脈動加速、放てや魔女


 目の前で、何やら話し込んだ白髪の魔術師と魔女を見て、教会の使徒であるナギは自身の両腕を見ていた。

 

 それは自身の戒めであり、自分の存在する意味であり、生かされる理由であり。

 街娘であった自分を使徒にまで押し上げた崇拝である。


 呼び起こすが、微弱にしか顕現せず。

 なんだか異物の混じったような力の奔流に、鋭い痛みを伴いながらも奮起させた。


「よし・・・・腕だけは、イケるな」


 彼女の腕には、微かに手甲が浮かび上がった。

 しかし、それは実態を持つことを拒んでいるのか、水が滴り霞んでいく。

 それで理解した。使えるのは顕現させて数秒。それ以上は使えない。だが、随時に顕現を繰り返せば、なんとか・・・・。


「いったいどうしたんだ・・・? ナーガよ」


 この身に宿った水神に、無意味な疑問を投げるが、その原因は明らかに目前の黒泥だろう。災害たる超常、人の守護を命題とする菩提樹ぼだいじゅの守護者が、なぜこれほどまでに掻き消えてしまったのか。原因はわかるが、理由がわからない。

 水神が怖れた、つまり異形は格上の相手であるということ。強さの違いではなく、概念の違い。つまり、目の前の怪物は、教会の信徒と我ら使徒が使える大神と同等の・・・。

 その方に目線を向けると、魔術師と魔女は言い争いをしていた。

 地脈が震え上がっているというのに、それが日常であるようにいるあの異端児たちは、何やら意見の相違でもめていた。


「あなたねぇ、失礼にもほどがあるでしょ!?」


 黒髪を揺らし、鋭い剣幕でエリナは白髪の男に迫った。

 その苛立ちは相当なものであるらしく、髪を掻き上げる仕草も粗雑になっていた。

 当の男は、目の前の閉じ込められた異形に向けて目配せを行った。


「失礼も何も、この状況を打開するにはそれしかない。君の目的は核である彼、そうだろ?」


 確認を取るように、魔術師は左手をあげた。

 外側ではそれだけの動作であったが、内側である障壁内ではとてつもない重力操作が行われていた。

 森林を更地にする引力が、障壁に張り付いていた異形を跳ね返し、元のクレーターの中心部に押し戻した。


「だからって、彼の気遣いを利用するなんて・・・」


 エリナが瞬きをすると、中心部に戻った異形が風に呑まれた。

 それは切削の竜巻となり、敵を切り刻んだ。千枚卸しにされた異形であったが、その生命脈動は依然として活動していた。

 異形の活動を気にいらないと言うように、今度は魔術師が舌を打ち鳴らして、地盤操作を行う。扇状に盛り上がった土壌は、たちまちに異形を包み込み、その姿を消失させた。


「君だってわかっているだろ。自分なら、ここの誰よりも難度が低いと———」


 その言葉を受けて、エリナは口をつぐんだ。しかし、彼女にも迷いがあるのか、眉間に指を押し当てている。その反対の手では異形を押しとどめるために、焼却の魔術が放たれ、土壌に閉じ込められた異形は蒸し焼きとなっていた。


「それはそうだけど・・・。じゃあ逆は———————」


 しどろもどろになっていたエリナの逃亡を防ぐように、結界内で異形が押しつぶされた。魔女は隣に目を向けると、魔術師が右腕を地に降ろしていた。


「それは無理だ、道が見えない。何より拒まれている。多分、私は溶けてしまうぞ」


 魔術師の断言に、彼女は不本意ながらも首肯する他なかった。

 エリナの同意に満足げに鼻を鳴らした白髪の青年は背後に呼び掛ける。

 そこには腕部の鎧を復元させたナギと、状況の理解に努めているプレッタがいた。


「主たちよ、話はつけた!だが、隙が欲しい。どうにか奴の注意を引いてくれ!」


 本来であれば、教会の信徒たちに崇められるべき大神の使徒たち。

 しかし、目の前の男は、それを足蹴に使っている。


 ナギもプレッタも、別にそれは気にしていない。この状況は不甲斐なくはあるが、今はそんなことを言っている場合ではなかった。何よりもあの泥に対抗するには、敵である魔女と、正体不明で胡散臭い我らが使い魔を頼るほかないだろう。


 しかし、このような無力な状況であるからこそ、その指示は、まさに死地に飛び込めと言っているようなものなのだ。

 その不安を察してか、魔術師は「安心してくれ!」と叫ぶ。


「もちろん、君たちは全力で守る! ただ、目線を外してほしいだけだ! 」


 守ると言っている彼ではあるが、その背後で復活を遂げ、轟雷を轟かせている異形を背にしては、なんとも説得力のない言葉であった。



                  ◇ ◇ ◇



 ナギは隣に目配せを行って、プレッタの状態を確認する。

 当のプレッタは、問題はないと言うようにナギを強く見返した。


 ナギはうるさいくらいの鼓動と、一向に収まってくれない呼吸を飲み込むように嚥下えんげし、暗天のような物体に目を向けて、自分自身さえ鼓舞させるように強言に言った。そうしなければ、脚がすくんで背に向かって走ってしまいそうだったからだ。


「いいか、プレッタ。顕現は数秒だけだ。それを念頭に入れておけ」


 最後に行われた状況確認、一瞬の油断が命取りとなる。


「・・・わかった」


 相棒の言葉を吞み込んで、お互いに目線を交差させた彼女たちは、「行くぞ!」という合図とともに障壁の中に潜り込んだ。

 態勢を崩さぬように傾斜を滑り落ち、爆破後の底へと到達した。

 その直後、彼女たちは左右に飛び退いた。

 障壁内で獲物を視認した異形が、彼女たちを飲み込むために触手を伸ばしたからだ。分断された使徒たちは、そのまま左右に散り、お互いにクレーターの反対方向へと走り出した。


 使徒たちを見送った使い魔は、クレーターの上方より内部を見下ろす。


「・・・・やはり、狙いは主か」


「そのようね、でも大丈夫なの? 取り込まれたらまずいわよ」


 目前の盤面を俯瞰ふかんした魔術師は、そう零した。それは魔女も白髪の彼も、承知していたことで、そう驚くべきことではなかった。

 もともと、それを加味してから彼女たちを囮として放ったのだ。

 異形はなんとしても彼女を欲しがる。

 その認識を証明するように、目の前では一人の使徒に向けて触手が放たれている。


「そうはさせないさ———————」


 しかし、触手が少女を呑むことはない。

 迫り来る魔の手は、地盤より伸び抉る大地の刃によってせん断される。それは曇天を突き抜ける山となり、あの空を貫かんばかりの壁となり少女を守った。

 それだけではない。

 少女は辺りを見回す。彼女の周囲には幾重もの魔方陣が刻まれ、隆起していた。その式はさながら心臓のように鼓動し、淡い魔力光を放って、旅人を暗夜より守護する導きの灯のように黒泥を阻んでいた。


「やっぱり、あなたの戦い方はずるいわ」


 その様を見治めた魔女は、かつて殺し合った魔術師に向けて言った。

 その侮蔑の籠った言葉にも、意図が伝わっていないのか、はたまたわかった上でそれを賛辞と受け取ったのか、彼は冷笑を込めて返した。


「ははっ———、巧いと言ってくれ。得てして巧さとはまどろっこしいものさ」


 彼らの目前では、青年の言う巧さが少女たちを守っていた。



                  ◇ ◇ ◇




(どういうことだ!?————なぜ!?)


 ナギは迫りくる触手をはたき落して、クレーターの反対側に目を向けた。

 そこでは触手への対応に追われるプレッタと、それを補助するように展開される多重の魔法陣がある。

 それはもちろんナギにもついているが、攻撃の苛烈さからプレッタのものよりは少ない。しかし、それはナギの戦闘形態の関係から、むしろ好都合なものであった。


 短い呼気を吐き出すような叫びをあげて、拳を放つ。

 それは目前に迫った触手と、彼方に鎮座する、触手の発生源たる異形にだ。


 ナギは迫った触手を弾き落し、最後に振り抜いた拳から

 飛沫をあげて放たれた手甲は、目にも止まらない速度で異形に飛来したが、異形はそれを触手でつかみ取り防いだばかりか、進行方向を逸らして地面に激突させた。接触と同時に弾けた手甲、その弾痕は、大地に砂塵に変えるほどの殺傷力を誇るものであった。

 

 しかし、それほどの攻撃を与えようとも、ナギに余裕はない。なぜなら反対側ではおびただしい数の〝手〟が、相棒に迫っている。

 手甲弾道アームミサイルを連打で放つ。そうして放たれた十三の水爆弾は、その半数が自身に迫る触手を迎撃し、残りは異形を挟むように反対側へと飛んで行った。


 〝異形は自分を狙っていない。〟


 そう結論したころには、ナギの背中に変化が起こる。彼女の腕部では手甲が消失し、それが背面へと流れたかと思えば、形を変えた。

 魔女との交戦時よりかは劣ったモノではあるものの、それは十分に翼と呼べる。

 背面に小型のジェットパックを背負った彼女は、空へと飛んだ。

 その飛来先は、当然プレッタである。

 彼女の頭上に到達したところで、形態変形を行う。

 翼から手甲に移し替えたナギは、直下の触手に向けて、爆撃を行った。

 鋼鉄すら塵に返す水飛沫、滝のような物量を一心に浴びせかけ、それぞれが必死の一撃であることを如実に語る手甲群は、少女を守る障害となった。


 突然、前方に滝のような衝撃が生じたため腕を前に出したプレッタ、彼女が視界を晴らした時には触手を叩き落とすナギの姿があった。


「フタンナ!」


 紫苑の装束を纏った使徒、プレッタが顕現を行う。

 するとあたりから臭気が伸びあがり、実態を伴った煙は襲い掛かる触手を掴み、鎖のように拘束した。その間から、ナギは拳を放つ。手甲は異形へと発射され、見事に中心へと吸い込まれた。

 けたたましい破裂音が発生し、あたりが霧に包まれた。はじけ飛んだ水力が、周囲の湿度を押し上げた。ナギは頬を拭った。それは自身が発生させた湿度による結露なのか、それとも疲労からの冷や汗なのかわからなかった。

 果たして、霧が晴れた先、攻撃が的中しようとも、異形に損傷は見られない。その黒泥は溢れ、形なき肉体は依然として直立していた。


「効いてない・・・」


 プレッタの諦めと苛立ちの混じった声でナギは歯ぎしりした。その平然とした威容が、こちらの気勢を確実に削いでいた。状況に窮した。だが、認識できる事実があった。それは防備をとったことだ。


「防いだということは、食らいたくないということだ。ガワに変化は見られないが・・・、おそらく無駄じゃない———。続けよう」


  使徒たちは迎撃を継続した。もちろん、白髪の魔術師の援護ありきの迎撃だ。触手の一部をナギが潰し、プレッタが足止めを行う。プレッタとナギのまわりに浮遊する魔術式が、それを手助けする形となっている。クレーター内部に満ちるはずの黒泥は、まるで時間が巻き戻るかのように掻き消えていった。それはまさに潮の満ち引きであった。黒泥が虚空を呑むとき、極彩色の中心より穿たれる青が伸び、紫苑の煙が異形を惑わす。

 さながら、絶海の孤島に直立する灯台から光が差すように、青き光源が黒海を退けていた。青光は紫煙に巻かれ、その実態を包み隠している。実物なきものを黒き海は覆い尽くすことは出来ない。そればかりか、黒を阻む多様な光が波を返す。


 そうして、使徒たちは孤島より信号を受信した。

 それは異形を背にして逆光となり、新たな生存者の知らせのように、希望に満ちた光であった。永遠のように思われた時間、暗黒の中で光を放ち、また求めていた彼女たちにとっては、この上ない終わりであった。


 光、それは魔力による回路の発熱。情報体の活性による命の叫び。


 大小さまざまに並ぶ真円は螺旋らせん状に、幾重いくえもの層に重ねられたそれは重厚を顕著けんちょに、濃密な魔力の塊は大砲を象っていた。


 展開された造形の中心には、魔女がいた。



                  ◇ ◇ ◇




 使徒たちが異形の注意を引き付け、残った並列意識で式を編み込んだ使い魔は満足げにしていた。自身の完成させた発射装置を見てうっとりとすらしている。

 〝弾〟に拘らないでいいとはいえ、これは相当な出来であると自負していた。


「あなた本当にあとで覚えておきなさいよ・・・!」


 そんな自慢の一作から、羞恥に顔を歪ませた因縁の相手が愚痴をこぼすが、ただの負け犬の遠吠えにしか聞こえない。

 彼女は肉体を垂直に、空中に浮遊し、砲手の向き手と同じくその頭を異形へと向けていた。率直に言って非常に滑稽こっけいな姿である。これだけでも十分な悦が漏れる。


「ははっ!自分を殺した相手をこんな形でコケに出来るなんて、サイコォ——!」


 両手をあげて喜んでいる青年に、魔女の視線が刺さる。その想像を絶するような憎悪を受けても、青年は白い歯を見せて嘲笑を返すだけだった。


 そんな呑気な二人をおいて、魔術式は発射に備えて駆動する。

 装填された〝弾丸〟が規格外であるだけに、大砲自身も下準備を有していた。

 ただの魔力塊を打ち出すだけならば、予備動作なしに打ち出すことができるはずだが、エリナという大海にも似た容量を埋め込むために、主砲を最大限に拡張して調節していたのだ。それだけではない。打ち出すための穴を確保したとて、それを保持するための弾倉もそれに合わせて強化しなければならない。大海という〝広さ〟だけではなく、その〝重さ〟と〝圧力〟にまで気を配らなければならないのだ。

 魔術師の青年は初め、多少は面喰ったものの、それでも予想の範囲内だったので発火させるところまでは式を頭の中で組めていた。

 しかし、問題は時間だ。

 留保すべき要点が複数ある上に、それらを独立させて運営させなければならない。これは生半な設立ではすぐに崩れてしまうだろう。純分な外部補強を加えてやっと発射だけができる。

 唯一の救いは、エリナが異形に入り込むために、自身に障壁を張ったことだ。

 常時に展開される障壁であるため、ある程度の量は抑えられたが、それでもひとつの都市予算に相当する魔力量だ。しかも、それが底ではないときた。本当にどうかしてるとしか言いようがない。


 けれど、そんな手の付けられない災害のような暴力であるからこそ、あの異形を抜けて、その核にまで届く。


 数刻前に青年が異形の一部を用いてその肉体に大穴を開けたが、正確には違う。

 異形は自分から大穴を開けて避けたのだ。

 青年が放った流撃も、異形の表面で拮抗するばかりで、刺し貫くには至らなかった。つまり、あの異形に干渉するには、より速く、より強い衝撃が必要なのだ。


「こんな研究より楽しい魔術は初めてだ!ありがとう、怨敵!この一撃をもって、私を殺した恨みもチャラだ!」


 高らかに笑い声を上げながら、砲手の後方へと走り出した魔術師は、それを起動させる。


「物質強化!顕現形成補足!存在強度、濃度上昇!」


 円環が回る。その光度も、あたりに立ち込める魔力濃度も、肩にのしかかるほどの重みを帯びて現れだす。


「脈動加速、放てや魔女!———————そぉれ、いけぇ!」


 大砲を形成する魔術式が歪な駆動音を増量させる。さながら獣の唸り声のように、末恐ろしい予感がふつふつと浮かぶ上って来た。それを感じ取ったように、森も覚えるようにさざ波のような葉擦れ音を立てる。明確に、世界そのものがこれより起こる衝撃に備えていた。

 そんな準備の完了を見越していたかのように、魔術師は大砲の背後より魔女を発射させた。自身の魔力総量のすべてを注入し、底をついた時、大砲の回路が想起し、火花を散らす。


 瞬間——————、音が消えた。


 初めに起こったのは爆音、しかし、それも次には耳鳴りのようなか細い音へと変化し、しばしの沈黙が流れる時間の中でゆったりと感じられた。そうして瞬きをした後に吹き飛ばされるような風音が。

 その場にいたすべての者は、脳内に直接で音を叩きこむような感覚に支配された。


「帰ってきたら八つ裂きにしてやるんだからァ——————ッ!」


 音の発生源であるエリナは、そんな捨て台詞を残して異形へと撃たれていった。

 かつて感じたことのない空気の圧力に耐え、流れる風景は次第にその輪郭を失い線となった後に白紙となった。

 エリナは自身に展開した障壁が異常を探知した時に、目前が白ではなく黒くなっていることに気が付いた。


 辿



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