そうして彼女は魔女となる

魔女の夢の中、——年前、王都付近の療養所——————



「君を・・・ひとりぼっちに・・・・」


 魔女の夢の中で、病床につく一人の少年が泣き崩れる。

 魔術師の少女、エリナ・ウィッチは泣き崩れる少年、オーグを見て声を上げる。


「オーグ?何で泣いてるの?」


 それが夢の中であり、先程の続きであると分かった魔女エリナ・ウィッチは心の中で文句を言う。

 それは彼をわからず屋と貶した自分に対してか。

 わからず屋だったのは自分の方だったというのに。


「僕は君に取り返しのつかない事をしてしまった。僕が、ちゃんと君に伝えなかったから、ごめん、ごめん。エリナ…」


 その少年の謝罪に後方から見守る魔女エリナは、彼の言葉を否定する。


(『違うのオーグ、あなたは何一つ悪くない。私が勝手にやったことなの』)


 魔女エリナは、彼の言葉の意味を理解している。だが当時の魔術師エリナは目の前の意中の少年が何を言っているのか理解できていなかった。


「何を謝っているのかわからないわ。それに取り返しのつかないって何よ⁉〝不老不死〟よ!永遠に生きられるのよ!すごい事なのよ!」


「ッ!…うッ…ぐうぅ」


 オーグはエリナの言葉を聞き、更に嗚咽を漏らす。

 エリナには、なぜオーグが言葉を吐くごとに辛そうにするのかがわからなかった。

 彼の病を治し、そればかりか永遠の命を与える。その偉業を懇切丁寧に伝え、喜ばせようとするが、逆効果になってしまっている。


「どうして悲しむの!これがあればあなたの病気も治せる!なのになんで———」


 エリナは初め、目の前の少年が何を言っているのかわからず固まった。

 死がなくなる。その終わりの切除になんの不満があるという。

 離れてしまわず、悠久の時を共に過ごせる。それはとても素敵なことではないか。

そして、少女は困惑しながらも問いかける。


「・・・あなたを治すわ、オーグ」


 時間を惜しんだエリナは、オーグの肉体へと触れる。その手に握られた物を、彼の肉体へと取り付けた。

 自分は、何かを犯してしまった。けれどそれは、後で謝ればいい話だ。時間など、腐るほど出来るのだから・・・・。


 彼女は術式を起動させる。

 オーグに取り付けられた宝石は、その光を夜闇に紛れ込ませ、部屋全体を昼間のように明るくした。


 確かに、術式は正常に起動した。けれど・・・。


「・・・なんでッ・・・どうして!」


 〝不死〟も〝不老〟も、彼の肉体を癒すことはなかった。

  あるのは黒い、病魔に蝕まれた彼のか細い体だけ。


「僕は、手遅れのようだね」


 委細を見ていたオーグは、そこで悟った。


「ま、待って!もっと、確実な、完全な術式を創ってみせる!だから、待ってって!今すぐに—————」


「いいんだ・・・いいんだよ、エリナ」


 エリナは急ぎ工房に戻ろうとするが、それをオーグは制止した。


「だけど、やっぱり死ぬのは怖いし…心残りができたな」


 彼は辛さを押しのけて立ち上がり、エリナを労わるように床に座りこんだエリナの手を握る。

 死にそうな人から送られてくる熱は、体温の低下した彼女の体に染み渡る。


「君を〝不老〟にさせてしまった。魂が死ぬまで生きさせてしまうことになった。どれだけの時間かはわからない。だけど人間の寿命よりは確実に永い」


 オーグはエリナの手を取り、自身の額をエリナの額に当てる。その目からは零れるものがあった。


「そんな気の遠くなるような時間の中で、僕は君を人々の畏怖へと変えてしまった」


 オーグは、自分が許せなかった。本来であれば、彼女は人々に囲まれ、暖かな場所に有れるはずなのに、自分という不純が、彼女を孤立させた。


 エリナの手を握る彼の手と額は細かく震える。そんな彼を見て、自身の善意が他人を傷つけたことに気付く。

 手と額だけではなく声まで震えていた。彼も抑えているようだったが、隠せていない。

 彼をそうさせたことに、未練を残させてしまったことに、エリナは目頭が熱くなる。

 オーグはか細い声で、だけど振り絞るように告げた。


「ごめん」


 彼は、自身の存在が、思い人を不幸にしたことを悔いながら死ぬのだろう。


 エリナは涙を止めようとしたができなかった。それは際限なく溢れた。

 そして彼女は悔いる。自身の行いを、自身の不始末を。穢した終幕は癒えることはない。彼女は彼の終わるはずだった人生に悔いを残してしまった。

 最期の最後で、彼に傷をつけてしまった。

 本当であれば、未練があるなら自分と共に生きてと、叫びたい。

 許されるなら、あなたといればそれは怖くないと、叫びたい。

 だけど、それは出来ない。

 これ以上彼に、後悔を、未練を、傷を残したくなかったから。

 だから魔術師エリナは叫びと泣き声を、唇を噛みしめて耐える。

 彼の人生を、もう台無しにしたくなかったから。

 そして残ったのは、寄り添いながら涙を流す少年と、涙を流しながら泣き声と叫びを我慢して唸る少女だけだった。



                  ◇ ◇ ◇



 その三日後に、オーグは亡くなった。

 エリナは彼の最期を看取った。彼の最後は何処か不完全な顔に見えた。

 自分の人生を誇っている表情だった。

 死を前にして恐れながらも、どこか安らかな表情だった。

 だけど何か異物が混じったようだった。エリナには、その表情の機微がわかってしまった。

 彼に、残すものを与えてしまった彼女だからこそわかってしまった。

 エリナはただ彼と一緒に居たかっただけだった。

 だけどその願いが彼を不完全にしてしまった。

 葬儀も終え、自室にて研究の成果と対面する。

 外の風景も、部屋の中の風景も、魔術師の気持ちに比例したかのように暗い。

 月明かりに照らされた机の上に置かれた、三つのペンダント。一つはエリナが着けるはずだった“不死”のペンダントだ。エリナはもう術式としての“不老”を自身に付与している。後はこれを着けるだけで、〝不老不死〟になる。残りの二つはオーグに渡すはずだった“不死”と“不老”のペンダント。これを彼に着けている限りは〝不老不死〟になるはずだった。

 彼との最後の関りであり後悔の証でもあるのはなんて皮肉なことだ。

 せめて形に残そうと考えた自分はなんてお花畑な思考をしていたのか。

 稀代の天才が聞いて呆れる。

 およそ人類が成しえない偉業。彼女はそれを成した。

 世間に提示すれば、どうなることやら。

 だが彼女は、それを世に広める気にはならなかった。

 エリナはそれに、価値を感じられなかったからだ。

 人を思い、創り出した“不老不死”。しかし、それは人に拒まれた。必要とされないこれにそれほどの価値を感じられなかった。

 魔術師は〝不老不死〟を、この世から消し去るために、これを壊す。

 部屋で甲高い音が響いた。ペンダント内部の術式が虚空に解き放たれる。

 エリナはまず、自分が着けるはずだった〝不死〟を壊した。

 躊躇いなく、怒りと憎しみと悲しみ、自身の不甲斐なさ、その破壊行動の感情は自分でもわからないほど混濁していた。

 そして次に、オーグに渡すはずだった二つのペンダントの破壊を試みる。


「……」


 手が動かなかった。

 彼女自身、自分がなぜ躊躇っているのかわからなかった。

 これは汚点だ。オーグの人生を穢した汚点の産物だ。そんなものになぜ破壊を躊躇う。彼女にはそれが、不思議だった。不可解だった。

 手が震える。術式の解除を、体が拒絶する。

 魔術師は確かに、その産物に情愛を抱いていた。

 破壊なんてできるはずが無かった。

 どんなに惨めなものでも、どんなに価値のないものでも、どんなに汚らわしいものでも。

 それは彼との、オーグとの最後の思い出だったのだ。

 嫌いだけど愛おしい。

 魔術師は、その相反する感情に囚われて、破壊を中止した。

 立ち尽くすエリナ、机に置かれた二つのペンダント。そんな自室の状況に新たな闖入者が入る。


「動くな!」


 壊さんばかりの勢いで開かれた扉の先には、複数人の人間がいた。

 部屋の中に三人の人間が押し入る。全員の手には、その式を終えた魔術が装填されていた。

 後はそれを放つだけ、そんな状態でそれをこちらに突き付ける。彼らの恰好から都市の魔術師だろう。装備が潤沢だった。

 扉の外にも、人間はいた。そちらは魔術に精通した人間ではなかった。その手には刃物が握られ、鎧に身を包んでいた。部屋の中の人間と共に行動すると言う事は彼らも都市の兵士だろう。

 その考察は正解だった。魔術を構えた男の一人が告げたからだ。


「我々は都市直属の兵である。貴様の研究の成果を貰う受ける。同行しろ、死にたくなければ抵抗しないことだな」


 目の前の都市の魔術師は尚も一方的に続ける。


「両手を頭の後ろに回せ。その場に伏せろ。妙な真似はするなよ。」


 部屋に更にもう一人の人間が入る。その人間の手には、拘束具があった。それが魔術の行使を防ぐものだと言う事はすぐに分かった。

 だがそれでは彼女を拘束できない。たとえそれで彼女を拘束したとしても、時間はかかるが破壊も可能だ。だが、それではおそらくペンダントは盗られる。

 それはできない。彼との最後の思い出を盗られるわけにはいかない。

 エリナは手を彼らに向ける。魔術を発動させようとする。

 だがここで何をしようと無意味だ。もう彼女は遅れているのだから。

 魔術を強奪するにしても、まだ足りない。

 相手が、その魔術式を完了した時点で、この場面での彼女の敗北は決していた。


「撃て!」


 エリナが魔術を発動する前に、彼らは装填し終えていたそれを放つ。

 抵抗空しく、命を刈り取る衝撃が彼女を襲う。

 その風は彼女の突き出した右腕を切り落とし、水は彼女の胸を水圧で切り裂く。放たれた岩石はその横腹の肉を抉る。

 そして、追撃とばかりに放たれた風は、彼女の残った左腕と頭部を切り落とした。

 一室の床に無残な死体が転がり流血で染まる。戦いを終えた静けさが決着を知らせた。

 魔術を放った一人が、最後に風の刃を放った魔術師に疑問をぶつける。


「殺さなくても良かったんじゃないか?両手を切り落とすだけでも無力化できるはずだったんじゃ…」


 その疑問を問いかけられた人間は否定する。


「いいや、抵抗された時点でダメだ。相手は学堂の秀才だ。こちらが手加減をしようものなら何をされていたかわからん」


 その答えに問いかけた人間は疑念を抱く。だが目の前の人間が告げた回答は正しい。

 もしもエリナに頭部が残っていれば、彼女はその口で魔術を唱えていただろう。

 その場合、この一室の一区画が断裂していた。


「目標を回収しろ、この部屋の物もすべて回収する。一つも残すな」


 その言葉に他の人間たちは動く。各々部屋にあった研究道具や積み上げられた書物の回収に取り掛かる。

 命令を下した男は先程までエリナがいた机の前に移動する。彼女が見ていたこのペンダントを目標だと睨んだからだ。

一見は普通のペンダント。これに本当に人を不死身にする能力があるのか疑った。

 男は首を振り、無駄な邪念を振り払う。

 自分はただ都市から与えられた任務をこなすだけだ。

 彼はこれが我が都市の戦争での勝利につながると信じ、それを手に取ろうとした時だった。

 突然、男の視界の先で鮮血が飛んだ。


「え?…ぐああああああッ!」


 一瞬の変化に付いて行けず立ち尽くしたが、襲い来る痛みに何が起こったのかを理解する。


「貴様、なぜ———」


 男は視線をそちらに向け、死んだはずの対象を睨む。

 そこにはまるで何事も無かったかのように立ち上がったエリナの姿があった。

 男は今度こそ彼女の首を刈り取るべく魔術を発動させようとしたが、言葉を発し終わる前に、その首は体から離れた。

 室内にいる残る二人もそれに気づき、反撃を試みる。

 だが、エリナの発動の速さについて行けず、うち一人は彼女が放った岩石で吹き飛び、体は壁に串刺しになった。


「ひッ!化け物!」


 残る一人は抵抗を試みたが、その魔術は彼女に奪われた。

 自身が放つはずだった火炎が手の内から無くなり、男の体が火に包まれる。

 火だるまになった人間は絶叫しながら室内を駆けまわる。

 だがその声もすぐに止んだ。

 机にあったペンダントを回収したエリナが全方位に放った無数の魔術によって、そこにあった部屋も、二つの死体も、火だるまの人間も、みんな粉々になった。


(渡さない!渡してなんかやるもんか!これは私のものだ)


 エリナは部屋を粉砕して、思い出を胸に抱えて、その場を逃走した。

 奪われてなるものか、とペンダントを強く握り、身を隠した。






 その記憶の夢を、これまでのすべて見ていた魔女エリナ・ウィッチ。


(『そう、私は自分の罪への未練を優先した。オーグ、私は残り少ない時間をあの子に注いだ』)


 あの時生じた彼女の未練、長い時の中で悔いのない時は無かった。


(『私ってお節介だから、あなたの時のようになるかもしれないのに、あの子を助けたいと思った。あれはきっと良くないものだから。必ずしも善意が相手のためになるとは限らないこともわかってる。だけど助けたい。それに…』)


 思い人と同じ、異常を孕んだ少年。あの時と同じ立場と同じ状況、唯一違うのは自分の心の内。あの時とは違う選択がもしかしたら出来るかもしれない。


(『もしかしたら、やり直せると思ったから。だから今度は間違えないようにしてみせる』)


 夢の中の記憶の彼の言葉を、苦笑交じりに否定する。相手の自分を思っての勘違いに微笑む。


(『あなたは私を置いて行ったと言ったけど、それは違う。あなたはいつも私の中に居た』)


 そして魔女は自身の目覚めを願う。未練を、罪を、晴らすために願う。


(『オーグがいなくなって気づいたこともある。それにあの子、見た目はあなたに似てるけど、中身は私そっくりなの。だからあの子に伝えないといけない。だから眠っている場合ではない!』)


 魔女の視界は光に包まれる。


 もうすでに現実に戻りつつあった視界には、異形があった。


 そうして、魔女は夢とお別れした。


 魔女とは、恐怖にあらず、畏怖にあらず、その根底は歪ではなく、とても純粋な一つの感情を抱えた乙女である。


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