魔女の罪

——年前、魔術師学校——————



「これもダメか…」


 不老不死、それは、いかに秀才であるエリナ・ウィッチといえども、そう易々と手に入るモノではなかった。魔術師は自身の工房でため息をつく。


 彼女の自室である工房も、それに倣ってか、不気味ぶきみさを増していた。


 微増びぞうし、減縮げんしゅくする肉塊。

 よどうごめく眼球。

 大口を開けた獣の残骸ざんがい


 これらすべては、まるで拷問のように生かされていた。


 目の前には人の頭蓋ずがいがある。いわずもがな、エリナが殺害した人間だ。


 学園内でのエリナの地位は、うとましいモノへと変わっていた。

 学園には、それなりのの依頼が紛れ込む。

 自警団や都市の防備である衛士だけでは、機転も利かないことが多い。


 てっとり早い話、殺害だ。


 手段を選ばない魔術師は、権謀けんぼうはかる都市貴族たちには、都合の良い道具であった。


 学園が学園として運営できているのも、彼らの出資が起因する。


 そんな殺伐とした若人でも、エリナの行動に不愉快に眉を曲げる者は少なくない。


 語るもおぞましい人体実験、生命への冒涜ぼうとくと呼べる〝魂〟への干渉。

 人間という種族は、彼女を恥ずべき汚点であると認知した。


 他人から見れば、彼女は憑りつかれている。

 悪魔と呼ばれ始めた彼女は、都市の犯罪が減り、辟易とした。

 彼女を恐れ、犯罪者の数が減ったのだ。これでは素体が入手できない。

 この頃には、子どもを躾ける言葉にも使われ始めた。

 悪い事をすると、魔女エリナがお前を道具とするぞ、と。


 そんな悪名高き尊厳そんげん失墜しっついにも、彼女は気にも留めない。


 頼った恩師の通説、それの提供を持って縁を切るように懇願こんがんされた。

 彼女の恩師である人物は魔術学会で生物には物質的に魂が存在し、魂の状態は肉体の状態を左右するのではという説を提唱していた。

 だが他の研究者達はその説を否定した。それは説ですらない妄言もうげんだと。

 当然だ。だって見えないものの話をしているのだから。観測できなければ研究のしようがない。学会はありもしないものを追いかけるより、目の前に存在する研究材料について論議した方がよほど有意義だと吐き、恩師に見つけれるものなら見つけてみろと切り捨てた。

 魔術師エリナは恩師の説である魂の状態が肉体の状態を左右するという点に目を付けた。

 

 エリナは森林付近に拠点を作った。素材が獲得しやすいからだ。

 研究過程で相当数の西の獣を死滅させたが、彼らは親から分離し続けるので問題はないだろう。倫理観?知ったことか。彼の命と比べれば。


 机に突っ伏して頭を抱える。いくらなんでもこの研究は無謀過ぎただろうか。

 進んではいることは確かだが、果して完成までに思い人の命が保ってくれるのか。


「オ~~グゥ」


 銀製のペンを机にコツコツと小刻みに叩きながら思い人の名を呼ぶ。

 頭蓋とうがいが恋しい。まさかあの嫌がらせがこんなに欲しくなる時が来るなんて。代わりに持っていた銀製のペンで頭頂部をこねくり回す。

 学会でもそれなりに敷居の高いものが有することが出来る銀製の筆具。

 学会の老害どもはバカではないか?こんなもので地位を示すのではなく知識で示せ、知識で。

 まあ通常のペンでは研究のストレスで握りつぶしてしまうため丁度良かったのだが。

 だが頭から感じられるのはなんの温かみもない固形物の感触だけ。こすっても、こすっても思い人の感触はない。


「あ~~~」


 椅子の背もたれの状態を預ける。長い間座っていたのだ、面白いぐらい骨を鳴らせる。息を吐く、少しの間天井を眺めた。あたりに響くのは時計の針が刻む音だけ。

 

 チクタク、チクタク、カチコチ、カチコチ・・・。


 もう彼に救うと誓ってから三年が経とうとしている。

 早い、早すぎる。歳月がこんなにも早く感じられたのは初めてだ。これではあまりにも時間が無さすぎる。

 天井を見上げ大きく息を吸い、吐いた。上体を再び机と対面される。


(オーグが死ぬ前に、早く完成させないとっ!)


 そう意気込みはしたが、どのような修復術式でも、人の黎明れいめいたる根源、〝魂〟には至らない。


(一体どうすれば…)


 カチコチ、カチコチ。


 静寂せいじゃくな室内で唯一発生している音、それに視線を向けた。

 そこには壁に設置されている古時計があった。

 時計など久しぶりに見た、時間を気にする余裕などなかったからだ。

 秒針は時を刻み、チクタク、チクタクと進む。頂点に到着したかと思うと、また進み終わりに向かう。そうして終わりに向かって始まりになる。

 秒針は時計自身が朽ちるまで永遠にそれを続ける。

 魔術師エリナの頭の中にそれは浮かんだ。

 そしてそれを実行に移す。



                  ◇ ◇ ◇



数日後———



「ああ、そうか」


 魔女はその原理に気づいた。あらゆるものがいつかは朽ちるものだ、不滅なものなど一つもない。ならばすべてが死に向かうというなら、その流れに逆らわず逆に…。


「回せばよかったのか…」


〝魂〟はその始点と終点を結び回転するのみ。


 戻るではなく、飛ぶのだ。


 不死身とは、永遠とは、死を超えた先にこそある。


「実証しなければ…」


 魔術師は床に手をかざすと、床板はひとりでに開く。本当は校則で禁止されている別室の製造、だが仕方がない別室を作らなければもっと違反するものが露見する。

 そこには周囲の空間を固定されて身動きが取れなくなった一匹の獣がいた。

 獣にはまだ息があり、生きていた。

 魔術師は歩み寄り、獣の頭部に手をかざす。

 魔女は今しがた実証した魔術式を使用し、獣の体内に存在する魂の始点と終点を繋ぐ。

 獣は自身が何をされているのか理解できず息を荒げるのみ。


「よし…そして」


 そして魔術師は魂が不朽となった獣の首を切り落とした。

 首が転がる。鮮血が床を覆う。広がる血溜まりはまるで祭壇のようだった。

 その時を待つ。首がひとりでに浮き上がり断面に向かうのか、新たに新しい頭部が現れるのかはわからない。

 ただ肉体が再生するという一点のみを求める。

 しかし待てども、変化は起こらなかった。目の前には生き返る動物の姿はなく、ただ死骸が空中に固定されているのみ。

 魔術師は実証の失敗にため息を吐く。その肉体は実証の失敗のショックからか、壁にもたれ掛かりズルズルと落下していった。


「あ~~……」


 まるで今吐き出したうめき声と一緒に抜け出したかのように、体に力が入らない。

 おそらく自分の魔術式が間違っていたのだろう。自分が作り出し、手を加えたあれは魂などではなかったのだ。

 でなければおかしい。なぜ先の魔物は生き返らないのか。

 魂が永遠になったのだ、ならばそれに付随して肉体も……。

 魔術師に疑問が浮かぶ。理性ではそんなはずはないという疑問が。

 しかし彼女には意地があった。ここまで掛けた研究がどうしてそう簡単に諦めることが出来ようか。

 魔術師はダメ元で浮かんだことを実行する。だって後は簡単だ。要するに同じことをすれば良いだけなのだから。



                  ◇ ◇ ◇



——年前、王都付近の療養所——————




「はあっ!はあっ!」


 一人の魔術師が療養所の廊下を駆けていた。彼女、エリナ・ウィッチは意中の相手の元へと駆ける。ろくに寝ていない身体の体調はすこぶる悪い、だが彼女は足を止めない。

 すでに療養所は終業時間を過ぎている。しかしエリナは扉をこじ開けた。

 月明かりだけが差す廊下を駆けながら、目的地の扉が目に入る。

 彼の部屋はもう目の前だ。


(どうかっ!どうか、生きてて!)


 躊躇ためらうことなく部屋に入る。部屋の光景を見て、魔術師は息をのむ。

 思い人のオーグは生きていた。それは喜ばしいことだ。だがその喜びを掻き消すほどに彼の体は毒にむしばまれていた。


「オーグッ!」


 慌てて彼の元へと駆け寄る。三年前に見た時は袖から顔を覗かせる程度だった毒は、今では全身に広がっている。


「……ああ、エリナか」


 瞳だけをパチリと開き、静かに答えた。

 声も擦れてかろうじて聞き取れるものだった。

 最期に会った時はこちらの存在に反応を示したが、今では衰弱しきっている。

目の前の彼は今にも消えてしまいそうだった。


「最期に…死ぬ前に君に会えて良かったよ」


 喋るのも辛いだろうに、彼は言葉を発する。

 療養生活を送った彼の体は痩せ、頬はこけている。

 黒く染まったその身体は、エリナが研究で目にした魂の死を想起させる。

 だがそれは逆に、それらが同種のものであるという確信にもつながった。

 これならば夜闇に沈んでしまいそうな彼を救い出すことが出来る。


「最期なんて言わないでよ」


 その言葉はどこか喜びを孕んでいた。

 なぜなら彼女はもうじき自身の願いを叶えるのだから。

 積年の想いではない、永劫えいごうの経過した悲願でもない。たった数年の夢だ。だがその夢の強さはそれらに引けを取らない。


「ダメじゃないか、女の子がそんなに髪を乱して。本当なら僕がすいてあげたいけど…」


 改めて対面したが彼の表情は三年前と変わっていなかった。どこか悟ったような双眸そうぼうは魔術師エリナを捕える。そしてその双眸は決して彼女から離れることはなかった。

 まるで今目の前に映る光景を残そうとするように。

 その表情にエリナは納得がいかなかったが、もうそんな顔をする必要はない。

 だって間に合ったのだ。彼の手を握り安心させるように呟く。


「でももう大丈夫だよ。オーグ、あなたは助かる」


「……どういうこと?」


 友人の言葉の意味が解らず困惑するオーグ、そんな彼に説明するため彼女は自慢げに自身が作り出した産物を披露する。

 エリナはこれを聞けば、彼が喜ぶと決めつけていた。

 だから気づかなかったのだ。思い人の表情の変化に。


「聞いて驚きなさい!なんと私!“不老不死”を完成させたの!」


 エリナの言葉を聞いたオーグは絶句する。

 しかしその反応はエリナの想定内だ。当たり前である、誰だってこんな夢物語のような話を信じるわけがない。

 彼も事実を飲み込むのに時間を有するだろう。エリナは返ってくる歓喜を待ちわびる。

 そうして数刻、彼女の話を理解するのに時間を要したオーグはやがて口を開く。

 彼は目線だけではなく顔も彼女の方に向ける。


「ええ、理解できないのもわかるわ!でもそのまさかよ!私は三年前のあの時から研究を始めて遂に完成させたの!」


 彼女は子供のように目を輝かせて思い人にその効能を話す。

 エリナはこの宝物を早く彼に教えたくてしょうがないのだ。


「あのね、“不老不死”といっても一つのものじゃなかったの!“不老”と“不死”は別物で、正確に言うと肉体の“不老”と魂の“不死”ね!魂を“不死”にしても実験動物の肉体が再生しなかったことから気づいたわ!だから魂を“不死”にした時と同じ原理で肉体を“不老”にしたの!えっとね、何をしたかって言うと肉体の細胞の始点と終点を繋いで常に即時再生するような仕組みを……言葉で伝えるのは難しいわね。でも、大丈夫!これから時間はたくさんあるから!」


「————————————」


 オーグはエリナの話を理解できない、いや理解したくないと言うように言葉を失っていた。だがそんなオーグの様子をエリナは驚いているだけだと勘違いし、更に追い打ちをかける。


 その言葉にオーグは完全に壊れた。


「それになんと!私は自分の体を“不老”にしたわ!もうずっと私は綺麗なままよ!“不死”は…どうせならあなたと一緒に“不老不死”になりたかったからまだだけど」


「・・・そうか、んだね」


 思い人がいきなり泣き出した。彼はそこから謝罪を口にする。


「ごめん…ごめんね、エリナ。僕は…君を」


 彼の涙と嗚咽は止まらず溢れ続ける。自分が止められなかった、自分がしでかしたことに、そして自分がちゃんと伝えられなかった罪悪感からそれは止まらない。


「君をひとりぼっちに・・・」


 夜の療養所にオーグの声が響く。それはとても悲しく、とても苦しんだ棘のような泣き声だった。


「僕は何度も君に手紙を送っていたんだよ」


 それはエリナも、当然に知っていた。

 投函とうかんに積もる紙束の中でも、エリナはそれを丁重に保管していた。


 だけれど、彼女は今ではないと思ってしまったのだ。


 自身が彼と、オーグと心を通わせる時が来るのであれば、それは彼を救った後だと、その資格を獲得できるのは、彼を治した後だと考えていた。

 それはエリナの励みにもなってしまっていた。

 その生存報告が、エリナをより研究に駆り立ててしまっていたのだ。


「君の噂は、僕の耳にもよく入っている。きっと、僕の言葉が届かないようになっていたのかもしれない。けれど———————」


 エリナがあの文を読むのは、オーグを救った後、その決めごとが、その残忍が、この現実を生んだ。


 彼が命を削って吐血しながらも紡いだ想いは、彼女自身が踏みにじってしまった。


「君を責めているわけじゃない。そうじゃなくて周囲を責めている。けれど、僕はこう言うしかない。・・・・どうして————————」


 これが魔女の罪、彼女が成果に邁進するあまりに、想いを蔑ろにしてしまった、人生の咎。


・・・」


『うっ……ぐっ…』


 その夢の光景を見ていた魔女エリナ・ウィッチはひとり泣き崩れてた。その手は自身の顔を握りつぶさんが如く力がこもっていた。


『ごめんなさいっ!ごめんなさいっ!・・・・・オーグゥ・・・』


 彼女は彼にずっと謝罪を吐き続けていた。自分は最後の最後で彼を傷つけてしまった。

 彼女は無知で、愚かで、わがままだった自分を憎む。

 自分がもっと彼の気持ちに気づいていれば・・・・。



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