だから今度こそは


「‥‥んん、…ん?」


 心地よい微睡みから目を覚した少年は視界に入る景色から周辺の状況を取り入れる。数刻前に見た景色と同じ、木製の天井と壁。

 どうやらまた彼女に助けられたようだ。


 ベッドに横たわった自身の体を確認すると、傷は初めから何も存在していなかったかのように消えていた。

 先程の盗賊達との件から時間もいくらか経過したのだろう。窓から見える外の景色は暗い。

 すると吹き抜けの部分から彼女が現れた。


「あら、起きてたの」


 彼女はその視界に自分を確認すると、近くにあった椅子を手に取りこちらに近づく。ただ歩いているだけなのに、その挙動に、揺れる黒い長髪と衣服に、優雅な様に目を奪われる。


 彼女は椅子をベッドの横に設置し、腰かける。少年は真横に美女がいることに落ち着かず慌てそうになったが取り繕う。

 誤魔化したのは、それにより相手に気付かれることを勘ぐったのか。

 少年は懸命に表情を誤魔化すが、次の瞬間にその鉄面皮は簡単に剥がれた。なぜなら彼女は少年の体をまさぐったからだ。


「な、何を⁉」


「傷が開いていないか確認してるの、さっきも血が噴き出して大変だったんだから」


 少年は自身の周りを確認すると、シーツが赤く染まった箇所があった。おそらく自分のものだろう。


 初めは自身が暢気のんきに寝静まっている間に看病してくれたことに感謝していたが、今は彼女に迷惑をかけたことの方が大きくなった少年はすぐに謝罪する。


「ごめんなさい。汚しちゃって」


「大丈夫、洗濯すればいいだけだから」


「いや、でも染みになります…とりあえずすぐにどきますから」


 これ以上汚してしまうわけにはいかず、立ち上がる。しかし、その意思とは裏腹に体は膝から崩れ落ちた。少年が痛みに苦しむことはなかった。床に落ちず、ベッドが下にあったからでもなく。目の前の彼女が少年を抱きとめてくれたからだ。


「無理しちゃだめよ。倒れそうじゃない。私がやっておくから君は寝てて」


「そんなわけには……え?」


 彼女は少年を抱える。女性に抱えられ、羞恥で顔がみるみる熱くなる。その態勢はいわゆるお姫様抱っこだ。


「ちょっ⁉降ろしてください!重いでしょう?自分で歩けます!」


「いいの♪いいの♪任せて!」


 そんな華奢きゃしゃな腕のどこにそんな力があったのかわからないが、彼女は足取り軽く、軽々と少年を持ち上げた。


「…それと、ごめんなさい。私はあなたを敵と勘違いしてしまって、怖がらせちゃった。その上、助けてもらって…」


「そ、そんなそれは違う!」


 申し訳なさそうに言う彼女に反応して声が出た。


「助けてもらったのは僕の方だ!あのままだったら僕は‥‥」


 少年は自身の言葉を止める。その先を言ってしまうことに恐れを抱いたからだ。


 生前、自身が望んで手放した命。そして神から与えられた二度目の命。

 過去に未練があるわけではない。少年は望んで一度目の命を手放した。

 だけどどんなに望んだからと言っても、死は死だ。

 少年は一度体験してしまっているのだから、彼の中で死は明確に大きくなっている。


 あの時少年は神から授けられた異能を失うばかりか、この二度目の命まで失ってしまうところだったのだ。

 しかし彼女は少年への恩義にも報いたいようだ。


「でも助けられたのも事実、私も死んでたかもしれない。それに私が大切にしているものも盗まれていたかもしれない。この御礼はちゃんとしたいと思ってる。考えておいてね!」


「御礼って…ッ!」


 急に揺れが起きて驚く。彼女は少年を抱えて動き出したからだ。そのまま吹き抜けを通り、少年をテーブルの椅子に座らせた彼女は部屋に戻り、汚れてしまったシーツを抱えて出てきた。両手いっぱいに抱えたまま、扉の方向に向かう。


 このままでは扉にぶつかってしまうと思い、自分が扉を開けようと試みる。しかし、扉は彼女が通る前にひとりでに開いた。


「え?」


 目の前で起きた現象に呆気にとられて呆ける。そんな自分の様子はお構いなしだというように彼女はそのまま室外に出る。

 なにもせずここにいることが心地悪く、自分もゆっくりと室外に出る。その後、少年の視界に入って来た光景に彼は目を見張った。


 そこには彼女の前を浮遊するシーツの姿があった。それだけでは止まらず、彼女がかざした左手から発生した水はシーツを覆い、右手で水を操作する。


 シーツを覆った水は回転し、汚れを落とし始めた。しばらく経って汚れを落としきった水は役目を失い、地面に落下した。シーツは今、彼女の手から発せられている風によって乾かされている。


 目の前の光景に改めて自身が来訪者であることを実感する少年に彼女が声を掛ける。


「魔術を見るのは初めて?」


 動揺を隠せず口をうまく回せなかったが、何とか回答した。


「…さっき体で食らいましたけど。間近でこんなじっくり見るのは初めてです」


 生前に物語の中でこういう場面は見たことがあったが、実際に自分の目で見ると便利だなと思った。


 目前に非現実的な光景が現れて、ある気持ちが湧いた。それは初めて、物語に触れた時、この目で、頭でその存在を認知した時に自分の内から湧き出た期待と高揚。知らない世界があり、知りたいと思った。現実に嫌気がさした自分はそこに引き込まれたのだ。そしてそれが実際に今、目の前にある。すると、ある気持ちが湧き上がった。


「———たいです」


「ん?何か言った?」


 良く聞こえなかったのか、彼女が問い返す。今度は聞き返されないよう声を大きくして宣言する。


「さっきの御礼ってやつ…僕、魔術を憶えたいです」


 その言葉に彼女は一瞬戸惑う。彼女は悩んだのち言葉を発した。

 その様はなんだがもの悲しいように見えたのは、少年の気のせいだったのか…。


「教えるのは構わないけど使えないかもしれないよ。そういう人、今まで何人も見てきたから」


「その時は諦めます、才能がなかったということで」


 彼女は自分の言葉を聞き、頭を悩ませる。


(やはり、これは無理なお願いだったか…)


 そう考え始めたころ、彼女は決心し答えを出した。


「わかった!でも教えるのは明日からね!君、結構無理してるでしょ?今日の所はもう休みなさい」


「ありがとうございます!えーと‥‥名前は…」


 彼女は言葉を詰まらせた少年の様子を見て、首を傾げる。まだ大事なことを聞いていなかったのだ。


「あー、そういえばしてなかったね」


 彼女は改めて、こちらに向き直る。こんな美人と正面から向き合って緊張するけど大事なことなので我慢する。彼女は自身の胸に手を当て…。


「私はエリナ・ウィッチ、よろしくね!あなたは?」


「僕は…」


 自分の発言を考えて、言葉を飲み込んだ。


 あっちの名前は名乗ることは不自然に思われると考えたからだ。

 その時、ふっと文字が湧いてきた。何でもない、ただの思い付きだ。せっかくなのでこれを使おう。


「僕は…ゴオ・ダンです。ゴオって呼んでください」


「ゴオ?珍しい名前ね。まあよろしく」


 不自然に思われないように考えた名前だが、意味はなかった。

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