龍と病魔、そして魔女

「あーあ、痛ってぇ」


 地面にめり込んだ甲冑の女が、肺から空気を吐き出し、ようやく正常な呼吸を再開した。倒れ伏したまま顔でのみ、相方の安否を確認する。こちらも結構に甚大じんだいなようだ。


「無事かい、プレッタ」


「これが無事に見える?」


 充血した目でプレッタは、同じ八傑はっけつである蒼色そうしょく甲冑かっちゅうの少女、ナギに一目を向ける。

「ははっ、そりゃそうか」と軽口を叩きながら、ナギは自分たちが飛んできた形跡けいせきに目を向ける。

 そこには、無残むざんにもなぎ倒された木々が、気持ちの良いほど綺麗な大穴があった。

 周囲をうかがえば、来た道を大きく戻ってきてしまったらしい。


「アーセントは帰ったらトッちめてやらないとな・・・」


「同感、負けず嫌いのせいで死ぬなんて笑えない。情報を正しく伝えるべき」


「あー・・・・、で、あれ、どうする?」


 ここに来るまでに行った情報交換に、多大な齟齬そごがあることを悔し気に、ナギは頭上を見上げる。上空にはエリナの姿があった。

 脱力した身体を地に預けたプレッタは、かすかに諦めの色が伺える声で、


「今から降参する?」


「受け入れてくれるかなぁ~」


「・・・ああ、無理だ。やばいのが来る」


 今から撤退を試みようにも、相手はすでに臨戦態勢、空にかかげた裁きの手には空をおおうほどのほむらたずさえられていた。それに帰ればタダでは済まないときた。これでは負け戦だ。


「じゃあ、いつもので」


「はいよ、お姫様」


 プレッタの要望に、ナギは肢体したいを飛ぶように起こすと、手甲てこうに手をかざす。

 手甲は生物のようであり、機械のようでもあり、形を変えて、その形状を伸ばす。

 形が変わるとともに、どこからともなく

 手甲に呼応するように形を変えたそれ、それはナギを包み、プレッタを守るように立ちはだかる、かたどられた姿は龍であった。


 そして力がぶつかり合う。

 

 エリナの豪炎ごうえんは、相手を灰に帰すべく落下する。

 ナギの水龍は、あぎとを開き、敵を噛み砕くために天に昇る。


 だが、その攻防は圧倒的であった。廃却はいきゃくの業火が、龍を食い物にするが如く、蹴散らしてゆく。

 差し迫る理不尽に、ナギは瞠目する。


「プレッタ!」


「任せて」


 炎が目前に見えた時、ナギはプレッタを求める。


 


「・・・・・?」


 エリナの肢体に異常が起こる。たちまち魔力経路が乱れ、浮遊を維持できず落下を始める。それに付随ふずいして業火も威力を弱めた。


 そうなれば水龍に軍配があがる。


 ナギは照準を定める。腕にまとわりつく咢を、地に落ちようとしているエリナに向ける。


「喰らえ、龍よ!」


 号令が起きて、轟音ごうおんが鳴り響く。

 地を穿うがつ衝撃波をその場に置いてけぼりにして、二基の龍が魔女に向かった。


 落下途中のエリナは、気が逸れた瞬間を入り込まれ、龍にその肉体を食われた。

 

 吞み込まれたエリナは、そのまま龍の慣性に従い、彼方へと落下した。


 その様を見送ることなく、二人の使徒はエリナの下へと駆けた。せっかくの攻勢、相手にすきを与える彼女らではなかった。



                  ◇ ◇ ◇



「はあ、・・・はあ・・・」


 凸凹でこぼこの大地を、魔女の弟子であるゴオは駆けていた。


 視線の先、そこでは何度も轟音が鳴り響いており、その爆音は大地に微かな振動を与える。


 その災害のような脅威の渦中かちゅうに、自身の師である彼女がいる。


 その事実が、少年の足を更に速めることとなる。


「僕のせいでッ・・・・」


 僕の存在は、あっていいものなのだろうか・・・。



                  ◇ ◇ ◇



「オラオラオラ!」


 ナギは地に付したエリナの連撃を与える。その両の腕から繰り出された拳は、魔女の肉体を徐々に地面へとめり込ませていた。


 そうしてエリナの肉体が完全に地面に埋まった頃に、ナギは天へと飛び、地に照準を合わせた。


「龍よ!」


 ナギの両手から、水龍が地に堕ちる。

 その二頭の龍は、頭部を直下にいる敵へと向かい、彼女ごと穿うがった。


 自身の全力の攻撃に、ナギは地上の土煙が離れるのを待つ。一先ずは敵を視認する。当てのダメージ状況によって、これからの行動を決めなければ。


 そう思い、焦燥感しょうそうかんを胸に空中で停滞ていたいしていると地上より線が去来した。


 その線はナギの脚部を貫通し、彼女は撃ち落された。それを放ったのは、当然にエリナである。


 プレッタの付近で落下したナギは、態勢を立て直す。己が鎧であり、肉体である蒼色そうしょくをその身にまとわせ、強度を上げるべく変形させる。そうして眼前の敵を見据みすえた時、理解の追いつかない現象が起きた。


 確かに、ナギはエリナにダメージを負わせた。その証拠に、魔女の腕はあり得ない角度に折れ曲がり、多量の出血をしていた。


 姿


「お前、・・・不死身か・・・」


「だから魔女なのよ」


 戦慄せんりつしたナギの言葉に、当然だろうと言うように回答するエリナは、言い終えると二人の使徒に迫った。その右手には、全てを切り裂く風の刃がうごめいていた。


 跳躍ちょうやくから繰り出される殺伐の右手は、手負いの使徒を捕える。

 一秒にも満たない時間で距離を縮めたエリナは、敵を粉微塵こなみじんにすべく手を伸ばした。


「させない!」


 しかし、ナギの右後方よりプレッタがエリナを視認する。

 すると、またあの不調が再発された。

 右手の風は一度に霧散むさんし、飛来した物理法則も歪み肉体が宙に浮く。


「そこ!」


 プレッタの援護に、ナギはエリナの下方に滑り込み、握りこんだ拳を振り上げた。

 刺し貫く威力を誇る拳気が、エリナのみぞおちに命中し、その勢いを殺さずに魔女の肉体を空へと打ち上げた。


 しかし、肉体の感じた痛みも、押しつぶすようにぶつかる空気の抵抗にも、エリナは眉一つ動かさなかった。そればかりか笑ってすらいる。


 だが、攻撃は止まなかった。

 エリナの更に上、先回りしていたプレッタが、両手を地に向けて待ち構えていた。


 そうして手のひらより放たれたのは、純粋な魔力の塊。

 数刻前、エリナより食らった重圧と同系統のものだ。

 その物理影響力はエリナに遠く及ばずとも、十分に人間をスクラップにできる圧力だ。


 打ち上げられる引力、下方へと叩きつけられる激力に、エリナの内臓が潰れる。

 血交じりの息を吐き、はたき落された彼女はゆったりと体を持ち上げる。


「まだまだ!」


 そんなエリナの頭部を掴んだナギ、彼女は魔女の頭部を縦横無尽じゅうおうむじんに叩きつける。

 何度も、何度も、右往左往うおうさおうする頭。


 地盤じばんを歪め、岩石をまくり上げる様は、まさに暴風であり、地震そのもの。


「これはさっきのお返しだぜ!」


 ひとしきり衝撃を加えたナギは、エリナの肉体を森林に向けて投擲とうてきした。網膜もうまくのシャッターが下り、また持ち上がった時には、エリナの姿は完全に消えていた。


 溜め込んだ呼気を吐き出したナギは、倦怠けんたいから腰を下ろす。

 収まらない呼吸の乱れを抱えながらも、自身の衣類の切れ端を破き、脚部に巻き付ける。


 先の攻防においても、ナギの足の穴からは多量の出血がおこっていた。


「ナギちゃん!」


 使徒の片割れである少女、プレッタはナギに駆け寄る。

 その慌てぶりに「問題ねえよ」と口角を吊り上げて答えたナギはこれからの作戦をたてる。


「プレッタ、お前が乱せ。その隙に私が攻撃する。さっきと同じだ」


「でも、もう力が・・・・」


「安心しろ。回復する時間はある」


 魔女の最後に見た姿は、それはもう凄惨せいさんたる姿であった。

 皮膚が剥がれ、両の手足が不規則な方向に何度も折れ曲がっていた。

 それに先の攻撃における上下運動、外部だけではなく、おそらく内部さえもボロボロであるだろう。


 そんな状況では、あちらも幾ばくかの回復が必要だ。

 それなら、こちらも整える時間が——————————。


?」


 ナギはに、血の気が引いた。


「プレッタ!」


「もう私この後は動けないからね!」


 使徒たちは同時に振り返り、行動を開始する。

 片や水龍を、片や魔力塊を。現状で出せる最大出力で。

 後のことなど考えない。どのみちここで生き残れなければ後がない。


 しかし、エリナもそれを黙って受けるほど優しくない。

 突如として魔女の足元より発生した風刃が、敵を切り裂く。


 押し返される風に切り裂かれ、両者は後方へと吹き飛ばされる。

 風は彼女らの頬を、腕を、脚を、腹を切りつけ、落下した姿はただの流血した肉片であった。


「アアッ!」


 プレッタは絶叫とともに、エリナに向けて拘束を行った。

 仲間の安否など確認しない。自分がまだ生きているということは、彼女も必ず生きている。


 エリナに迫るのは、紫苑しおん病魔びょうま

 幾千いくせんもの紫の絹糸きぬいとが、魔女の肉体を拘束した。


 だが、その拘束も一瞬で、エリナは肉体に力をこめると、それはいとも容易く崩れ去った。

 プレッタはそれに驚きを隠せない。

 なぜならそれはあり得ないことだからだ。

 

 それを、ああもいとも容易く千切るとは。


 だが、蒼色の少女に与えられた時間は、それで十分だった。

 彼女は生態変形を終えて、エリナの目前にまで迫っていた。

 ナギの両腕の手甲は、その形状をまたも変え、今度は水の刃となっていた。


「いくら不死身でも粉微塵はどうかな?」


 敵を原型の残らぬ姿にまで切り刻もうとするナギ。

 しかし、それほどの脅威が迫ろうとも、エリナに焦りは見えない。

 むしろ不敵に笑って——————————。


「————ッ!?」


 ナギの即座に側転そくてんした。駆けだした方向は、味方の少女の下である。

 ナギにはこれから何が起こるか理解できた。

 エリナの胸に発生した赤きほむらを見て、脳内にけたたましい警告音が鳴り響く。


 そう————、


「ボーン」


 そんな間の抜けた声の後に、核融合にも似た大爆発が起きた。



                  ◇ ◇ ◇



「・・・プレ・・・ッタ」


 鼓膜を裂く轟音ごうおんが収まった頃、ナギはただれた声帯から空気を吐き出した。

 プレッタを抱き留めて、彼女をかばったナギの背中は、鎧が砕け、大火傷を負っていた。

 しかし、そこまでの負傷を受けても完全には守ることは出来ず、プレッタの左半身も、彼女と同様に大火傷を負っていた。


「あれは無理だね・・・・」


 空虚くうきょに、プレッタは目の前で再生を始めたを見る。

 その姿に、ナギの意思は完全に砕かれた。


 光のなくなった目で、ナギは最後の暖かさを目指す。

 そうしてプレッタの横で腰を下ろした。


 周囲も、とても目の当てられるものではなかった。

 まるでそこだけ掘り返されたように陥没かんぼつし、環境が完全に変わってしまっていた。


 爆発に巻き込まれた森林は、無差別のその存在をこの世から消され、大地一色となったクレーターのみが、彼女たちを囲んでいた。


 進んでも、戻っても、死しか待ち受けていない使徒たち。

 その末路と呼ぶにふさわしい光景を前に、横たわったプレッタはゆったりと左手を持ち上げて、


「ナギちゃん、手を握って・・・」


「ああ・・・」


 拒絶する理由もなく、ナギはその要望を受け入れた。

 持ち上げられた手のひらを優し気に握る。


「ナギちゃん、抱きしめて・・・」


「ああ・・・」


 握った手を引き寄せる。

 終末の片隅で、自分の人生と呼べる片割れの細い腰を、強く抱き寄せた。


「ナギちゃん、顔をもっと近くに・・・」


「ああ・・・」


 彼女の顔を、肩口に引き寄せる。

 使徒と呼ばれる少女ではあるが、その身体はあまりにも軽い。


「ナギちゃん、私、今から最低なこと言うね」


 死の間際に放たれる戦友の言葉とは、一体どんなものなのだろう・・・。

 気になったナギは、無事な方の耳を傾けて、その言葉を待つ。


 彼女にとっての、最低な言葉。

 それは、これまでの長い付き合いを得ても、皆目見当がつかなかった。

 

 普通を望み、平凡を愛し、素朴を願い、役目を疎んだ。


 普通になりたい。


 それは、何度も彼女の口から出たものだ。

 それは、ある時期を経て、失われてしまった特色だ。

 それは、彼女が〝八傑〟となっても失われることのなかった、唯一の指標だ。


 ならば、最後に語られるのは、そのような空虚な請願せいがんなのか・・・。

 

 掻き消える時くらい、せめても、その願いを聞き届ける者がいるべきではないのか。


 聞いてくれる人が近くにいる、そんな当たり前があることこそ、数少ない救いではないだろうか。


 ならば、そうであるのならば・・・・。


















「私を、守って」


















 しかし、零れ出たのは願いでなく、語られたのは生存であった。


 ナギは閉じたまぶたを開く。


 この少女は、まだ諦めてなどいなかった。


「・・・・・ああ、任せろ」


 プレッタの意思を明確に理解できたナギは立ち上がる。

 その肉体が向くのは目前で完全に再生を遂げようとしているエリナである。


 ナギは一呼吸、深く吸い込んだ。

 これより自身が行うことに、果たして自分は耐えられるのだろうか。


 これは明らかに染まる行為だ。


「我が肉を喰らいて目覚めよ、水神の加護」


 託宣たくせんのもとに、彼女の甲冑が変形を遂げる。

 それは、今までの戦いの最中で起こった変形ではない。


 今までは彼女の意思によって、その形状を変えて来た。

 だが、今度の変形に、ナギの意思は存在しない。


 蒼色の甲冑は、ナギの肉体に食い込み、肉を裂き、入り込む。

 そうしてしたたるる血を、鎧は喉をうるおすように飲み干している。その証拠に、周囲にはひたすらに嚥下えんげの音が響く。


「天は我、水こそ我—————」


 嚥下えんげの音は、次第に大きくなる。

 森は呼応するように、大地を望むように、そして天は歓喜するように、彼方の水は現れる。


「目覚める者は背に、龍王来りて、時世の悪滅す———————」


 望める音は嚥下ではなく、願いは降り来たり、鼓動となった。


「この依代こそ善の立法」


 そこには肥大した蒼色の鋼鉄をまとった龍の化身、八つの水龍を背に従えた少女の姿があった。


「我はナーガ、悟る者を守護せし防人!」


 宣言をした頃には、エリナは完全に回復を遂げていた。

 消滅した衣類さえも創り出し、


「龍を越えれるものなら越えてみせよ、魔女!」


 エリナはナギに襲い掛かった。


 洪水であり、災害の化身。それに相対するは、不死身の魔女。

 化身の背後には、目を瞑り、目覚めようとするプレッタ。

 、今この時より、ここは逸話の世界となった。


 かくて龍は、魔女を中心にして踊り狂う。

 魔女は砕き迫るあぎとを弾き、本体たるナギを追った。


 魔女は放った業火により、水龍の一つを蒸発させ、ナギの下へとたどり着いた。

 敵を目前にしてナギもじっとしているわけもなく、先程とは比べ物にならない速度で拳による連撃を放つ。


 だが、その脅威を前に、エリナはまるで赤子の手をひねるが如く全てを受け止める。

 その顔に焦りは見られず、澄ました顔がナギに憤怒ふんぬを憶えさせた。


「オラァッ!」


 エリナの片眉が上がる。

 ここにきてようやく、彼女にとって予想外なことが起きた。

 ナギは拳を引き寄せると同時に、肉体を回した。


 その様を見て、回し蹴りを警戒したエリナであったが、ナギが放ったのは蹴りではない。


 


 その薙ぎ払いに、エリナの肉体は彼方へと吹き飛ばされる。


(・・・突破できない。変な概念操作が入っている。これは伝承の類だ)


 確かに、ナギの戦闘力の向上は目覚ましかった。しかし、それだけではない。

 この場、この状況こそが、整合性をとるために彼女の力となっている。


 そんな分析をしている間に、はべていた水龍が、敵に、魔女に向かう。

 

 空中で身を翻したエリナはそれを避けて、発生させた岩石でその一匹を押しつぶした。あたりには水龍であった水が霧散し、一時の土砂降りの雨を降らせる。


 視界が明瞭めいりょうになった頃に、残りの五匹の水龍が、同様にあぎとを光らせていた。


「ちょっと、本気を出すわ」


 その言葉にあと、出来事は一瞬であった。

 魔女は、そんなことは些末さまつなことだと言うように、全ての水龍を蹴散けちらした。


 初めに、地より湧き上がった岩壁によって霧散した。

 次の、魔女自身の蹴りによって二匹の水龍がひねり殺された。

 最後に、残りの水龍は岩壁を躱した先のかまいたちによって切り裂かれた。


「・・・・クソッ!」


 憎々にくにくし気に、戻って来た魔女をナギは迎え撃つ。

 しかし、その迎撃にも限界がきた。


 数合の打ち合いの果てに、鎧が砕けかけていた。

 ジリ貧であると感じたナギは、天へと昇る。


 羽へと変形を遂げた鎧の翼は、内部の蒸発エネルギーを吐き出し、水力の逆噴射により飛翔する。


 慣性を超える飛翔、しかし、それは逃亡ではない。

 ナギはエリナを射程に収めたに過ぎない。


 そう、彼女は落下を始めた。


 落下による摩擦熱が彼女を赤く染め、水の刃をまといしナギは、下方の敵に向けて激突を試みる。


 外れれば即死、たちまち発生している引力は、エリナというクッションなしでは頭部を潰すに至るだろう。


 だが、彼女の神経という弓は、正確に魔女を捕えていた。


 天穿つ一線。


 地へと突き刺さった槍は、魔女を巻き込んだ。


「ガ・・・ハッ・・・・・」


 しかし、それは魔女を殺すには至らなかった。

 土煙が落ちたのち、見える景色は、首を吊られる龍の姿であった。


「こ、の・・・・はな——————————」


 ボキッ・・・・・。


 そんな気味の悪い音が鳴った。


 後に残ったのは、首を曲げて、腕をだらんと降ろしたナギの姿であった。


 すん、と鼻息を鳴らして、まるでゴミを投げ捨てるように落としたエリナは、残りの敵に振り向く。


「ありがとう、ナギちゃん」


 そうして気付いた。

 いや、気づいてしまった。


「できた」


 魔女は、自分には残された時間は少ないと気づいてしまった。


 そこには臭気しゅうきが満ちていた。天が赤く染まる。


 立ち込める紫苑しおんの煙に気付いた時、エリナはプレッタに向かった。

 しかし、辿り着くよりも早く、プレッタは口を開く。


「我は病魔びょうまあらがえられぬ、逃げられぬ命のくさび!」


 プレッタの宣言通り、煙がくさびとなり、エリナを拘束する。

 エリナもただ縛られるわけもなく、何度も煙を掻き消すが、楔は無尽蔵に増え続けた。


「あなたをむしばんであげる、フタンナッ!」


 エリナの肉体が、宙へと浮く。

 魔女が最後に見たのは、煙が形成する髑髏どくろを背にする、少女の赤い瞳であった。


 ここで初めて怖気を憶えたエリナは、自身とプレッタの間に、何重もの魔力障壁を張った。

 エリナの行動は完璧であった。

 この障壁の数、そして精度。

 そこいらの下手な精神干渉など、はじき返すどころか術者に甚大なカウンターを与えたことだろう。それだけではない、エリナ自身の干渉強度も、恐るべき高さだ。


 だが、彼女は望んでおらずとも使徒、それは普通の干渉ではない。


 鳴り響く破砕音、言わずもがな障壁の割れる音だ。

 プレッタの視線がエリナに迫る。


「アアアアアァッ——————————!」


 しかし、決して無傷の攻撃ではない。

 エリナの肉体は悲鳴を上げるように隆起りゅうきし、彼女の赤き瞳はその過負荷かふかに耐えきれず流血を起こす。


 穴という穴から血を垂れ流したプレッタ。


 代償を得て、その瞳はようやく魔女に入り込んだ。


 煙が、障壁、空が、すべてが砕け散った後、正常な景色がこの世に戻ってくる。


 後に残ったのは、クレーターの中心で空虚な瞳で佇むエリナと、左目が破裂はれつしたプレッタだった。







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