疾走使命

「…やってみます」


 並列思考には自信はないが、とりあえずやってみようと言う事で、両手を前に出し、ダメもとで魔術を発動させる。

 当然成功するはずもなく、互いに反応し合った火と水は蒸発し、風は何処かへ飛び、土は地に落ちた。やはりすべてをコントロールするのは難しい。


「…やっぱりだめかぁ」


「難しいです」


 先程までの出すだけのものと比べ、ある程度の操作を行わなければならない。

 それもエリナは分かっているようで、初めは二つの属性だけにして慣らしていこうという事になった。

 そしてゴオは魔術を発動させようとした時に、エリナは手を叩き、こちらの注意を引いた。


「まあ、日も登って来たからお昼にしようか!」


 彼女の言葉通り、太陽は真上へと登っていた。もうそんなに時間が経ったのかと、ゴオを驚くと同時に、その昼時の知らせを聞いた時、ゴオはエリナに謝罪する。


「ごめんなさい。昨日もご馳走になってしまって、それに今も」


 その言葉にエリナはなんてことはないと手を左右に振る。


「いいのいいの。…あ~、でもそう思うなら水を汲んで来てくれないかな?」


 ゴオは当然断ることなく承諾し、エリナが差し出した桶を受け取る。

 差しだされると同時に「あっちに行けば川があるから」と彼女が指し示した方角にまっすぐ進む。

 吹き抜ける風を涼しく思いながらも、ここが人の寄り付かない場所であること実感する。

 人声など聞こえない。耳に入るものは木の葉の擦れ音やこの森の動物たちの声。

 この音色はなんとも眠気を誘う。

 のんびりと歩みながら聞き入っていると脳裏に昨日の記憶が呼び起こされ、足早になる。

 わざわざこのタイミングで思い出すことのなんといじらしいことか。

 そこから少し進むと、川のせせらぎが聞こえた。目前にも水面の透き通る景色が目に入った。

 川辺に立ち寄り、膝を曲げ、桶に水を入れる。

 熱を灯った両手でその冷たさに触れると、気持ちよさから力が抜ける。

 少しその冷や水を弄んでいると、「頼まれた身で何をやっているんだ」と名残惜しくも立ち上がる。


「………」


 その物体が目に入った時、ゴオは珍しく真面目なことを考えた自身に感謝する。

 いち早くそれに気づけた幸運が自身の寿命を延ばした。


(……寿命じゃなくて日々か)


 冷静に先程までの思考を訂正しながら、それを凝視する。

 数分前からの再会なのだから当たり前で忘れるはずもないが、その容姿はよく知っている。

 鋭利な牙、四つん這いである姿勢は膂力を感じさせ、警戒は怠っていない。

悲しいことにもう準備は万端なようだ。

 これがさっきまでのだらしない姿だったのなら安心していただろう。

 だが、目前の獣は目を血走らせ、その牙にはよだれが滴る。


(麻痺してきているな……)


 自身がなぜこの危機的状況で焦らず立ち尽くせるのか。

 その疑問は湧くことが無かった。

 自身には授けられた異能がある。最悪でも自身の命は助かる。

 だがそれは同時に問題でもあるのだ。

 加えて昨日の経験。あの巨大な獣に内臓をまれたのだから、この程度では物足りなくなったのか。


 自己を解明している内に、その魔獣は目前の獲物に飛びついた。

 ゴオは間違いなくそれを視認しているし、避けることも可能だ。


 だがそれも一度のみだ。

 生前ろくな戦闘経験もなければ、運動経験もない。

 なので自身に出来ることはただ飛ぶこと。ゴオは転げながら飛び退く。

 真横すれすれで毛むくじゃらのそいつが通過する。獣の牙も爪も、ゴオに当たることはなかった。


「あ………」


 ゴオはそこで気付く。もうこの日々に終わりが訪れたことを。

 目前の獣は追撃の態勢に入っており、後は飛びつくだけだ。

 そしてそれを獣は実行した。その赤色の口内が徐々に自身の顔に迫る。


 並ぶ牙は研ぎ澄まされた刃のように煌めき、その分厚い顎は確実にこちらの肉を抉るだろう。

 獣にとってはもう簡単だ。地に這う人間を捕食するだけ。だが死ぬのはおそらくこの獣だ。

 その傷は確実に自身の異能を呼び起こし、この獣を養分とする。


(なんで……なんでなんだよ……)


 ゴオはこの日々が終わってしまうことに嘆いているのではない。

 あの恩人とすぐに別れなかった自分を責めていたのだ。

 数秒後には、そのこれから背負うであろう後悔は現実に浮上する。

 ゴオは、せめてその現実は見たくないと瞳を閉じた。


 だが、まだ終わらなかった。諦念によって閉じた瞳の裏側の恩人の顔が浮かぶ。

 同時にまだ諦めるわけにはいかないと自身を鼓舞する。

 少年は思い出した。自分はなんにために彼女から技を授かり、何のために生きたいと願ったのか。


 もう目と鼻の先まで迫った獣に手をかざす。

 放つのは先程身に付けた火炎

 一切の加減も、容赦もいらない。でなければ大事なものを失ってしまう。



 そうして獣は少年によって倒された。




「……あああ、…………あああ」


 少年は日々を守ったのだ。


「……はは」


 恩人を殺めることなく。


「あっはははは、あはは」


 後悔を抱くこと、最悪の結末は避けられた。だが……。


「そうか……ぼくはもう……」


 少年は自身の肩口を凝視し、頭を抱える。


 そこには異形があった。



                  ◇ ◇ ◇




 少年の肩口の異形、そこより生れ出た新たな獣は倒れ伏す敵に軽蔑けいべつの視線を向ける。

 異形の脈動より生まれ落ちた新たな命は、少年に襲い掛かる獣を爪で切り裂き、その牙で掴んだ首を地面に叩きつけたのだ。


「そうか……ぼくはもう……」


 少年は動揺どうようからその身体を横たえようとしたが、自身が生み出した獣が彼を支える。

 獣自身、主の変化に驚きはなかった。

 この種族の感覚共有。

 子からの接続はカットされているが、親から発せられる信号は遮断されていない。

 つまり、この獣は少年が何を想い、何を考えているのか理解できているのだ、

 少年は獣の接近に慌てなかった。

 それは異形から出現する瞬間を目撃し、自身を助けてくれたからだ。なにより雰囲気が違う。

 少年は自身の肩、そこで徐々に腕へとしぼんでいく異形を、最後までにらむ。

 そうして異形はすべて、自身の内に収まった。


 支えとなった獣に感謝しつつ、立ち上がったゴオは、今後の身の振り方について考える。

 おそらく生きていくだけならば、問題はないのだ。

 この呪いがあれば死ぬことはない。だが人間社会で生きていくことは難しい。

 なにより、今脳裏をよぎる結末だけは回避しなければならない。


「ゴオ?」


 草木を掻き分けて現れた人物に、少年は動揺を隠せなかった。

 少年は自身の優柔不断さを呪う。こんなにも行動が遅いから、執着してしまったから、またも機会を逃した。

 エリナはその場を見渡す。血を流し、倒れ伏す獣と、主の傍らで座り込む獣。

 その惨状でだいたいの状況を理解したのだろう。


「……行きましょう」


 そう言って少年に手を延ばすエリナ、だがゴオはそれを掴んではいけないと理性が躊躇ためらう。

 当たり前、むしろこちらから彼女を拒絶すべきだ。

 それをしないのは自身の無さを、先行き不透明な自分の人生への不安。

 しかし、そんなことは関係ない。

 如何に自分に自身がないとはいえ、やらなければならない。でなければこれ以上の惨状を自分の手で生み出してしまう。

 論理的に考えて、これから危害を加えるかもしれない未来に向かうわけがない。

 覚悟を決めた少年は、目の前の恩人に先に戻っているように告げようとした時、その言葉は背後からの衝撃で遮られた。

 エリナによりかかったゴオは彼女に支えられながらも振り返る。

 そこには地面に座り込む獣がいた。


「…………」


 獣は黙ったままこちらを見ているだけ。

 先程その足で主を押し込んだことが嘘であるかのように。


「帰ろ」


 エリナは胸の内にいるゴオに優し気に告げる。


「‥‥‥‥はい」


 ゴオは、少し自分が嫌いになった。


 

                  ◇ ◇ ◇


 

「あなたは来ないの?」


 ゴオを連れて戻ろうとしたエリナは、背後で座り込む獣に問いかける。

 数刻前に広場でくつろいでいた獣と同種の獣。

 エリナは、その獣がゴオを助けたことを知っていた。

 なぜ?どうしてこの少年を助ける?その疑問は拭えない。

 理由は分からないが、こことあちらにいる獣はゴオに敵対しない。

 だが正直エリナにとってはそんなことどうでも良かった。

 重要であることは、彼らがゴオに危害を加えないことだ。


「…………」


 対する獣はただ座り込み、こちらを凝視するだけ。歩み寄る様子はない。


「……そう」


 ついてくることが無いと知ったエリナは、向き直り家に戻る。

 その遠ざかる背中を獣は、視界から消えるまでジッと見つめ続けていた。

 そして、その場から彼女たちが消えた。


 見送った獣はそれを合図に立ち上がり、彼らとは反対の方角にその頭を向けた。

 繰り返すことになるが、この獣は四大聖獣が一角、獣王の子だ。

 なので主であるゴオが何を考え、何をしようとしているのか容易に理解できた。

 あの時、ゴオは確かにエリナと共にいたいと願っていた。

 しかしあの行動は、食べたいときに食べ、寝たいときに寝る、決してそんな直情的な獣の性ではない。


 彼らはただの動物ではない。

 主を持ち、忠誠心を持つ、知識ある獣なのだ。

 だから少年がエリナから離れるべきと考えたことを理解できたのだ。

 しかしこの獣は全てをわかったうえで、それでもそうすべき、と主の背中を押したのだ。


 獣は走り出す。

 頬にぶつかる風、耳に入る風切り音。

 その疾走に獣は自然と口角を上げる。

 獣王、主を失い、単独で行動した。あの三首の獣を打ち倒すために。

 しかし、三首の獣はあの少年によって屠られた。

 彼は無力な自身の代わりに獣王の誇りを守ってくれたのだ。

 その恩義に報いるために、新たな主の肉体に戻った獣は、彼を主と認めることに抵抗はなかった。

 呼吸が荒れる。疲労からではない。昂る感情から興奮を抑えられないからだ。

 失って気付いた。主を戴き、忠を尽くせる、それのなんと幸福なことか。

 主の背を見た時、獣は自身の使命を理解したのだ。

 主の平穏、その障害となる敵をこの森林から滅するために。

 変質し、最新の獣王の子となった獣は地を駆ける。


 今度こそ、そして最後まで、我は獣王の子であれかし。

 それこそが我が運命。



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