帰るぞ、弟子よ



 

 暗闇を抜けると、ガラスケースの中にいた。


 


 エリナは周囲を見回す。


 何もなかった。


 ただ無機質な白磁のタイルが自身を囲い、前面がすべて透明な板となっていた。

 ひと月と経たずして気が狂うような無変化でのっぺりとした部屋を凝視すると、視界がぐにゃりと曲がるような錯覚を覚えた。


 視界の歪みに不気味な感覚を憶えたエリナは目を背けた。

 背けた先、透明な板の向こうには二人の人間の姿があった。


 しかし、視線が低すぎるせいか顔は見えない。

 見えるのは、彼らの顔より下、スーツ姿の体だけだ。


 ん?待て。今、おかしなことが起こった。


 スーツ? スーツとは何だ?

 私はなぜ彼らが着ているものがスーツだとわかった?


(ああ、そうか・・・——————)


 これは、夢なのだ。

 いいや、正確には、だ。


 そう理解した頃に、視線が動かないことを理解できた。

 眼球も、それのついた頭部を動かすのも、この肉体の持ち主の意思次第だ。

 なら目前の人物たちの顔を視認できないのも頷ける。

 顔に一切も目を向けない。内向的な彼らしい。


 そのように状況を理解できたとき、目前の人物たちは会話を始めた。

 それはこちらを値踏みするような声であった。


「この個体は成績不振だ。その上に、精神が弱すぎる。処分しよう」


 いきなり物騒で不躾な言葉をぶつけられた。その声音には感情の機微はなく、ただ淡々とした作業的なものであった。

 しかし、そんな声に待ったが掛かる。それは隣にいた人物の声であった。


「いいえ、それは早計だ。『怪物』の因子を加えてみるのは? ちょうど、〝物語〟にも空きがあったでしょう?」


鷹揚おうように告げられた紳士的な声、知的な言葉遣い。

そんな意見に、否定の意を示すべく、相手は手を左右に振った。


「それではいかん。下手に理性を失われては、こちらの手に負えない。なにより、我々は示さなければならない。知性ある者が幕を下ろすことに意味がある」


 はあ、とため息を吐くように、辟易とした声音。

 開放する非効率性、縛り付ける非効率性。

 どちらも、声音に起伏のない男を悩ませる要因だ。


「では記憶を消しますか? そうして、ある程度の損傷を与える。であれば、暴力的な個体が望めるでしょう」


「それではコストが釣り合わんわ、馬鹿者が————」


 その二人の人物は、顎に手を添えて熟考する。その様は、とても人間に向けられるものではなく、はなはだ実験動物に向けられるものだ。

 ———————ここは、どこだ?

 そんな疑問は、彼らの背後を見れば、容易に理解できだ。


 彼らの背後には、どこまでも深い、闇がある。


(ここは、私が見た場所だ———————)


 エリナ自身の経験と、この記憶の夢を見ている人物の知識から、結論を導いた。


 白き巨体、私が見て、そして死んだ、あの構造体の内部。

 宇宙の中心に鎮座する情報体の集積地。


「そもそも〝物語〟の因子は寓話漂流者ノベルダイバーの専売特許だ」


「強情ですね。どうせ壊すのだから、同じでしょうに・・・」


「その後に波長が乱れたら、どうしてくれる。全く・・・」


 くたびれたように言う人物と、呆れたように肩を竦める人物。

 その両雄の会話で、エリナは全てを理解した。


「いいか?我々は、アカシックレコードは、一刻も早く、


 そうか、彼は・・・———————

 私の、弟子は・・・———————


GGreatOOldOOneが目覚めてしまう前に————、な」


 ゴオは、世界を壊すために送られた先兵だ。



                  ◇ ◇ ◇





 〝—————すべてを—————、思い出した——————。〟




『あッ・・・うぅ・・・』


 自我が確立して、初めに痛みがあった。

 なぜだかわからないけど、僕らは互いに戦って、意味もないのに傷つけあって。


『痛い・・・・痛い・・・・』


 自分でも理解できないものを体に打ち込まれて、

 そうして、また戦った。


『みんな消えた・・・・みんな消えた・・・』


 戦い、生きるうちに、ひとり、またひとりと減っていった。

 あの部屋の空白が、徐々に、じょじょに、浮き彫りになる。

 それは足先から這い寄ってくるようで、僕はただただ必死だった。

 満ち満ちる濃密な死から、降りかかる現実から、ただ逃げていたのだ。


 行われたのは、行ったのは、殺し合い。


『ごめんなさい、ごめんなさい』


 隣にいた子は、とっくに死んだ。

 僕らを先導した子は、袋叩きにされて死んだ。

 一緒に生き残ろうね、そう言ってくれた子は、僕が殺した。

 

 そうして、最後に僕が残った。


 そこまでして生き残ったのは、ただ、欲しいものがあったのだ。


『おかあさん・・・おかあさんっ・・・』


 ゆうりょうこたい?というものになれば、それが特別に許される。

 何一つ手に入らないこの世界で、それが唯一の希望だ。

 はじめから、望みはただひとつだった。


『会いたい・・・・会いたいよッ・・・!』



 性もいらない、欲もいらない。ただ愛が欲しい。



 包み込んでくれる温かな愛が欲しい。

 こんな荒んだ心を癒してくれる愛が欲しい。


『怖い・・・怖いんだッ・・・!』


 でも怖いのも、もう終わりだ。


 だってもう誰もいない。


 これ以上、何をしろと言うのだ!


 そして、ただ一人残った部屋の中、寂れた空洞、あったはずの虚空に呼び出された時、僕は目の前の大人に求めたのだ。


『母親・・・それは産卵個体か・・・?』


 大人は片眉をあげて、うっかりと思い出したように、その名前を舌先で転がした。


 そうだ、それだ!

 早く会わせてくれ!


 ここまですべて、お前たちの指示に従ってきた。

 ならひとつくらい、望みを叶えてくれたっていいじゃないか!?


 僕の望みを受けて、大人は手元の用箋ようせんばさみに注視したまま言った。




『産卵個体0117は、見込みなしとして廃棄した』




 それは、彼が手元の紙束を捲るように、ただ平然として出て来た言葉だった。


『・・・・・・・————————』


 僕は、すべてが虚しくなって沈黙した。


 もう、——————愛もいらない。




                  ◇ ◇ ◇



 廃棄処分となることは決定したが、焦りはなかった。


 ただ漠然と日々を消化し、終わりの日を待った。


 しんと静まり返った部屋は、僕が手に入れた虚しい褒章だ。

 その勝ち取った静寂と安寧は、短く、鋭く、僕の胸に刺さった。

 壁から伸びだすトレイから食を摂っていた時のことだ。


『緊急事態発生!緊急事態発生!侵入者を検知!』


 けたたましい鈍痛のようなアラームが、脳髄に響く。

 彼方で生じた爆発が、僕の自律神経を無作為に乱した。


『第2、第3ゲートを封鎖、

 第2エリアのいる者は、ただちに中央エリアに避難を——————』


 床に転倒した。目標を無くして気だるげになった体を持ち上げると、壁にある『2』という文字が揺れていた。

 横たわる肢体から、地ならしのような振動が伝わる。

 目の前では、以前よりも激しく、人が入れ代わり立ち代わりで流れていた。


「至急本部に応援要請!第2エリアの寓話漂流者ノベルダイバーが壊滅!繰り返す、ダイバーが壊滅!———————増援を、増援を求む!」


「こっちはダメだ!第3エリアのダイバーが宇宙に落ちた!」


観測者リーダーの寓話解放許可!これ以上、被害を出させるな!」


 視界のタイルの白が赤く染まり、その輪郭が黒くなる。

 意識が現実に戻ったことには、あたりが燃えていることに気が付いた。


 呼吸をするだけで、喉がただれた。肌を突き刺す熱気が、それだけでこちらの体力を奪う。揺れる炎が視界を潰し、正常な視認を妨害する。


「・・・あ」


 歪な音がした。頭上を見上げると、崩落が起きていた。目前では、ゆっくりと瓦礫が落ちてきている。

 慌ててその場から飛びのいて、それを回避する。

 数秒後には、自分の居た場所を瓦礫の山となっていた。

 舞い上がった砂煙が晴れて、また地獄のような光景に戻った時————。


 そこには、


 初めは、幻だと思った。

 けれど、幻ではないのかもと気づいた。


 火事場から衣服に着火したのだと思った。

 けど、それはどうやら違ったようだ。


 その燃えた人物は、こちらに手を差し伸べる。

 それを僕は、終わりだと思った。


 機械に殺されるか、このまま火に包まれて死ぬか。

 それの違いを、僕はあまり理解できていなかった。


 だから、そのままその手が僕の体に触れるのを待ったのだ。


 しかし、いつまで立ってもその手は虚空に留まったままで、僕はそれを不思議そうに見つめて、


『私が宣言しよう。君は誰よりも幸福になれる』


 そんな甘言に騙されて、僕はその手を取ったのだ。



                  ◇ ◇ ◇



 目を開けた————————————————————。


 ————————————————————目を覚ました。



 何もない暗闇の中、不思議な空間。

 真っ暗であるはずなのに、彼らはお互いの姿を視認できた。

 片やの歩みで、地面は水面がたち。

 その揺れが、片やの足元まで届く。



 目と鼻の先に、あの人がいる——————————————。


 ————————知っている男の子が、私の前で膝を抱えて座っている。



 夜の海に浮かぶ月のように、少年の輪郭が、魔女に向けて伸びている。

 それが歩むごとに歪むから、エリナはゴオが消えてしまうような気がしてゆっくりと歩んだ。彼の水面に映る影が、出来るだけ消えないように。まるで新雪の上を歩むような慎重さだ。



 大事なことを話さないといけない————————————————。


 ————————————————大切なことを伝えないといけない。



 エリナはゴオの前に立って彼を優し気に見た。

 ゴオもエリナを、大切に見上げた。


 

————————————話をしよう———————————————。


————————————話をしよう———————————————。




                  ◇ ◇ ◇




「少し・・・、歩きませんか?」


 ゴオは見上げて、笑いかける。

 にへらと笑った顔から、そんな要望が出て来た。


「・・・ええ、そうね」


 驚くほど、静謐に言ったものだから、エリナは口をつぐんで、なんとか了承を返した。二人の師弟は、何もない真っ暗な空間を、ただ静かに歩んだ。

 互いに息遣いさえ聞こえそうな距離を、まるで風呂上がりの散歩のように。

 あたりは暗黒に包まれて、とても安心できるような風景ではないが、不思議とお互いに落ちついていた。まるで、これこそが本来の散歩で、他のモノが偽物であるような気がしてくるほどの自然さだ。


 その世界に変化なく、あるとしても足元の水面だけ。

 歩幅の違いによるものであったが、それは心の揺れのようで、エリナは激しく、ゴオはゆっくりと揺れていた。


 あまりにも無言で歩くものだから、師であるエリナから口を開いてしまった。


「本当に、何もないところね・・・」


 はっ、と口元を抑えそうになった。

 師である自分が、余裕なく口を開いてしまった。

 そう気づいたのは、言葉を言いきった後なので、もう遅い。

 しかし、ゴオはそれを気にした風もなく、その感想に平然と答えた。


「ええ、それが僕です」


 エリナはただ単に、風景のことを言ったつもりであったが、

 ゴオは自身の肉体の一部である異形のことを言ったのかと思い、

 会話に齟齬が生じた。


 それに気づいたゴオは、なんとも居たたまれない顔をして、たはは、と頬を掻いて笑った。


 その距離に、エリナは胸が潰れるような思いをした。

 その笑顔は、心臓を握りつぶされるよりも痛かった。


 エリナが目の前に向けて手を伸ばしたのと、ゴオが振り返って歩みを再開したのは同時で、彼女の手が届くことはなかった。


「———————」


 エリナは、なんだか怖くなって、駆けだした。

 走った距離はすごく短かった。それもそうだ。それは数歩分の距離なのだから。


「まるであの部屋みたい。色は正反対だけれど・・・」


 少しでも長く、何か話して思ったエリナは、直感的に言葉を発した。

 だが、それは悪手だった。

 その言葉を受けて、ゴオは目を見開いて振り向く。

 その顔は、悲痛に歪んだ後に、耐えるような笑顔に変わった。


 会話って、こんなに難しかったっけ・・・。


「やっぱり・・・見たんですね」


 放ったのはあちらなのに、それは自傷であった。

 彼らはお互いに、ナイフを突き刺し合っている。


「・・・ええ」


 エリナは重く、静かに首肯した。

 その肯定を受けて、ゴオは風のように、息を吹きかけるように吐いた。



 零れた独白は泡が弾けるように解けて漂う空気となり、彼らを包むようにあたりに広がった。エリナは自然とこわばり、必死にゴオを見逃さないように注視した。


「・・・それは違うわ。あなたは何も悪くない」


 エリナには、どうしても納得が出来なかった。あの部屋、あの空間において、この少年に責められるモノがあったなど、砂粒の一欠けらも思わなかった。

 けれどゴオは小さく首を振って、


「僕が優良個体だと示せれば、おかあさんが死ぬことはなかった。僕がもっと他よりも優れていれば、おかあさんは生きていた」


 ——————————おかあさんが、金の卵を産むガチョウだと認知されれば、少なくともその命が奪われることはなかった。


 およそ幼子から発せられるべきではない言葉に、エリナ絶句した。

 それは彼の経緯を知ってもだ、どうしてこうも、自然と落ちたモノを拾い上げるように語れるのか。


「——————ゴオ、あなたは何者なの?」


 その質問に、ゴオは顔を背けて、小首を傾げた。


「さあ、何者なんでしょう?」


 そうして出てきたのは、植木鉢を持ち上げて出てきたダンゴムシを始めて見たような、素朴な疑問であった。


「でも、何者でもないんだと思います」


 そうか、これは虫か。そんな理解にも似た声が零れた。

 ゴオはそれを証明するように、辺りを見回して続ける。


「言ってしまえば、僕みたいな人はたくさんいるんだと思います。地面に生えてる雑草みたいに、抜けばまたひょっこりと生えてくる、そんな替えの利く存在」


 物悲し気に虚空を見つめて、ゴオはそれを探すが、それはない。


「そんな存在だから、ここには何も残っていない」


 そんな存在だから、おかあさんは消えてしまって、何も残っていない。


「こんな風景を持つ人が、たくさんいます」


 それを僕は、この手で殺してきた。

 きっと、僕たちが産まれる前にも、あの部屋にそんな人がいたのだろう。


 そうして最後には、この部屋のように、何を得ることもなく、朽ち果てて死んでいったのだろう。


「だから、僕が何者でなくとも、寂しくはありません」


 そんな当たり前のようなものであるのなら、少しは浮かばれる。


「——————————大丈夫です」


 けれど、そんな中でも自慢できることがあるとしたら、それは・・・。


「————————あなたに見つけてもらえたから、大丈夫です」


 僕は幸運だ。

 彼女とこうして話せているのは、ただひとつの星を見つけ出す。

 そんな確率を超えて出会えた奇跡だったのだから。


「————ゴオ、あなたは、・・・私の弟子よ」


 エリナは強く宣言した。


「・・・ありがとうございます」


 それは、心に染み渡るような感謝の言葉だった。


「僕をあなたの弟子にしてくれて、ありがとうございます」


 その役割があったから、僕はこうして口にできる。

 その役割があったから、僕はこうして決断できた。


「ゴオ!待っ——————————」


 次の瞬間、水面から異形が這いだして、駆ようとしたエリナを吹き飛ばした。

 悔しさに顔をあげたエリナが見たのは、ゴオの切なる願いであった。


「もうこれ以上、誰も傷つけたくないんです」


 もうこれ以上は、耐えがたい二度目の殺害に等しい。


「僕が消えれば、きっとこの怪物も消えます」


 異形が次第に少年を包んで、魔女との間に隔てりを作っていく。


「死にたいんです」


 少年が湛えた自殺願望に、異形は応えた。


「さようなら、エリナさん」

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