あなたを救いたかった

「痛い!痛い!いた‥‥だ、誰かぁ!」


 両手は触手で抑えられ、下半身から徐々に黒いうみがせり上がり、男の身体を呑む。

 男は助けを求める。次の瞬間、異常を察した室内の二人が屋外に飛び出してくる。


「どうした⁉…これは⁉」


 二人は驚きに声を上げる。そこには黒い泥に下半身を飲まれた仲間がいた。

 それを見た魔術師の賊は冷静に分析する。


「聖獣と人間の複合体?では魔力反応はどうやって隠した?いやそもそもこれは本当に聖獣か?こんなヘドロのような生物は見たこともないが……」


 いくつかの仮説を魔術師は立てるが、答えは見つからない。


「た、助けてくれぇ……」


 もう先程までの狂気を無くした男が仲間に向けて助けを求める。その状況を見るに、このままでは……。


「考えている暇はない!まずはあいつを助けるぞ!おい、新人!待っていろ!今助ける!」


 先達の兵士は新人の兵士を助けに向かうため、その黒い膿に接近する。


(足は…ダメだ!吞まれ過ぎている!まずはあいつの手を自由にしてやらなければ!)


 先達の兵士は腰に下げた剣を抜き、一本の触手で押さえつけられている右手を自由にしてやるために剣を振る。

 触手はその一本だけ、その上細かったためか、簡単に切断できた。黒い泥にとらわれた男は自由になった右手をこちらに伸ばす。

 その右手は手首から先は直下にぶら下がっていた。


(何があったんだ⁉…考えている暇はないか!)


 先達の兵士は迷わず彼の手を取り、引き寄せる。だがビクともしない。動く気配などまるでなかったのだ。

 視界の横で倒れ伏している黒いヘドロを吐き出す少年に、先達の兵士は視線を向ける。こいつを仕留めればこの現象も止まるはずだ。そう考え、彼は行動を起こした。


 剣は少年に向け振られた。これを阻むものは周囲には確認できない。彼を切り伏せ、仲間を助けようとするが、その行動で得られたのは仲間の生存ではなかった。

 剣は少年に触れる直前にその軌道を停止させた。

 剣は、少年の右腕から発生した触手によって呑まれ防がれたのだ。剣を引き戻すことができず、先達の兵士は焦る。


 バキッ!


 徐々に剣からはいびつな音が聞こえ、そして砕け散った。

 先達の衛士はこの新人の兵士に起こった出来事を理解した。こいつはこの触手にやられたのだ。

 この新人を助けるべきか、自分は逃げるべきかを考える。武器はまだある。自身の腰に取り付けたナイフだ。だがこんなもので何ができるというのか。


「くっ!‥‥‥待ってろ!今助けてやる」


 新人の兵士を見て、焦燥感が増す。彼は下半身の圧迫と自身が飲み込まれる恐怖から痙攣けいれんを起こしていた。

 先達の兵士は今も彼を飲み込んでいる黒いヘドロの最前線、彼の腹部付近に張り付く泥を削るようにナイフを振るう。


「アへッ!」


 失いかけていた意識が擦れたナイフによって呼び起こされる。新人の兵士は抗議の声を出す。


「…それ!グっ!‥‥それやめて!俺も…俺も削れてる!」


「我慢しろ!まだ飲み込まれていない接着面はいくらか削れやすい!」


 先達の兵士、彼が言う通りへばりついた黒いヘドロはいくらか削れていた。だがそんなもの微々たるものだ。それにすべて削りきる頃に彼はもう…。

 黒いヘドロは自身が削られていることを知ったのかその浸食速度を急速に早める。


「ああああああ、死にたくない!死にたくない!」


 新人の兵士は自身の半身を飲み込む圧迫感、切削の痛みに気をおかしくしていた。


「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥あ」


 先達の兵士は、これはもう無理だ、と気づきの声を上げた。


(……すまない!)


 そこで彼は自身の命と彼の命を天秤にかけ、自らの命を選択した。即座に撤退を試みたかれだったが、囚われの新人兵士がそれを妨害する。

 新人の兵士はその口角で、先達の兵士の肩の肉に、その歯の下にある衣服に噛みついた。その咬筋こうきん力から絶対に離さないという意思が伝わる。


「おい何をやっている!このままでは二人とも死んでしまうぞ!」


「ひにはふない!ひにはふない!ひにはふない!」


 器用に噛みながら声を出す。その顔は涙や鼻水で濡れ、懇願が窺える。


「お前!俺も道ずれにする気か!やめろ!」


「たふへへ!たふへへ・・・・」


「やめろッ!くそぉぉおおおおおおおッ!」


 そして賊の三人のうちの二人はヘドロに飲み込まれた。

 まるでそこに初めからいなかったかのように。

 二名の痕跡は跡形もなく消えたのだ。



                  ◇ ◇ ◇



(な、なんとか二人は排除できたのか?)


 自身の右腕の異変に驚きながら、状況を理解する。

 神から授かった異能によって三人のうちの二人を排除することができた。

 右腕を見る。少し前は全身が異形と化して、良く確認することができなかったが、今は改めて見ることができる。


 黒い肉塊、流動する塊、ヘドロのような見た目。なるほど、敵対するの理解できる。自身から生じたものであるが、これに対して不快感が止まらない。追い出したくて仕方がない。


 最後に残った賊に目を向ける。彼は二人の仲間が取り込まれているにも関わらず、扉の前に立っていた。


(あとはあいつだけ‥‥‥うッ!)


 身体を立ち上がらせようとしたが、両足が切り裂かれているためにそれはできない。何とか向こうから近づいてくれないだろうか。あの男が何か攻撃行動を起こしてくれれば、後はこの黒いのが勝手にやってくれる。


 しかし、扉の前に立つ男は両手を前に出す。正確には自分が今立っている地面に向けて。すると驚くことに自分の足元、地面がせりあがった。巻き起こった大地は少年の体を飲み込み、固定する。だが右腕は無事だ、まだ何の拘束もされていない。

 どうにかしてこれを奴に差し向けることは出来ないか、少年はその方法を模索した。


 しかし扉の前に立つ男はその思考を読んだのか、同じ動作を繰り返し、異形と化した右腕も固定する。人間の身体と異形の接合部が露わになった状態で身体と異形の右腕が固定された。

 男はクツクツと笑い、自分の存在について考察する。


「‥‥‥秘宝奪取の任を受け、来てみれば。まさかこんな物に、巡り合うとは」


 男は少年を見て、その口角を吊り上げる。その表情は確かに歓喜により歪んでいた。


「永遠の命などに興味はなかった。私が欲しいのは圧倒的な戦闘能力であり、敵を葬る魔術式とその理論だ。だが……」


 彼は東国の芸術都市、優秀な魔術師であった。実力だけならば芸術都市随一であったが、実績がなかった。そのためにこの任務に参加した。

 秘宝を守護する魔女、秘宝を求めた数々の猛者たちを屠って来た彼女からそれを奪取しろというものだ。

 彼はその言葉通り秘宝に興味はない。

 いくら永遠の命、死なずの体になったからといえども、敵を殲滅できなければ意味がなく。人々を支配できないと考えていたからだ。

 いつの時代も頂きに立つ者は他の追随を許さない力を有していた。なので自身もそれを手に入れるためにこの任務に参加したのだ。


(秘宝なぞくれてやる。私は任務達成の報酬とここからかすめ取った技術を用いて、更なる極みに達する)


「だが貴様のような稀有けうな存在を見つけることができた。人間でありながら人ならざるものを内に秘めるその力。見るに…貴様はまだその力を自由に行使できないようだな。そこまでの傷を負っても能力を発動しなかったのがその証拠、魔女が配下を統べているなどの情報も知らされなかった」


 男は手を頭上に掲げ、こちらに振り下ろした。すると空気が圧縮され、刃と化し、こちらに迫る。その着弾点は異形と人間部分の境目。

 魔術を放った人間の表情、それは人に向けるかではなかった。

 冷酷、残忍、感情のない無機質な双眸。

 あくまで作業とでも言うかのように、その行いに罪や罰の意識が欠片も感じられなかった。

 そこで少年も理解したのだ。それがただの解体であることを。


 少年の直感と同期したのか、異形の部位はまるで意思を持っているかのように肉体部分の腕を守る。しかし、異形の肉厚は覆われたばかりで薄いのか砕ける。

 黒いガラスの破片が零れる中で流血が共に地に滴り、防ぎきれなかった攻撃が少年の肉を削ぐ。

 痛みに声を上げた少年の様子を観察する魔術師は異形と少年が離れなかったことを興味深く思う。


「……存外に頑丈だな。だが耐久力があるのは良い。取り込みがいがあるというものだ」


 男は追撃とばかりに炎、水、土の斬撃を放つ。それは敵を倒すためではなく、まるで性能を調べているような。


「……属性に関与しないのか?それとも即時に再生しているか……だが耐久力と再生力、それらだけでも価値はあるか」


 傍から見れば彼らの状況は変わっていないように見えるが、異形の中身、少年の腕は違う。

 腕は確かに異形に守られているが、その下の人間部分の肉は千切れかけていた。

 実験者に気付かれていないのは、異形が傷口を隠しているおかげだ。

 しかし次はない。このままでは次の一撃で異形と自分が離れてしまう。

 そうなってしまえば、自身の武器、神から授けられた忌々いまいましき異能は無くなってしまう。

 この場に彼は止める者は誰もいない。男は今にもその手を振り下ろそうとしている。


「それはもう私のものだ!」


 その手に荒ぶる風が発生する。他の攻撃とは比べ物にならない風がそこに起こる。その手は自身の頭部に向けられ、放たれる直前‥‥‥。


「いいえ、あなたになんかあげない…」


 男は突然背後に出現した気配に驚愕する。

 なぜなら、ここに彼女が何事もなく現れることはあり得るはずがないからだ。


(バカな⁉どうやって抜け出した⁉)


 彼は初めに悲鳴が聞こえた時点で、行動抑制こうどうよくせい、魔力枯渇、魔術妨害の結界、これら三つを破った後に魔力反応と彼女の行動に反応する結界を重複して掛けた。

 さすがの魔女もこれを解くのには時間がかかり、たとえすぐに解除できたとしても探知魔術が彼女の行動を教えてくれる。

 これらの結界魔術を即座にすべて破るような規格外とは戦っても勝ち目はない。

 探知魔術が発動次第、行動指針を逃走にシフトするつもりだったが、そんな猶予はこの男に与えられなかった。

 振り返り手に秘められた魔術の放出を試みる。だがこの行動は無駄に終わった。魔術はその原理を砕かれ、霧散する。


(魔術の無効化だと⁉ありえない!形成前ならまだしも、私の魔術はその式を完遂していた!)


 魔女が左腕を振り上げる。その引き絞られた手には先程に男が掌握していた風が蠢動しゅんどうしていた。

 その光景を見て魔術師は理解する。自らの手に形成した魔術と結界魔術が破られたのではなく…。


「ははっ!なるほど、魔術への干渉ではなく強奪か!」


 魔女の左手が男の胸の中心に打ち込まれた。風は男の体内で暴れだし、内部を切り刻む。

 男は体を痙攣させ、さび付いた人形のように不規則に体を動かした。

 そして風が収まり、魔術師はその身体を地に落下させる。

 術者である男が命を落としたためか、少年を縛る岩は崩れる。支えを失った少年は重力に従い、そのまま落下する。

 落ちた衝撃に声を上げられなかった。そんな余力はもう少年にはもう残っていなかったのだ。

 声を掛けられた気がしたが、少年はすでに限界だ。敵対するものが消失したことによって警戒が安心に移ったのも、その理由だろう。


 異形の者は静かにその意識を手放した。



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