生きろ

 水面の滴る不可思議な空間で、一人の女が何度も壁に拳をぶつけていた。

 溢れかえる黒波が、魔女の行く手を阻む。


「ゴオッ!・・・・ゴオッ・・・!」


 エリナは何度も、異形の壁を排除するが、泥は際限なく溢れてくる。

 欠損は瞬きをするうちに復元し、その事実に声にならない声を出す。

 降り注ぐ黒泥は、滝の如く。本来であれば、この程度は息を吹きかけるだけで消し飛ばせるのに、この空間は精神に依るものであるのか、この体はあまりにも無力だ。


「嫌だ、いやぁ・・・やだぁ・・・!」


 精神が顕著に表れる世界、包み隠せるはずの感情が意思で抑えらない。

 何度もその壁を叩くが、ただ表面が揺れるばかりで、一向に破れそうになかった。

 内部に魔力を流し込む。流し込んだ魔力は、反射することなく返ってこなかった。

 つまり、それだけの距離があり、隔てりがある。

 どう足掻いても、ここから抜けることは出来ないと悟ったエリナは、一度は距離をとってあたりを見まわした。


(この壁が永遠に続いているとは思えない。絶対にどこかに穴があるはず・・・)


 そうして彼女は駆け出した。壁沿いにひたすらに進む。なだらかな曲線が続き、一切に移り変わりのない景色が、こちらの感覚を狂わせる。焦りとの相乗により、それは恐ろしく長く感じられた。

 足元のよどんだ水面がすがりつくようにまとわりつく、エリナはそれを激しく押し返しながら必死に走った。

 間隔の短くなる呼吸に、涙に潤んだ瞳、くぐもった声が喉を鳴らす。そうなれば現実という空間が息を顰め、脳裏には目の背けたくなる予測が映る。

 現実と夢の狭間を行き来する彼女は、その地獄のような反復に歯噛みした。


 それこそが、彼女の後悔である。


 初めに、手放した人がいた。

 ——————————それはもう戻らないものだ。

 そうして手にしたものがあった。

 ——————————それは私が私である、忌むべき証左であり、象徴である。

 この不死身の体は長き時を経て、零落し堕落していった。

 ——————————濃度は飛躍する。染まり、また濃くなる。この繰り返し、終わりはない。

 だけれど、こんな私でも求められた。

 ——————————それに応えるために、私はもう一度・・・・。


 ゴオが明確に世界の敵であることは分かっている。

 けれどそんなの関係ない。あの子は私の弟子なのだ。

 そのためなら、私は世界すら敵に回せる。


 まさか誰かに手料理を振舞える時が来ようとは・・・。

 ——————————救えなかった。

 誰かとまた魔術を学べる日が来ようとは・・・。

 ——————————救えなかった。

 自分の為ではない。その誰かのために戦える日がまた来ようとは・・・。

 ——————————救えなかった。


 その時だ。エリナの脳裏に広場の思い出が溢れだした。

 彷徨う中で記憶を辿っていたせいだろう。その記憶の中でも私の弟子は笑っていた。そうだ、あなたともう一度、日向ぼっこをする獣に囲まれて魔術を学びたい。


「・・・え?」


 エリナは足を止めた。それは、記憶が嫌に生々しく輪郭を帯びたからだ。

 一瞬、それも夢の景色なのだと思ったが、違った。


 


 彼女はその威容を見上げた。

 凛とした目、触れるだけでこちらの手が切れてしまいそうな鋭い牙。

 その携えた爪は空気すら切り裂き、撫でるだけで致命傷である。

 巨大な体にしては細い。弱肉強食の世界において、それは致命的ともいえるが、そもそもその獣には防御という概念が必要ないように思えた。

 そう、その獣は刃そのもの。攻撃特化の究極の肉体である。


・・・⁉」


 魔女の目の前に現れたのは、四大聖獣が一角、獣王であった。


 エリナは冷や汗を滲ませた。

 驚愕きょうがくから瞳孔が開き、自分のこれまで生きてきた時を遡り、必死に知識を漁った。

 何も彼女は獣王に恐怖を抱いたのではない。

 やり方を制限されないのであれば、この獣の王を打倒することは可能である。

 彼女が焦ったいるのは、獣王の獣王であるが故の特性にある。

 ——————この状況で、一番に遭遇したくなかった相手と遭遇してしまった⁉


 エリナはすぐに魔力を練り上げて、式を編み始めた。

 この獣を捕えるには、あとどれだけの緻密を積み上げれば良い?

 ひとつ、ふたつ・・・そんな数では到底は追いつかない。数千は編まなければ、かすめることもできない。

 脳裏におおよその時間が導き出される。おそらく一時間近くは足止めを喰らってしまう。

 そうなれば、私の弟子は・・・。


 魔女が即座に手元を光らせた時だった。


 獣王が背を向けた。


 こちらに視線を送り、警戒していた獣王であったが、何か腑に落ちたモノがあったのか、はたまた単に興味を無くしたのか、背を向けてとぼとぼと歩み始めた。

 いいや、違う。あれはただ歩いているのではない。

 それを証明するように、獣王はエリナに目線を送った。


「 ついてこい 、ってこと・・・?」


 獣王の行動から、その意思を感じたエリナは走り出した。

 それに合わせて、追従者を確認した獣王も、その足を走らせた。

 そうして、異形の壁面を走る者が、一人から、一匹と一人に増えた。


 ちらりと、隣に視線を送る。

 そこには凛とした獣王の顔がある。

 澄んだ目線はまっすぐと正面を向いており、ブレることはなかった。


 エリナは確信した。獣王は確実に目指すべき場所を知っている。


 同時に納得もできた。


「広場に集まったあの子たちは、あなたのせいだったのね」


 その言葉に、肯定も否定もない。

 獣王は淡々と走るだけだ。


 息を荒げることなく、疾走する獣王。

 走法はさながら一枚の絵画のように完成されており、それが移り変わる様は圧巻であった。その姿を見ただけで、千差万別、この世の全ての絵が、贋作がんさくに思えてしまうほどの美しさであった。


 隣で駆ける獣のために編み込んだ魔力を、足部強化に回し、何とかその速度についていったエリナ、だが、獣王は〝彼方に潜んだ何か〟に目を見開くと次には、すんっ、と細めて跳躍ちょうやくした。


 その跳躍は千里を駆ける風であり、一瞬にしてエリナを置き去りにした。

 慌てて強化を強めて速度を上げる。エリナにとっては、もう獣王を頼る他なかった。彼女は獣王の目的地に自分の求める人がいると疑わなかった。


 細くなった視界が、元の長さに伸びる。エリナは速度を落として、巨大な背を見た。獣王に追いついたエリナは、直立する獣王を不審に思ったが、その巨体の前方、獣王の影に隠れていた先にいる敵を見て納得した。


「グルルルル・・・・」


 獣王の前には、がいた。


 エリナ自身、こんな怪物は初めて見た。

 生きてきた中で、多くの知見を得たつもりではあったが、目の前の怪物はその知識のどれにも該当しなかった。


 獣王と比類する巨体、獰猛どうもうな牙を携えた狂気が三つ、言わずもがな三首の獣の頭部だ。三つの頭部からは粘り気の強い垂涎すいぜんが光っており、こちらに危害を加えることは一目瞭然だった。


 その怪物を獣王と見比べる。三首の獣は、獣王の上位互換と言えた。

 爪は同じ、体のサイズも相違ない、牙は少し獣王の方が鋭利さを上回るくらいであったがどちらも十二分な殺傷能力を有している。

 だが、獣王には絶対に敵わない部分があった。

 それは頭部だ。

 獣王は一つ、対する獣は三つ。

 エリナは身構え、理解した。


(この怪物を倒せば・・・・)


 背筋にピリッと魔力を回した。


「・・・え?」


 風が吹いた。見れば、獣は一匹だけになっていた。


 勝敗は一瞬だった。まばたきをすれば終わっていた。


 エリナの目前では四つ、鮮血の噴水が舞い上がっている。

 その噴出口は、三首の獣の手足、しかし手足より上はどこにもない。


 風の正体は獣王、獣王はその牙、爪、肉体駆動で三首の獣の体をねじり切った。

 状況の理解を拒んだ時、それを突き付けるように頭上から肉塊が落ちて来た。

 それは三首の獣であったものだ。

 その有り様は吐き気を催すほどに、細切れにされていた。

 魔女から肉塊を挟む向こう側、

 獣王は冷笑を込めて、その末路を残忍に見下ろしていた。



                  ◇ ◇ ◇



「ここなの?」


 案内された先、獣王が鼻先で示した場所をエリナは見た。

 そこは別段に他と変わりない、ただの異形の壁があるだけだ。

 当の案内獣を見るも、反応なし。自分で確かめろと言っているようだった。

 それに従い、壁に触れ、魔力を送る。

 

「・・・ここなら、抜ける」


 獣王が案内するだけのことはあった。

 送った魔力も短時間で反射した。厚さも申し分ない。

 確かに、ここが一番薄い。


 状況を確かめてわかった。ここはなのだ。認識の外と言える。


 しかし、問題は解決していない。

 エリナにとっては、抜けた後が問題なのだ。

 おそらく自分は、抜けることは出来るが、その後に動けなくなってしまう。


 壁の前で顔を顰めるエリナ、その肩を、滑り気のある口がガブリと食んだ。

「え?ちょっと!?」、慌てふためくエリナを頭上に放り投げた獣王、慣性に従ったエリナは、態勢を立て直すことも出来ずそこに落ちた。

 体の全てに、ふかふかとした感覚が生じた。

 魔女は今、獣王の背に乗っていた。


 獣王はそのまま有無を言わせず壁から距離をとり、ある程度まで離れると方向転換、その行く先は、さきほどの壁である。


 獣王は四肢に力を籠め、上体を沈めた。


 そうだ、この獣はやる気だ。


「・・・私までしないでね」


 突如として周囲に起こった現象、その光景を見て、獣王の意図を察したエリナは、これから起こる事象に備えるため、自身に魔力障壁を張った。その障壁は、今も現実で異形を食い止めているモノよりも、格段に練度の高い障壁である。


 これから起こる異能には、それでも足りるかどうか・・・。


 魔女は不安を残したままであったが、獣王は走り出した。

 かつてないほどの体験であった。

 肉体が一粒の粒子と化すほどの速度、感じるのは撫でるようなそよ風であるくせに、周囲には大地にしがみつかなければ簡単に吹き飛ばされてしまうほどの暴風である。なので、エリナが感じたのは、風ではなく重力だ。単純な圧力、頭蓋すら砕きかねない圧死の衝撃は、障壁を張っていなければ、いとも容易く魔女をスクラップにしていたことだろう。

 魔女は獣王の背中から感じた筋肉の微細動作で、なんとか備えることができた。

 体の全てを獣王にぴたりとくっつけて、少しでも獣王と同化する。

 肉体を獣に預ける、重圧をすべてこの生物に押し付けるほどにだ。


 そうして、


 この現象は、未だかつて明かされたことのない御業みわざである。


 獣王は搭乗者エリナなど気にすることなく破砕はさいする。そんな気遣いは、目前の壁を破るには不必要なものだ。空間が悲鳴をあげるように砕ける。その発端と末端が、微細な粒子となって黄金の雪を降らせていた。


 、物質の結合を解く、回避不能の決壊。

 それが、獣王が持つ異能である。


 初めは獣王の周囲、次には半径100メートルの地点まで、当然、溶解の強度は中心である獣王が最も強い。ぱらぱら、と、終末にさえ備えられる障壁が、まるで砂粒をまき散らすように弾けていく、水につけた紙のような脆弱さだ。それでも、エリナは障壁に全神経を注力して、障壁を張り直していく。


 過去から現在、その長い時の中を探しても、この技を視認し、記憶したのはエリナの他にはいない。そもそも見た者は塵となってこの世から消されている。それも稀代の魔女、恐怖の象徴であるエリナであるからこそ、こうして生き残ることができている。


 体にのしかかる重圧、差し迫る粒子分解、それはエリナの残存魔力をごっそりと削っていった。そうして底が見え始めた時、エリナの頬が溶けた。

 皮膚がぺらりと剥げて、その下の無力な自分が現れるようだった。

 一瞬にして溶解速度が跳ね上がった。それは獣王が壁に接触し、予想を上回るほどに壁の存在強度が強かったためである。このままでは自身の肉体駆動によって命を終えてしまうと予期した獣王は、急ぎギアを上げた。


「アアアアアァッ!」


 体の崩壊に、悲鳴を上げる魔女。

 痛いなどという次元ではない。これは存在、魂すら溶かしてしまう拷問だ。

 指先と足先に釘が刺さる。その釘は肉を掻き分けて貫通する。そうしてその穴を境に肉は両端にゆっくりと裂け、最後には複数の肉片となる。

 そんな気が狂うほどの支配だ。


 だが、その甲斐もあり、魔女と獣王は壁の中へと到達した。

 初めは多重のコンクリート壁ほどの厚さを、ガラス窓まで細めて、最後には甲高い破砕音を通って内部へと抜けた。



                  ◇ ◇ ◇



 どこまでも遠く、白い空間を、少年は歩んでいた。


 その行く先は、核であり、穴であり、空洞だ。歩みを進める少年、ゴオは、できるだけその空間に目を向けぬように俯いて歩んでいた。


 なんとも皮肉な空間であると思った。

 末路にしては相応しいとも考えたが、白一色の世界と、その先にある少し黒みを帯びた地平線が、嫌な風景を思い出せる。


 ここはあの部屋に似ていた。


 だけれど、そんな苦難がかすんでしまうくらいに、多くのモノを受け取った。

 ここに来てから、すごく短い時間だけれど、これまでにない、とても穏やかな時間であった。


「・・・ああ、そうか————」


 僕はもう、それを手に入れていたのだ。


 そうだ、これが〝愛〟だ。


「じゃあ、もう迷惑はかけられないよね」


 僕は愛が欲しいために何かを成そうとしていたけど、いつの間にか順序が逆になっていたのだ。


 もう愛を受け取っていたのなら、それなら、それに報いるだけの行いをしなければいけない。


 その行いも、簡単なこと。目の前にある。

 それは穴だ。

 木のうろのような空洞が、僕の目の前にある。


 あとはここに飛び降りて、自爆するだけ。

 外で暴れている異形も、本体を失って崩れ落ちる。


 不思議と恐怖はなかった。あの人の為でもあったし、何よりそれにはとてつもない大義名分があったからだ。

 誰一人にも憶えて貰えずとも、少年は世界を救う。

 その肩書はとても魅力的に思えた。


 自分には大それた称号ではあったが、それであれば恩人に報いることができる。

 そう思った少年は、その身を闇に投じようとしたのだが・・・。


 足元に、異形の破片が落ちてきたのだ。

 異変を感じて、頭上を見上げる。


 そこには、魔女がいた。


「死ぬって、言ったじゃないですか・・・」



                  ◇ ◇ ◇



「ぐっ・・・おお・・・!」


 エリナは、その衝撃に耐える。

 ここまで連れてきてくれた獣王が身をひるがえしたかと思えば、エリナを空中へと、役目を終えたとばかりに投げ出したのだ。

 エリナがその行為に困惑しているのも束の間、背中に激痛が走る。

 獣王の蹴りがエリナの背中に命中したのだ。

 獣王は、魔女を直下の少年へと向けて蹴り抜いた。


 魔女は背後を見る、

 あの獣は自身の許容量を超えた量子分解に耐えられず砕け散ったのだ。


 すぐに、エリナは真下を見下ろした。

 そこには自身の弟子であるゴオがいた。


 だが時間が無い。

 獣王の量子分解は死して尚も続いている。

 エリナは急ぎ、飛来を加速させた。

 それは背後から迫る獣王の決壊、溶解空間から逃れるためでもあったが、なにより弟子であるゴオをその空間に晒すことを恐れたのだ。


 魔女は頭下を見下ろし落下する。

 そして、ゴオとの距離が次第に近づく視界の中で、彼を見た。その口は微弱に震えて、こちらに何かを伝えようとしている。


 弟子の口から出た言葉、それは・・・・。


「死なせてください」


 その懇願に、エリナは苛立ちを覚えた。

 それはわからず屋な弟子にではなく、この場、この状況で自身がすべき行動は思い付いても、かけてあげられる言葉が思いつかなかったからだ。


 死にたい、その願望を持つ人にかけるべき言葉は何なのか。


 分からない、分からない、分からない。


 あんなに時間があったのに、あんなに人を殺したのに、

 魔女にはそれがわからなかった。


 誰か教えてくれ、誰か聞かせてくれ!

 どうすればあの子の意思を変えられる!


 死を乗り越えた魔女と言えど、死と対話する手段を、彼女は持たなかった。


(・・・いいやッ!)


 ———————それは、違うと思った。


 ある、あるではないか。

 たったひとつの置き土産。


 なんのために生きたのか、なんのために死と向き合ったのか。

 その答えは今ここにある。

 それはいつも私の近くにあった。


 何百年と生きてきた。

 何千年へと迫る歳月だ。


 そんな長き時を経て、難しい言葉をたくさん覚えようとも、この言葉しか思い浮かばない。なによりこれが一番いい。


 そうして魔女は命を叫んだ。


「うるさい!生きろ!」


 それはあの時、送れなかった言葉わがままだ。これはあの時、送れなかったモノ願いだ。


 彼が死のうとしていようが関係ない。その顔を引っぱたいてでも連れ戻す。

 だって、って決めたから。


 こんな軌跡、何度起こるかわからない。

 だから私は駆けだしたのだ。

 だから私はあの時、伸ばされた手を取ったのだ。


「ゴオ!」


 魔女の手が、赤く光る。その手には宝石が握られていた。


 


 その光景は、凄まじく幻想的であった。

 ひとりの魔女が自身の肉体を粒子に包まれて落下する様は、まるで綺羅星のようだった。


 もう目前まで少年が迫ったところで、魔女は決意し、要点を再確認した。


 大事なのは、抱きしめること。そうしてブチ抜くこと。


 垂直落下し、ゴオを抱き留めたエリナは、その慣性のままに激突した。

 その勢いは弱まることなく流星となり、この世界、ひいては異形の肉体である世界を貫いた。


 思考加速が夢幻で起こる暫定世界、

 その牢獄から、魔女と弟子は現実へと帰還した。


                  ◇ ◇ ◇


 

 現実では、本当にでたらめなことが起こった。


 なんと、二人の人間が怪物の中からはじけ飛んできたのだ。


「生きろ、なんて・・・そんなこと、言わないでくださいよ」


 空想の世界からぶち抜かれ、現実世界。

 土煙が晴れた頃、ゴオは自分を強く抱きしめるエリナに口を開いた。


「せっかく、覚悟を決めたのに、未練ができちゃったじゃないですか」


 逃れようにも、それは難しいようだ。

 抜け出すこともできないほどに、その両腕に強く縛られてしまった。


「エリナさん・・・僕は、生きていいんですか?」


 その言葉を、弟子は魔女へと力なくかけた。



                  ◇ ◇ ◇



「何が、起こったんだ?」


 その一部始終を見ていたナギは、困惑していた。

 自分たちの使い魔であるはずの魔術師から援護を受けた後、

 弾丸は怪物に命中し、異形は動きを完全に停止した。


 しかし、その後またすぐに動き出し、今の今まで戦っていたのだが、

 突如、異形から人間が二人、穿つように出て来た。


 それは敵であった魔女と、捕獲対象であったはずの少年だ。


「どうやら、うまくいったようだね」


 隣に白髪の魔術師が現れた。

「うまくいったって・・・」ナギは目前の異形を見上げる。

 異形は魔女を打ち込まれた時のように、動きを停止していたが、すぐに動き出しそうだった。


「さあ、これが私の望んだ終末フィナーレだ」


 魔術師は頭上の蒼穹を見上げた。

 それにつられてナギとプレッタも上を見上げるが、その前に、ポアロてめえこんなところに呼び出すんじゃねえ!という怒号が聞こえてきていた。


「なーに、彼に君たちほどの戦闘能力はないさ。ただ相性が良いだけだからね」


 プレッタもナギも、それを見て目を丸めた。そこにはただの人間がいたのだ。


 その男は、不健康そのものの様相だった。

 髪はボサボサ、髭も整えられておらず、着崩した衣服に胸元ははだけていた。

 そんな飲んだくれのような見た目の男でも、普通ではないことが一点あった。


 それは彼の両手にある、炎だ。


 それは幻なのだろう。一目でそうだと理解できた。

 炎は不完全で、何度も明滅を繰り返し歪んでいた。


 だがそれは、今ここでは重要ではない。

 重要なのは、彼が南門衛士長、リオン・ラースであることだ。


 異形の直上、高速で落下する彼は怪物を視認し、それを行使した。


うなれッ!兵戈ひょうがッ!」


 幻想体術『兵戈ひょうが無用むよう』。


 空中楼閣の蜃気楼を携えたリオンは、異形へと拳を突き出した。

 その拳は異形を脳天から刺し貫き、飛沫を上げて相手を粉々にした。


 世界を呑む黒泥、不死身に思われた怪物に、もう後はなかった。

 今のがたったひとつの命であったのだ。


 原型を留めないほどはじけ飛んでしまった敵に再生する様子は見られず、異形は完全にその活動を停止した。

 この世に繋ぎとめるはずの核、ゴオという少年を失ってしまった異形に、もう再生する楔はなかったのだ。


「あれは・・・」


 ナギは異形が沈黙したことを確認し、そこから出て来た魔女と弟子を見て、訝しんだ。


 それもそうだ。そこには少年とがいたのだから。


「あれが、魔女なのか?」と困惑するナギに、

「それもそうだよ」と白髪の魔術師は答えた。


「彼女はその後悔から、戒めとしてその姿を変えた。今までの彼女はすべて偽りの姿であり、姿


 使徒と白髪の魔術師は、その跡地を見る。

 彼らの視線の先には、二人の少年と少女。


 片や魔女の弟子である少年、ゴオ・ダン。

 しかしもう一人は、魔女であったはずの彼女、今では魔術師見習いの姿に在り方を戻したエリナ・ウィッチがいる。


 勝利の凱歌はなく、あるのは荒んだ大地のみ。


 エリナはゴオを強く抱きしめて、声も殺さずに大粒の涙を流していた。



 彼女は遠い過去に置いてきた後悔を、今まさに果たしたのだ。

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