魔女の原点

大森林、奥地、魔女の家、夢の中———

 

 魔女は目の前で、自身の工房(自室)で研究に没頭ぼっとうする見習い魔術師を見る。

 見習い魔術師は何かを発明したのか喜びをあらわにする。いったい、この時には何を作ったのだろう。もうそれは思い出せない。

 どうせ今では簡単に出来てしまうことだ。だが、思い出す必要はない。それよりも残すべき記憶のために捨てたのだから。

 視界に映る見習い魔術師は若かりしときのエリナ・ウィッチ。

 これは一人の魔女の出発点、彼女が完全を手にする前の、昔のお話。



                  ◇ ◇ ◇



——年前、鉱山都市ヴィルー、魔術師学校——————

 


「オーグ、オーグ!いる⁉」


 彼の自室の扉を力強く開く。部屋へ強行突破してきたのは学校随一ずいいちの知識を誇る秀才しゅうさいエリナ・ウィッチであった。目的の人物、同じく魔術師学校に通う友人オーグに自身の研究成果を伝えるために、彼女はここを訪れたのだが、部屋には誰もいない。

 活発な自身に対し、どこか冷めたような部屋の空気がエリナを冷静にさせる。


「いないの?」


 扉の前に居続けることが気恥ずかしくなり、足を進めた。

 許可なく部屋に入るが誰もいない。あるのはベッドと研究用の作業台とその道具たちだけだ。


「待つか…」


 待ち人が来るまで部屋で待機することにした。

立っているのも疲れるので仕方がない、ベッドに腰かけよう。


 バフッ、スンスン。


 座るのも疲れるので仕方がない、ベッドに寝転ぼう。枕や毛布を嗅ぐのも仕方がない。なにより匂いが勝手に入ってくるのだ。だから私は悪くない。不法侵入しているの匂いの方だ。

 そんな秀才にあるまじき滅茶苦茶な思考回路で言い訳をする。いや、むしろ秀才であるからこのような屁理屈へりくつが出てくるのか。

 堪能…じゃない。待っていると視界の端に彼のクローゼットが見えた。少し前に彼の服で…いや、やめよう。終わった後、虚しさと罪悪感で潰れそうだった。

 独りごちることなく、自分以外のいない無人の空間で主の帰還を待つ。

 待ってみるが、帰ってくる気配がまるでない。

 研究ではあんなに短かった時間がこんなにも引き延ばされるのだから不思議なものだ。


「一体、どこ行ってるのよ…」


 あまりにも遅いものだからいい加減に愚痴の一つも零したくなるというものだ。

 日没の間際だったのだろう。差し込む夕日の光が弱くなっていく。

 意識がそれに付随して沈みそうになる。窓から漏れ聞こえる声がなんとも眠気を誘う。いい加減ここで眠ってしまうぞ、と誰に向けたわけでもなく警告すると、扉は開いた。

 だがそれは待ち人ではなかった。

 扉が開いたため慌てて態勢を直し、座った状態へ。扉が開き切る前に姿勢を正すことが出来た。


「オーグ、遅いじゃない!どこ行って…寮長さん?」


 文句を言おうとしたが、そこに現れたのは目的の人物ではなかった。

 扉から出てきたのは魔術師学校に通い修道生たちの世話を仕事とする寮長だった。


「あら?エリナちゃん。もしかしてオーグ君に用事?伝えることがあるなら今から彼のところに行くけど、どうする?」


「いえ自分で伝えるので、あいつの居場所を教えてくれませんか?」


「ああ、じゃあちょっと荷物を持っていくの手伝ってくれない?着替えとか、引き出しにある本も持ってきてほしいって言ってたわね」


 寮長はおもむろに部屋の主のクローゼットに向かい、肩に下げていた鞄に衣類を丁寧に畳んで入れていく。

 頼まれた本を入れる時には手を止めこちらに向き直り「何が良いかな?」と聞いてきた。どうやら本の指定はなかったようなのでこちらに意見を求めてきたようだ。


「荷物?…オーグに何かあったんですか?」


 目の前の寮長の話から彼に良くないことが起きたのかと想像する。急病なら仕方がないが、もしも事前に予測できた持病なら友人である自分に一声かけてほしかった。

 その反応を最初は訝しんだ寮長だったが、それはすぐに元の表情に戻る。


「ああ、そうか。オーグ君、心配したんだね。うーん?でもどうしよう?いつまでも隠せることでもないわねぇ…」


 だが寮長の言葉を聞いて、エリナはただの病気ならどんなに良かったことかと思う。


「オーグ君は———」



                  ◇ ◇ ◇



魔女の夢の中、——年前、王都付近の療養所——————


 日も傾き、彼方のみが赤く染まる空の下、暗闇が王都付近の療養りょうよう所を呑みはじめていた時に、彼女はその建物の前にいた。

 時間も時間であり、出入り口を通る人間は皆外に向かっている。面会時間も終わりが近かったのだろう。彼女は外に向かう人々を掻き分けて、反対方向に進む。

 早く彼の下に行きたい。頼まれて何だが、肩に下げた物が何とも鬱陶うっとうしい。

 受付から残り時間が少ないことを警告され、足早に彼の病室に向かう。

 途中すれ違った看護婦に怪訝けげんな表情をされた。

 館内時間が原因だったのか、それとも歩く速度が原因だったのかはわからない。

 こちらとしては本当なら走って向かいたいところだが、それによって病人と衝突してしまった場合の二次被害とそれに有する時間が惜しく、仕方なく早歩きで妥協しているのだ。


 そうして彼の病室の前に付き、後は扉を開けるだけ。

 その時、得も言われぬ苛立ちが芽生えた。

 それは病魔に対してか、こんなになるまで自分に隠していたあのバカに対してか。

 エリナはその怒りを乗せ、室内にいるだろう人物に言葉をぶつける。

 そんなにも頼りないか?なめられたものだ。


「オーグ!」


 扉に突撃し、勢いよく開く。今度こそ目的の人物はそこにいた。

 突然の訪問に驚いた彼はベッドの上で横たわっていた。


「エリナ⁉なんでここに⁉」


 その反応にとうとう沸点が飛び越えた。

 そんなに私を遠ざけたいか?そんなに私を必要としないか?ふざけるな。


「なんでじゃない!ひどいじゃない!黙ってようとしたなんて!」


 ここは都市の中心付近、王都横の療養所。今彼はそこにいた。

 オーグは目の前で激怒するエリナを落ち着かせようとするが、それがまた彼女の逆鱗げきりんに触れる。


「大丈夫だよ、少し体調を崩しただけさ。よくなるし、すぐに戻るよ」


 オーグはエリナを安心させようとしたのだろうが、それは間違いだった。なぜならエリナは全て知っている。寮長に事情は聞きこみ済みだ。

 彼の発した言い訳にエリナはもう自分でもわからないところまで感情がぐちゃぐちゃになった。これはあれだろうか。怒りすぎて逆に冷静になってしまったのだろうか?

 もしも彼が健全なら今頃その頬を引っぱたいている所だろう。


「……嘘つかないで、全部寮長さんに聞いてるから」


「ああ、なんで言っちゃうかな。寮長さん…」


 エリナは寮長に対して悪態をつくオーグの腕を見る。正確には袖から少し顔をのぞかせるように出てきている黒いあざを。

 オーグは黙り込んだエリナの様子を見て、しまったと頭を掻く。

 長い付き合いだ。これは本気で怒っている時の彼女だ、と隠したことを後悔する。

 この黒い痣の正体は〝災いの毒〟。発生原因もわからない。感染による外的要因なのか、発症者本人がもつ内的要因なのかもわからない。ただわかるのは、これは体を徐々に蝕み、発症者を死に至らしめることと解毒方がいまだ見つかっていないことだ。

 その痣を見て、本当にオーグが〝災いの毒〟に蝕まれていること認識する。

 療養所に来るまで夢想した、質の悪い冗談だという仮定は粉々に砕け散った。

 それを目の当たりにしただろうか、エリナに計り知れない恐怖がのしかかる。


「オーグ、死んじゃうの?」


 「死なない」と言ってくれ。エリナの言葉の裏にはその願いがひしひしと感じられた。その願いがオーグに届いたのか、彼は複雑な表情をしながらも事実を告げる。


「このままだとね」


 返答に場が静まり返る。それもそうだ。

 喩え彼、彼女が赤の他人だとしても、こうして顔を合わせている人間が「自分はこれから死ぬ」と言えば、どう反応していいのかわからない。

 聞いた人間がすることと言えば、如何にして死が迫る人間を悲しませないかと言う事だけだ。


「・・・・・や」


 オーグはその擦れた声に謝罪した。

 彼女とて言葉を発することは躊躇われただろう。

 それでも発した言葉には相当な気が使われているはずだ。

 オーグは彼女の気遣いに申し訳なくなってしまった。


「嫌!」


 オーグはその駄々に驚きを隠せなかった。

 事実に彼の心配は杞憂だったのだ。

 室内に見習い魔術師の声が響く。彼女は今とても腹を立てている。彼の体に巣くう毒にではなく、彼の運命にでもない。死ぬと分かって悟ったように諦めている目の前の人間にだ。

 この部屋で彼を見た時、彼の表情には悲しみも、怒りも、苦しみもなかった。あるのは、ああ自分はここまでなんだな、という諦念だけ。


「私もっとオーグとやりたいことたくさんある!一緒に研究だってしたい!遊びにだって行きたい!あなたともっとたくさんのものを見たい!あなたをもっと知りたいし、できるなら私をもっと知ってほしい!」


 エリナは自身の口を一瞬つぐんだ。

 自分で発した言葉にもかかわらず、頬を赤くする。

 だが、ここで止まるわけにはいかない。どうにかしてこのわからず屋にかつを入れなければ。


「……そう、好き!私はあなたが好き!大好き!」


 エリナはそれがとても腹立たしくて、納得ができなくて彼女は声を荒げ続ける。

 ここまで来ればもうやけだ。


「独りぼっちだった私に寄り添ってくれたあなたが好き!魔術を研究するあなたが好き!いつも横で笑ってくれたあなたが好き!どんな難解な魔術にだって、何度だって諦めずに立ち向かったあなたが一番大好き!……なのに…なんでッ!」


 エリナの告白にオーグは笑みを浮かべる。自分はなぜ突然こんなことを言ってしまったのか。


(ああ、もう。何言ってるんだ、私。もっとシチュエーションというものがあったろうに)


もしかしたら私はオーグに人生に執着しゅうちゃくしてほしかったのだと思う。少しでも未練となるものが出来れば、彼も生きようとしてくれる。それが自分であれば良いなと思った。

そんな淡い希望を吐いたが、彼の表情は笑みを浮かべたまま変わらない。

その顔を見たエリナの心情は、絶望と怒りでもうどうにかなってしまいそうだった。


(だから!そういうところが!)


 意中の相手のあまりの頑なさに思わずまくし立てようとしたが、彼の声がそれを止める。


「ありがとう、君の気持ちはとてもうれしい」


(その澄ました顔が!)


「僕は———」


 オーグが言葉を発し終わることはなかった。エリナが言葉を拒んだからだ。

 エリナの顔がオーグの顔から離れる。

 未来の彼女からすればとても歯がゆい。根性なしと自分を貶すだろう。

 ここが明確な魔女エリナの分岐点。もしもここで彼女が彼の言葉を最後まで聞いていれば、何もかもハッピーエンドだったというのに。

 この選択を以って、魔女が星を救うことはなくなった。


「諦めない……」


「エリナ?」


「絶対に諦めない!あなたは私が必ず治す!あなたは死なない、生きて私と…その…付き合って!いい⁉そういうことだから!じゃあね!」


 見習い魔術師のエリナは暴風のように吐き捨て、その場を去った。場は嵐が去った後のように静けさが包む。

 オーグは彼女に伝えるべきことを吐き捨てることが出来ず、虚しく空に呟いた。


「エリナ、僕はね…とても、怖いんだ」




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