異形迎撃作戦、始動
黒の前に、白が踊る。
満ち迫る異形の荒波が、
そうして放たれた、
地殻変動すら引き起こしかねない宇宙の終末に、相対するのは、少し
「むん!」
黒泥が満たされるクレーターに向けて、白髪の魔術師の卑劣な
障壁が赤く光る。業火は満ち足りないとばかりに波に向かって燃え盛る。
それは火炎の爆発による赤である。
目をやく灼熱、障壁内がこの世の地獄と化し、火あぶりにされた異形ではあったが、それに火傷による痛みは見られず、そもそも痛み自体を感じているのかも怪しい様相であった。
業火が晴れし時、障壁内にクレーターの大地が戻った。
黒泥はその熱により蒸発し、量を減らしていた。
だが、それだけではない。
クレーターを取り囲むように展開された魔力障壁は、異形の肉体である黒泥が満ちかけていたはずであったが、しかし、障壁の内部が埋め尽くされることはなかった。
黒泥は、確かに増えていたはずだが、一つ瞬きをすると、また元の量に戻っていた。目の錯覚か、そう思って目をこすってはみたが、見間違いではなかった。
終わりを見届けるべく、その意識を覚醒させた彼は、亜空間の製造と消去によって異形に対応していた。
手札のすり替え、手を変え品を変え、彼が得意とするのは、自分好みの結末へ至るためのやり直し。
手段を多く有する彼ではあるが、結局、行きつく根幹は、それにある。
千変万化、一だと思えば百であり、また百だと思えば千である。
同時進行で遂行される未来予測とその未来への対策、そのすべてが白髪の魔術師から放たれる全知である。ゆえに彼は個にあらず、彼と対峙する時は、一人などと考えてはいけない。
意図せずして使徒の脳に降り落ちたその概念は、その男の
「危ない!」
後方のナギが、そう叫ぶ。彼女の叫んだ方向では、くるりと回る漆黒の尾がある。異形が抜け出していたのだ。
魔力障壁を黒く浸食し、隔てりを溶かした触手は、侵略を阻む魔術師を排除しようとしていた。
目前を見ても、比べるのが馬鹿らしくなってしまうほどの巨大さだ。
それはたとえ一部であっても同じこと、男の身長を優に超える異形の触覚たる星の災害は、今も悠然と、裁きの如く敵に落とされた。
「おっと、それは違う」
魔術師は手を捻る。
背後の森林を押しのけて、白髪の男とその背後で寄り添う二人の使徒を、諸共に排除しようとした肥大であったが、その時、まるでぜんまいねじを回すような子気味の良い音がしたかと思うと、触手は元の場所へと戻っていた。
そうして、あたりに満ちたのは、雑木林の悲鳴と、その残響。
使徒らは隣に目を向けると、先程まであった
視線を戻したナギは今に起こった現象に
それは魔術師の肉体が足元より消えかかっているからだ。
白い粒子が舞い上がり、白紙の紙を小刻みに引きちぎるように、男の存在そのものがこの世から消えかかっていた。
そんな理不尽極まりない原因も彼の口から告げられた。
「うむ!魔力が切れた!」
現れた救いの手に、考えることを忌避していたが、当然だと思った。
そもそも、あれだけの事象変動を起こして、並みの魔術師が無事であるはずがなかった。
結論から言うと、おそらくこの男は生前よりも弱くなっている。
あんな大胆な魔力消費。
考えるに、この男は生前、それを補えるほどの魔力回復の手段を持っていたのではないだろうか・・・。
しかし、魔術師に焦りは見られない。
彼は、今に目覚め始めたプレッタに向けて、「今ここで魔力量が一番多いのは君だね」と前置きをして取引を始めた。
「率直に言う!私を使い魔にして、君を魔力タンクにさせてくれ!」
彼の要望に、二人の使徒は目をしばたたかせることしか出来なかった。
彼の背後では異形が、ごう、と鳴いていた。あまりにも現実離れした光景に、これは夢ではないかとさえ思えた。
使徒になる前も当然、使徒になった後でさえ、こんな言葉をぶつけられるなど、考えもしなかった。
「君たちはここから生き残りたい、私は新たな終末に向けて対策をしたい。お互いに利害は一致してると考えるが、どうかな?」
どうしたものかと、目を見合わせる彼女たち、業を煮やした魔術師はプレッタに歩み寄り、その失われた左目に触れた。
すると、どんな手段を用いたのか、彼女の左目は回復した。
「私を君のモノにしれくれるかい?お嬢さん」
その行動で、二人は理解した。
目の前の魔術師は、今は敵ではないことに。
何より、ここから生き残るには、この手しかなかった。
そうして触れられた手、その肉体接触を機に、彼らに繋がりが出来た。
「さあ!
白い粒子が足元から集まり、再び現世に存在を刻み付けた魔術師は、戦場に舞い戻った。切れかけた魔力障壁は、その強度を戻したばかりか、より強く、より卑しく異形をミキサーのようにかすめとっていた。
興奮した様子で脈打つ障壁に変化が起きる。
ただの壁、異形にとって障害物であったはずのそれは形を変える。
障壁に剣が生えた。
上下左右より生えたそれは、動き出す。
全方向から泥、そして異形の肉体自体を掻きまわす。
その景色は、波打つ荒波のように、黒一色となって混ざり合う障壁の内部。そうして最後には業火に包まれた。
滅却の炎が晴れた頃には、泥は蒸発し、その高さを減らしていた。
契約を結ぶ前にも、同じ手段で対抗していたが、明らかに別物であった。
その技も、その知恵も、より悪辣に染まっていた。
対する異形は、その天罰に等しき猛撃に、気勢を削がれた様子はない。むしろ
残存魔力を気にすることなく行使する魔術師であったが、
ひとたび穴を穿った触手ではあったが、その指先が木々のこの葉に、そして目前で虫の抵抗を試みる彼らに
また、結末を変えられた。
指先を回して行われた絶技、
だがしかし、魔術師の伸ばされた指先、そこには異形があった。
時間を巻き戻される直前、異形は自身の肉体の一部を切り離して別の存在とし、障壁外にその一部を残したのだ。
そうしてその一部は、今は魔術師の体に張り付いた。
しかし魔術師に焦った様子は見られず、ただ蠢く異形を見つめるのみ、どうすることもなく、むしろ注意深く観察しているようだった。
異形が自身の小指の先ほどを切り離して残った
その行動までに与えられた
口づけをしてしまうような距離感、異形と魔術師の顔。
異形が自身の肥大化を開始し、魔術師への感染を望む。伸ばされた黒きヘドロは、魔術師の両目を貫く槍となった。
だが、異形の行動は制限される。どこからともなく現れた聖水が、異形を両側から取り押さえて飲み込んでしまった。
「君自身での攻撃ならどうかな?」
魔術師は手のひらを鉄砲の形で、指先を障壁内の脅威へと向けた。
その指には、聖水によって高速回転を行われた異形があった。
超小型の
彼が不敵に笑った時、きーん、と、耳鳴りのような音がした。
それは予兆に過ぎず、それが発射された時には、後方でうずくまる二人の使徒は、その余波で吹き飛ばされないように地を這った。
轟雷のような撃音が止み、ナギが顔をあげた。
「———————・・・」
言葉を失った彼女の前には、体の中心に大穴を開けた異形があった。
相対するは、表情に緩みの見られない魔術師。その横顔には、あの一撃を与えたはずであるのに、険しく歪んでいた。
瞬きひとつ、それを区切りに剣幕が掻き消え、ピクリと眉が持ち上がる。その気配に気づいた彼は、木陰へと視線を投げた。
「数奇な運命もあったものだな。こうしてあなたと肩を並べて戦うとは・・・。それにしても、おかしい。そんなに弱かったか?」
ナギもつられて、そちらに目を向けた。彼女はその姿を見た瞬間に、身体が畏怖に支配され、無意識に相棒であるプレッタの前に出ていた。
そんな反応をされた魔女エリナは、使徒らを意に介さず、魔術師の隣へと立った。
「無駄話は結構よ、今は彼を救うのに手を貸しなさい」
殺したはずの敵が現れても、魔女の意識は異形に向いたまま。
今の彼女にとっては、
そんな
崇拝や憤怒、復讐心に畏敬、研究への野心と力の渇望、そうして最後に行きつくのは憐憫だ。
「それは当然、魔女とはいえ、あれはいささか手を焼くだろうて」
視線を敵に戻した頃には、穴も塞がり元の形に戻っていた。
お門違いな邪念を振り払った魔術師は、余裕を見せたニヒルに吊り上がった口端で言葉を並べる。
「〝最強〟は譲るよ。私は〝最高〟の魔術師だからね。そう考えれば、この状況で登場した私って、最高じゃない?」
そんな宣言にもエリナは応じることもなく、ただ呆れを滲ませたような無表情で魔術師の前に出た。
大地の脈動を受けてエリナが面を上げる。障壁の中、そうして更に奥、その泥の奥底で眠る弟子はいったいどうなっているだろうか。
「よおし、やろう!じゃあ、君は弾丸な!」
そんな心配を浮かべたエリナであったが、その奇天烈な発言に、目を見開いて振り返るほかなかった。
◇ ◇ ◇
鉱山都市南方、南門衛士所——————————
「うぃ~~。・・・ひっく」
真昼の陽光が突き刺さる、アンティーク調の室内。
「リオンさん、お体に障りますよ」
そんな瓶の酒気に
長いまつげを揺らして注がれるジト目、薄く赤らんだ柔らかな唇が不機嫌さを物語る。腰の曲線がよく浮き上がるタイトスカートが特徴的な秘書服から伸びた足、彼女は手元のファイリングした書類を壁面の書棚にしまい込んで、ヒールをカツリと鳴らして振り返った、その女性は、衛市長秘書のエルピス・ドーラである。
しかし、そんな進言にも男は聞く耳を持たずに、ただ酔いしれるのみだ。
「うるせえ、飲まないとやってられんのだ・・・げっぷ」
なまめかしい手つきで新たな美酒を手刀で開封したこの男は、二日前に異形と化したゴオをその拳ひとつで撃退した南門衛士長リオン・ラースである。彼は、口内に含ませたぶどう酒を
呆けた吐息を吐いて、頭頂から痛みが抜け落ちていく快感に
やはり、頭が痛む時にはぶどう酒に限る。
ふぃいー、と日々の労働に悪態をつきながら、器用にも片手で酒を、もう片方の手で書類上にペンを走らせている。かなりの長い時間、その勤務形態をとっているためか、えらく様になっており、その動きに迷いは見られない。
しばしば監査官がこの姿を目撃すれば怒号が飛び交うが、堂々とこの席でふんぞり返り、更には怒号を飛ばし返して、しまいには手を出すことで乗り越えてきた。
一時は危ないこともあったが、
なにより結果を見れば効率が良かったので、特例として見逃してもらっている。
彼が
「ん?なんだこれ?」
伸ばした床下、そこには高級感のある質感を誇る赤色のカーペットと、一喜一憂して厳選してきた、恋人のように焦がれる酒瓶だけがあるはずであったが・・・。
「・・・穴?」好奇心からそれに向かって手を伸ばしてしまったリオン・ラース。
指先が触れた瞬間、彼は抗う事のできない引力で、その穴の中に引き寄せられてしまった。
「リオンさん、こちらの申請書ですが——————リオンさん?」
声すら発せぬ誘拐劇に気づくこともできずに振り向いたエルピスを迎えたのは、衛市長の消えた寂しい執務机だけだった。
上司が音もなく消えたため、周囲を見回す彼女であった。
そんな秘書を置き去りにして、衛士長室の扉が開く。
「リオン!・・・・・は?」
鬼気迫った様子でその部屋に入室したのは、南門副衛士長、二日前の異形防衛戦において、リオンが到着するまでに敵を食い止めた熟達の衛士マルコス・ダガーであった。
彼は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をすると、すぐに顔を歪めて、叱りにも似た声で秘書に問いかけた。
「エルピス、リオンはどこだ・・・・!」
その問いかけにも、秘書は小首を傾げるのみ。
衛士所の主であるリオンは、その場から姿を消した。
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