使徒は少年の中を望む


「エリナさん!」


 魔女の弟子であるゴオは、何度もエリナの名を呼ぶ。


 しかし、どんなに呼びかけようと、体を揺すろうとも、彼女の意識が目覚める気配は微塵みじんもなかった。


 エリナの顔色は蒼白としており、目線の焦点も定まっていなかった。

 まるでこれでは魂の抜けた廃人のようだった。


「無駄だよ、ガキ」


 その呼びかけに、背後を警戒するゴオ。

 自然と手のひらをそちらに向けて、身構えた。

 そこには神の使徒であるナギがいた。


「お前ら、エリナさんに何をした!」


 恫喝どうかつするように声高に言い放つ。


「何って、眠ってもらってるだけだ」


 その回答に、安堵が浮かぶ。とりあえずは、命に別状ない。

 腕の中の師に再度目を向けると、確かに呼吸も正常であった。


 すると、背後で足音が接近する。それはナギである。

 ゴオはエリナをかばうように前に出る。


「安心しろ。もうそいつに用はない。殺しもしない・・・というか殺せない」


 相手の発言を吟味ぎんみするゴオ、そこから結論を得た。


「・・・・僕か?」


 こんな森林の奥地、目的が背後の人物でないのなら、自ずと答えが出る。

 それは正しかったらしく、相手も首を縦に振る。


「ああ、探す手間が省けたよ、私たちはお前を殺しに来たんだ、ガキ」


「・・・僕を殺せば、お前たちはもうこれ以上、この人に危害を加えないのか?」


「・・・ああん?」


 まっすぐとナギを見据えるゴオ、じっと見つめる少年に、ナギはうんざりとした様子で答えた。


「だから言ってるだろ、目的はお前だ」


「・・・・・」


 その言葉を受けて、わずかな逡巡が、ゴオの中で巡る。

 こいつらの目的が自分ある、その事実が、ゴオ自身を苛んだ。

 自身の存在が、恩人である彼女をこのような脅威にさらしてしまった。


(・・・クソッ!)


 そのことに歯噛はがみする。

 これ以上、この人に迷惑をかけるくらいなら・・・。


「・・・・くれ」


「ん?」


 か細く、震えた声音でゴオは何事かを呟く。

 しかし、その反応を、使徒は過敏かびんに察知した。この少年は、敵意が欠片もない。


「お前たちに従う。だから、この人にはもう、これ以上は何もしないでくれ」


「・・・・」


 自身の存在を差しだされたことに、ナギをはじめ、プレッタも拍子抜けする。

 現在の自分たちは甚大な負傷を受け、これより〝聖獣たちの父祖〟と呼ばれる存在に相対するのかと憂鬱ゆううつに思っていたが、蓋を開けて見れば、存外に楽な任務であった。


「・・・・まあ、いい。こっちとしても話が早くて助かる」


 ナギは少年に歩み寄る。

 その最中でも、絶対に対象から目を離さなかった。

 だからだろう、彼女には、この少年が差し迫る死に恐怖していることを理解できた。

 なまじ注視し過ぎたせいで、震える足も、微かに揺れる唇にも、打ち鳴らされる小さな歯の打ち鳴らす音にも気づけた。


 目前で刃を待ち受ける幼子に、一欠けらの良心が痛んだが、そんなことを気にしている場合ではない。こちらも、生死が関わっているのだ。


 そうして、右腕を上げる。そこには当然、水刃が形成されている。


 後は振り下ろすだけ、これで任務は達成。


 ・・・・・そのはずだった。


「・・・・・・うっ」


「ナギちゃん!」


 ナギは突然の横からの強襲に対尾出来ず、それに馬乗りにされた。

 ナギを押した倒したのは、四大聖獣の一角たる獣王の子であった。



                  ◇ ◇ ◇



「こいつっ・・・」


 地面に倒れたナギは、何度も目の前で歯を打ち鳴らす獣に歯噛みした。

 それを見て、使徒の相棒である少女は声を上げる。


「ナギちゃん!・・・あなたねっ」


 こちらの油断を誘った作戦かと勘繰かんぐったプレッタは、ゴオを糾弾きゅうだんするが、対する少年にも何が起こっているのかわからない。


「ち、違う!これは僕じゃない!」


 必死に弁明をするゴオ、だが、獣の殺害は至らず、ナギは獣の腹を蹴り上げて脱出した。


「・・・これは・・・」


 ナギは周囲を望む。

 その光景に、自身の今の状態を鑑みて、警戒強度を高めた。


 ナギが見たのは、クレーターの上。

 そこには取り囲むように、おびただしい数の獣がいた。


 小さく舌打ちしたナギは不完全ながらも蒼色の甲冑を纏う。

 そうして言葉を相方に残して、付近の獣に突貫した。


「プレッタ、そいつは任せた。私はこいつらを足止めする」


「・・・わかった」


 甲冑の少女は消え、紫苑しおんの少女が残った。


 プレッタに向けて、殺されることを焦らされたゴオは苛立ちを覚えた。


「さっさと僕を殺してくれ。そうしてすぐにここから去ってくれ」


 言われずとも、そう心の中で愚痴ぐちをこぼしたプレッタは、すぐに対象の殺害を開始した。


 方法は簡単、自身の〝八傑〟たる力で、こいつを


 そうして、プレッタは残ったわずかな力を用いて、目を開いた。


 プレッタの異常に、ゴオも気づいた。彼はプレッタの赤く染まった瞳に恐怖を覚えたように目を逸らした。


 その行動をいぶかしんだプレッタは、苛立ちを隠すことなく歩み寄った。


「ちょっと・・・」


 それはゴオも、何を意味するのか分かっていたのだろう。だが、彼は


 だって、このままではおそらく・・・・。


「頼む、それだけはやめてくれ・・・」


 そんな命乞いのような言葉しか吐けない。

 だってこれは他人に説明のしようがない。


「せめて、せめてさっきのヤツにしてくれ。それだけは、


 だが、そんな懇願こんがんは聞き届けられなかった。

 プレッタも時間を取られるわけにはいかない。こうやって手間をとられているうちにも、相棒は戦っている。

 負けるわけないと信じてはいるが、あのずる賢い獣たちを前に、もしもがある。


 プレッタはゴオの頬を掴み、瞳を覗き込む。


「やめろ・・・・」


 ゴオの声は震えていた。

 プレッタにとっては、死に怯えているようにしか見えない。


「今更、自殺も他殺も変わらないでしょ。安心しなよ、


「やめてくれ・・・」


 ゴオももちろん、抵抗を試みた。しかし、それは無駄に終わる。なぜなら、プレッタの魔術で拘束されたからだ。


「やめろおおおおおおッ!」


 そうして瞳が合わさり、視線がぶつかった。



                  ◇ ◇ ◇



 プレッタは、暗闇の中を彷徨っていた。


(ここが、あの少年の中・・・・)


 プレッタにとっては、それは初めての光景だった。


 何もない。そこには何もないがあった。


 その心のありように、疑念を抱く。

 こんな空虚くうきょな心が、空洞くうどうが存在しているなんて、この子はいったい・・・。


(なんだか不気味だ・・・はやく終わらせよう)


 そうして探索を続ける。どのような人生を歩めば、このような心になるのか。

 歩むごとに、水面立つ地面を行って、彼女はそこに辿り着いた。


(見つけた、この子が・・・小さすぎない?)


 プレッタの目前では、少年が膝を抱えて座っていた。


「悪く思わないで、これも任務だ」


 少年の前まで来て、彼女は腕を伸ばす。

 放つのは、魔術でも初級のモノ。しかし、これだけの矮小わいしょうさなら、これで十分だ。


 後はこのほむらを放つだけではあったが、そこで不思議なことが起こる。


 心とは、人形のようなものだ。

 それが独立して動くことなど存在しない。


 あるとしても、それはその心をもつ宿主に付随ふずいする。

 だが、この心の宿主やどぬしたる少年は、現実では身動きをとれるはずがない。


 だが、実際に心である少年はプレッタに顔をあげた。


「・・・・・」


 プレッタはその顔を見て言葉を失った。

 なぜならその顔は、まるで白骨のようであったからだ。

 

 瘦せこけた頬、化粧なのではと錯覚するほどの深く刻み込まれたくま

 およそ正常な心ではないそれに、彼女は戦慄せんりつする。


『お客さんみたいだよ?』


 もうプレッタには理解が追い付かなかった。

 あまつさえ、この心は言葉を発してみせた。ありえない。


 だが、ありえない存在をそれだけではない。


 もっとありえない存在が、上にいた。


 少年が首を持ち上げるとともに、プレッタも視線を上にあげる。


「ひっ・・・・」


 無意識化に悲鳴が漏れた。プレッタは、頭上のはるか上よりそれを見てしまった。

 プレッタが見たモノ、それは——————————。



【ミタナ?】



 暗黒に浮かび上がる黒き巨体。世界群の情報体終着。万物の還る場所。

 そうか、私たちは、魔術とは、そので——————————。




「アアアアアアアアアアッ!」




 そうしてプレッタは発狂はっきょうした。



                  ◇ ◇ ◇



「ん?なんだ?」


 ナギはその異常を敏感に察知した。

 先程から際限さいげんなく襲い掛かる獣であったが、彼らがその攻勢を止め、一様に何かを怖がるように森林の奥地へと帰っていっているからだ。


「何が起こっている?」


「キャアアアァッ——————————」


 その悲鳴を受けて、ナギはすぐに振り返った。

 それは良く知った声の悲鳴であったからだ。


 ナギの視線の先ではプレッタが悲鳴を上げて頭を抱えていた。


「プレッタ!」


「イヤ・・・・イヤァッ!」


 すぐに駆け寄るが、とても正常な状態ではなかった。

 これは、まるであの獣たち同様に、何かに恐れているような。


 だが異常はそれだけではない。次の瞬間、彼女らの足元に黒泥が迫った。


 そのおぞましい泥に恐怖を覚えたナギは、その発生地点を見る。

 そこには肉体から泥を溢れさせている殺害対象である少年の姿があった。


 ナギの脳内では今日でもう何度目かになる危険信号がけたたましく鳴る。

 明確な不穏を前に、彼女の行動は早かった。


 即座に水刃を形成した彼女は、その場より跳躍してゴオに向かった。


 そうして、彼の胸を貫くべく刃を放つが・・・。


「ぐっ・・・」


 側方より現われた触手が、それを阻む。

 対象の駆除に失敗した彼女は、水刃をただの水へと溶かして、その拘束から抜け出した。

 己が生命の危機を察知したことにより、


「・・・まずいッ!?」


 目前で、異形が明らかに浸食速度を上げた。

 泥は瞬く間に溢れかえり、クレーターを包む。

 ナギは避難すべくプレッタを抱えて、崖上に駆け上がった。

 その時に、が、最早知ったことではない。


 命からがら泥より逃れたナギは・・・・。


「なんだ・・・これ・・・・?」


 そうして異形は完全に姿を象った。


 壮大な山のように肥大した汚泥を見上げた時、異形は雄叫びを上げる。

 その振動に、ナギは震えが収まらなかった。


 驚くべきことは、それだけではない。恐るべきはその浸食速度もだ。今の数秒で、クレーターが満ちた。


「これは・・・止めないと、まずいよな?」


 ナギは心の中で、指令を下した神が、節穴ではないかと疑う。きっと何かの間違いだ。これの討伐?冗談じゃない。

 教会の全戦力を用いても、しずめれるかどうか・・・。


「ナーガッ!」


 ナギは即座に、水神を呼び起こした。

 エリナとの戦闘時と同じように、彼女はその肉体を供物としてささげる。


 ナギにはわかっていた。


 今の自分に出来ることは、全ての力を用いて世界を守ること。

 何よりも大切な、プレッタを守ることだ。

 そうしてまたしても世界に肥大した蒼色の甲冑かっちゅうが顕現し、水龍もそれに従ってあぎとを開く。


 だが・・・・。


「・・・・え?」


 もうナギには、これが夢ではないかと疑った。


 


 確かに、彼女はそれを呼び起こし、権限せしめた。

 しかし、それは即座に引っ込んだ。

 あの黒い異形を目に収めた直後、逃げかえるように力が霧散したのだ。


「・・・・・・あ・・・・」


 ナギはそれを見上げて、ようやく理解した。

 これは私たちが容易に前にしていい存在ではない。


 完全に戦意を喪失したナギは、その場にへたり込む。

 異形の大口からこちらに向けられた絶叫、彼女は恐怖のあまり失禁した。


 そんな彼女を見て満足した様に、異形は大口を開けて、彼女を迎え入れようとする。それは明確な捕食である。




 今ここに、父祖が完全に顕現した。


 そうして、世界が終わる——————————。



「いやあ、こんな終末フィナーレ。私は望まないなあ・・・」



 そんな間の抜けた声に、ナギは目を開いた。

 神の使徒たる彼女は、目の前にした光景を信じられなかった。


 なぜなら、彼女に襲い掛かるはずだった異形はその動作を封じられていた。

 彼女、ひいては世界が守られている。


 クレーターを取り囲むように展開された魔力障壁が、異形を閉じ込めていた。


 その術者はナギの目の前にいる。


 白髪の清廉せいれんな魔術師、端正に整った顔には美麗びれいという言葉が良く似合い、異形を前にしてもなお、余裕を見せるように笑っていた。


 その魔術師はなおも朗らかに口を開く。


「私としては、ただ傍観者ぼうかんしゃ気分で終わりを見届けに来ただけなんだがね・・・」


 当てが外れたとばかりに後頭部を掻く。

 その反応は、この状況ではひどく不釣り合いだ。


「せっかく望んだ終わりに目覚めるようにアラームをセットしたのに、目覚めれば予想外の終末があるときた、どういうこっちゃ・・・」


 しかし、状況は彼にとっても異常であることだけは確かなようだ。

 だが、そんな異常であるにも関わらず、その魔術師は目を輝かせる。


「だが!この怪物を前にして私はワクワクが止まらない!これはどうやら〝若い時分の私〟のようだな、大いに結構!」


「お、おい。アンタは・・・・・」


 ナギは男の正体を探るべく、問いかけるが、男はそれを手で制する。

 流れを完全に掴まれてしまったナギは、大人しく従うほかなかった。


「悪いが手短にする!時間がない!」


 そう矢継ぎ早に告げると、男は指を鳴らす。

 すると空間に穴が開き、その狭間から


 地に横たわる魔女に向けて、男は指を向けると、


。いわば私は思念体、実態のある幽霊だとでも思ってくれ!」


 訳のわからない説明に、ナギは「はあ!?」と剽軽ひょうきんな声を上げるのみ。

 こんな状況でふざけているのかと、男に迫った。


「そ、そんなの説明になってない!せ、せめて、!」


 だが、そんなして当然の苦情にも、男は即座に答えて一刀両断した。

 それは、彼方での戦いを経験した者の言葉だ。


! !・・・そうだな、ここで言うならば・・・・」


 腹立たしいニヒルな笑みで、魔術師は己が正体を明かす。





「20年前、〝最高〟の魔術師さ!」






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