・・・。

朝、鉱山都市、南門衛士所——


 南門衛士所の向かいにある倉庫群、その一つである防具倉庫で、椅子に腰かけ、鼻歌交じりにタオルとろうで自身の鎧を磨く巨漢が一人。


 気温の低い倉庫内で、鎧のように身を強張こわばらせながらも巨漢は熱心に光沢を与える。

 倉庫上部の窓から差し込む木漏れ日のような朝日、男にとっては、それが暖炉のように暖かかった。周囲は鉱物ばかり、その熱源が無ければ温度は下がる一方だっただろう。見上げるばかりに高く、淀みなく保管された鎧たちは、こちらの心理を凍てつかせる。

 遠方の鎧は埃を被り雪原のようで、付近の鎧は光沢を放ち海原のようだ。ひんやりとさびれた無人の空気が、なんとも少年の心をくすぐる秘密基地感があった。


 腰掛けた男は鎧に、はあ、と息を吐く。外気の温度差から生じた結露を拭い取るとイカした顔がより光って見えた。巨漢はそれをうっとりと満足そうに眺める。


 短く切り揃えられた髪、彫り深い顔が特徴的な男、ウェイト・イアスが同僚を待っていた。


 待ち合わせなどしていない。付き合いの長い彼なら迷わず来るだろうと踏んでのことだ。

 そして予想通り、扉が開き、待ち人がやって来た。


「おはよう!ウェイト!」と、衰えとは無縁の声が、倉庫内にこだまする。こちらの存在を探る声に返したウェイトは、磨いていた鎧を着こみ、冷え切った内側の温度に身震いする。

 貸し出し蝋とタオルを綺麗に定位置に戻し、ジグザグと倉庫出口に向かうウェイト。

 じきに出口へとたどり着いた伊達男をヒューズが出迎える。

 そうして二名の衛士は、本日の持ち場へと向かう。




 少年は目前の巨大建築を見上げる。

 鉱山都市南部、都市から外界への出口の一つである南門付近に、その建物はあった。

 衛士所、都市の四方に設置された巨大施設。ここはそのうちの一つ、南方を統括する部署だ。重厚な石膏せっこうの巨大建築は、守護を題目とする衛士の施設に相応しく、堂々と鎮座していた。


 防具倉庫を出た彼らは、左へ切り替えし衛士所を過ぎ去る。

 石畳いしだたみの通路、早朝であるため人通りは少ない。

 所狭しと立ち並ぶ建物群は迷路のようで、鳥のさえずりさえ聞こえぬ空間は静かで、でもなんだか特別な時間のようで心躍る。


 白い息吹吐き、喉がただれる空気を肺に取り込む。白光に包まれた都市はこれから次第に目を覚ますだろう。ヒューズとウェイトは目前の外壁を目指していた。

 澄み渡る白空の下方に映りこむ外壁はなんとも邪魔で、憎たらしい。

 しかし事実、それがなければ、南方の大森林から出現する聖獣に侵入される恐れがある。あれがなければ人々は安心して夜を明かせないのだ。

 空を楽しみたいのであれば、真上を見るなり、手で外壁を隠すなりすれば良い。


 今回二人に与えられた任務は外壁の調査と点検、そして警護だ。

 見上げるほどの剛健ごうけんな南門を抜ける際、門番である堅物顔の衛士と顔を合わせて会釈する。もうここに来てから一年近く経つ。そうなると顔も自然と覚えられた。門番からは「ああなんだ、今日は君たちか。はい、行ってらっしゃい」ぐらいの感覚で通された。


 門を抜けると枯草の平原が彼らを出迎え、金色の原を揺らす風が、頬に突き刺さる。邪魔者のいなくなった景色はなんとも荘厳だ。

 彼らは人と自然、その狭間の上を壁伝いに、歩みを開始する。

 だが、その歩みは早々に停止した。ヒューズとウェイトの鼓膜が真空を切り裂く音によって揺れたからだ。彼らはともに頭上へと目を向けた。


「良いよな、アーチは。俺たちは経験を積むために戦場に出たってのによ」


 風切りの風圧だけでも、かまいたちのような傷が出来そうな矢の膂力りょりょくを見て、ウェイトは羨まし気に愚痴ぐちを吐く。

 郷愁きょうしゅうを抱き、その光景を思い出す。突然のことだった、南門衛士所の配属。

 訓練校の先達に聞けば異例の事らしい。

 まあ、実際に来てみれば、矢の補充、門の見張りと検閲、街の警備と称した市民の道案内ばかりなので、訓練校にいた方が良かったが。


 深紅と短髪の衛士は、自身の仕事のため歩みを再開した。

 気だるげの声を上げながら、錆びついた筋肉を動かし弛緩しかんさせるウェイト。

 首を回せば、これまた気持ちの良いほどの音が鳴った。


「じゃあ、任務が終わったら鍛錬だな!今日も相手するぞ!」


 悩みに真摯しんしに対応した親友には悪いが、鍛錬は毎日行い、半ば日課となってしまっている。


「それじゃあ、いつもと同じじゃねぇか」


「なら衛士長を呼べばいい。……今日は難しいかもしれないけど」


 ヒューズはそう言うが、衛士長にも幾度か稽古をつけて貰っている。

 以前、リオンにコテンパンにされたヒューズは「今度は負けないぞ!もっともっと強くなる!」と言って前を進む。表情の晴れないウェイトは、その意気込む背中にある提案をした。


「なあ、試しに親父たちに潜入任務に配属されるように頼んでみねぇか?」


 潜入任務とは文字通り他都市に潜伏し、都市の内情、内部戦力を把握するための任務だ。

 向かうのは東西南北のいずれかの都市、ヒューズたちの住む鉱山都市は西に位置する都市だ。


 ウェイトは現状をうれいていたのだ。生死の境に晒されることなく、決まった相手との戦闘、自身の親たちに守られたこの鳥かごのような現状を。潜入任務であれば、ここよりはるかに豊富な戦闘経験を積める。それだけではない。他都市での任務は、これから必ず役に立つだろう。


 目前で立ち止まった親友は振り返り始めた。まだその表情は視認できていないが、きっと瞳を傘型に細めて、自分の意見に賛同してくれるはず———。


「……それはやめておいた方が良いんじゃない?」


 ウェイトはその反応に驚く。猪突猛進ちょとつもうしんな彼が、珍しく尻込みしている。

 いつもなら「良いな!行こう!」と肩を組み、笑いながら歩むと思ったが……。

 ヒューズは目線を横に逸らしながら、困惑の声を漏らしていた。


「新米がいきなりそんな重大任務。……それにな、父さんたちにも立場がある」


 その返答によってウェイトは得心がいった。こいつは他人の心配をしているのだ。

 もしも俺たちが選択を誤り、敵に捕まれば、親父たちの立場は危ぶまれるだろう。

ヒューズとウェイトの父は衛士団の団長と副団長であり、都市戦力の要だ。

ラテイン・ドラコニスは都市の矛、アーク・イアスは都市の盾。父たちが持つ伝説は数知れず、恐れられている。


 確かにそういった危険もある。だが、このままではいけない。これは責任の問題なのだ。押し黙る親友。少なからず彼にも、その懸念はあったのだろう。だが、迷いが見られる。

 沈黙の中を、凍える風が吹きすさぶ。その風温が伝播したかのように、場も冷たかった。


「昨日な、親父が屋敷に戻ってきていたんだ」


 ウェイトの言葉に、ここでようやくヒューズの目線が彼に向く。

 父たちは重役であるため、基本的に本部に駐在している。なので屋敷に戻ることは珍しい。


「聞いた話じゃあ、


 東西南北に存在する大都市、北は武装都市、武装都市と言われる通り四つの都市の中では一番の武力を誇る。

 東は芸術都市、こちらはそれほど秀でた特徴を保持していない。強いて言うならば工芸品や芸術品が盛んだ。


 ヒューズはウェイトの言葉に疑問を持たなかった。むしろ得心すらいっていた。その予測は、字面を見れば火を見るよりも明らかなのだ。戦力で秀でる都市が、他都市を吸収し巨大化する。この世界に存在する四つの大都市だって、そうやって大きくなってきたんだ。


「ここにも危険が及ぶかもしれないってことか?」


 ヒューズのその問いかけに、ウェイトは首を縦に振る。

 ただでさえ、武力を誇る都市が、その力を増すのだ。ならば次の行動など、決まっている。

 その危険性を提示したウェイトは、再度目前の衛士へと呼びかける。


「俺たちはもっと強くならないといけない。だからヒューズ、お前も———」


「よしッ!行こうッ!」


 突然の巨大な胴間どうま声に、呆気にとられるウェイトは、その発生源であるヒューズを見やる。

 言葉を遮った巨大音声を出したかと思えば、肩を組み笑いながら歩きだした。

 その声音には、先程の迷走はすでに消えており、前へ前へと進んでいた。


「なんで—————」


 変貌について行けず、その真意を問いただすため見やるウェイト。その理由はすぐにわかる。

 その琥珀こはく色の瞳に陰りはなく、濁りなどとは無縁の表情だった。


「これは守るための戦いなんだろ?」


 衛士の確認に苦笑を浮かべるウェイト、彼はここで再認識することになる。

 そうだ、この男はこういう人間だった。やはり彼は衛士に向いている。

 兵士でも戦士でもない。紛れもなく他者を守るための衛の強者だ。

 踏みしめる地面から帰ってくる反力が、幾ばくか強い気がする。

 軽い足取りの両者は、払拭した顔立ちで仕事に戻る。

 ケツを押してやろうと思ったが、彼に変わる必要など、何一つなかったのだ。

 そこでウェイトは、後方上部の見張り台へと視線を移す。

 連綿と磨き上げた技を、今日も積み上げるアーチ。ここいらで差を縮めなければ。

 しかし、見張り台を見ると、矢は短い間隔で放たれていた。

 それに違和感を覚えたウェイトは、矢の放たれている大森林の方向に目を向ける。

 そこには…。

 言葉が出ない。想定外の状況に呼吸すら忘れたようだった。ウェイトは絶句していた。


「ん?どうした?」


 そんなウェイトの様子に気づいたヒューズが声をかける。

 ウェイトは大森林の方向を指さし、自身の相棒に状況報告を行う。


「喜べ、経験が向こうからやって来たぞ」


 何事かと目を向けたウェイトは先程のヒューズと同一の反応を見せ,脳が認識を否定する。

 彼らの視線の先、そこには泥があった、際限なく湧き続ける汚泥があった。

 泥はうみのように、自身の存在を浄化という治療で癒すように際限なく生起する。

 多椀多足のそれは、泥を零しながらも猛進する。

 体の欠損など顧みない、なぜなら肉体となるぬかるみは今も内より出でて、蠢動しゅんどうする。

 蠢動、正しく蠢動だった。異形は多足を規則的に動かしながらも、こちらに不快感を与え、多椀は空を覆わんばかりにその稼働領域を広げる。


 ウェイトは、もう走り出していた。

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