あなたに会いたかった


 少年は焦っていた。目の前の家に今、三人組の賊が入っていったからだ。

 おそらくこのままでは自身を助けてくれたあの人は死んでしまうだろう。


(それはダメだ!それだけは・・・、でもどうすれば・・・・)


 自分が行ったところで無駄死にするだけだろう。最悪は暴走して全てを壊すかもしれない。だけど、なにもしなければあの彼女が死ぬ。僕をこの世界で初めて助けてくれた恩人が死んでしまう。


 とりあえず、家に移動し、側面に張り付く。中から‥‥。


「誰もいないな~、それよりも俺こんなきれいな女見たの初めてだぁ」


 抵抗の声が、抵抗の音が聞こえない。おそらく彼女は自分が最後に見た光景のまま、意識を失っているのだろう。


「‥‥魔女とは聞いていたが、こんなだったとはねぇ~、俺頂いちゃっても良いです?」


(⁉)


 最後に男が放った単語に反応する。頂くということはつまりそういうことだろう。


「お前…魔女に欲情するのか?」


「当たり前だろ♪こんな美人、食わねぇ方がもったいねぇ」


(いけない!このままだと取り返しのつかないことに!)


「やめろ!本当に魔女だったらどうする!殺されるぞ!」


(そうだ!その男の言うことを聞け!)


 少年はその意見に賛成するが、魔女を襲っているだろうもう一人の男はそんなことに意を介さない。


「魔術には発動までに時間がかかるんだろ?だったら起きても首元にこれを当てて魔術を使うなって脅せば良いんっすよ♪それか殺すか」


 全く聞く耳を持っていなかったのだ。


(……どうしよう)


 壁の向こうで無抵抗の恩人が襲われている。


「はあ、はあ‥‥こりゃあすげぇな」


 その恩人が壊されるのは、もうすぐだ。

 だがここで何もせず、恩を仇で返すことは出来ない。

 あの人が助けてくれたのだから僕も助けなければ。


(‥‥‥あの時、あの一瞬に、僕に初めて幸福を与えてくれた彼女に報いるだけの行動をしなければ)


 あの名前のわからない暖かさに、彼女の笑顔を見た時の胸がいっぱいになる感情に、報いるだけの行動を。


 そして少年は行動を起こした。開けたままの扉に入り、賊たちを視認する。幸運なことにこちらに気づいてはいない。目の前の魔女に夢中なようだ。

 しかし、その魔女の姿を見て、冷静さを失う。魔女はその衣服を脱がされ、裸に近い恰好をしていた。


 周囲に目線を向ける。数刻前、魔女が調理を行っていた場所に目を向ける。そこには先程の鍋と調理に使っていただろうナイフが。少年は迷わずそれを掴み、声を挙げる。


「う、動くな!」


 少年はナイフを突き出す。男たちの視線がそこに集まる。その視線に身体が強張るが、恐れている場合ではない。


「そ、その人から離れろ!」


 ナイフを持つ手は震え、声は上ずっていた。

 すると、魔女に跨っていた男が起き上がる。彼女に危害を加えそうなヤツが向こうから移動してくれたので、喜んだが、それもつかの間…。


「あ~、パイセン。こいつ俺が殺して良いっすか?」


 明確な殺意と視線をこちらに向ける。言葉の端々からは明らかな怒りが感じ取れた。

 その行動に手だけではなく、身体中が震え上がる。両足は自分でも笑ってしまうくらいにカタカタと震え、顎も開閉し、口を閉じることができない。

 すると、問いかけられた男は静止に入る。


「待て!ヤツを調べろ!魔力反応はあるか?」


 ローブを被ったもう一人の男はこちらを一瞥し、手をかざす。その手を降ろし、首を左右に振る。


「彼からは魔力の反応はみられない。一般人だ」


 それを聞くと仲間を制止した男は、少年を殺すと言った男に命令をした。


「そいつの処理はお前に任せる。適当にバラして土にでも埋めておけ。ないとは思うが、鉱山都市の衛士に見つかると面倒だ」


「うっす!おい、坊主!お楽しみの落とし前はきっちりつけてもらうからな」


 命令を下された男は腰にあるナイフを取り出しこちらに歩き出す。


「う、ああああああああ!」


 戦い方も、刃物の使い方もわからない。ましてや生前は喧嘩すらしたことが無い。だけど、殺されるという恐怖に身体が反応し、動き出した。

 それは攻撃と言えるものではとてもなかった。ただ両手で握ったナイフを前に突き出し、突進するだけ。

 ナイフが目の前の男に捕まる瞬間、男は自分のナイフを持った両手を片手でつかみ上げる。そして、露わになったみぞおちに向けて拳を放つ。


「う、ガハッ、ゴホッ」


 片手でつるし上げられた少年は咳き込む。呼吸がうまくできない。

 この持ち上げられている態勢は苦しい。早く床に降ろしてほしい。

 だが、そんなことを言う余裕もなく、相手は聞く耳も持たないだろう。

 すると先ほど、命令を下した男が発言する。


「ナイフを使うなら外で使え、家の中に血痕は残したくない」


「‥‥うっす」


 命令された男は無愛想に答え、少年をつるし上げながら連れ出す。


「我らは秘宝の獲得にあたる。そのために主も貴様をあてがったのだ。師より聞いているのだろう?さあ、入り口を開け」


「了解した。だが、解明には少し時間がかかる」


 そうして室内に残った二人は調査を始めた。

 少年は無造作に運ばれ、地面に叩きつけられる。


「ぐふっ、うあ」


 先程食らったみぞおちの攻撃から回復できず、次なる腹部への追撃を食らい、仰向けになる。そして更に、目前の敵はその鋭利な踵を振り上げ、落下させる。


(やめて、もう無理…)


 そんな懇願は届かず、容赦のない一撃がまたもみぞおちに振り下ろされる。


「かひゅっ!」


 腹の中で何かが砕けたのを感じた。肋骨ろっこつをやったのだろう。

 そして少年を痛めつける男は、もう止めとばかりに少年を前方に蹴り上げた。

 宙に浮き、砂埃を巻き上げながら平行落下した。


「ひゅう、ひゅ」


 呼吸はもうまともに出来ない。するとそんな自分を見て楽しんでいるのか男は先ほど少年が持っていたナイフを目前に置き、呟く。


「おら、どした?もっと根性見せてみろ。言っとくけどまだこんなもんじゃねぇぞ。俺は優しいからな、お前にチャンスを与えてやる。ほら、取れよ」


 男は少年の髪を掴み上げ、ナイフを取るように促す。震える手でナイフを掴む。その反応に歓喜を憶えたのか男は自分を降ろす。

 そして立ち上がり、数歩離れたところから声を掛ける。


「よし!良いぞ!今から、正々堂々勝負してやる。立てよ!切り殺してやる!」


「あ‥‥‥」


 少年の体は立ち上がることを拒んでいた。恐怖により先ほどの意思はもう砕け散っていた

 ここで立ち上がれば殺される。身体の痛みが、細胞が、本能が立ち上がることを拒否する。お前には無理だと、諦めろと説得しているように。


(怖い!怖い!立ちたくない!逃げたい!)


 心ももう折れていたのだ。ナイフを握ったのは戦う意思があったからではない。喩え微々たるものであろうと、対抗手段がないことに忌避したからだ。戦おうなんて思うはずがない。

 いつまで待っても立ち上がらない少年に嫌気がさしたのか、男は振り返り吐き捨てる。


「雑魚が!根性もねぇんなら邪魔すんなよ!白けたわ!動かずにそこで震えてろ!」


 男はきびすを返し、室内に戻ろうとする。少年は自分から視線が逸れたことによって安心する。


(やっぱり僕なんかには無理だったんだ…このまま)


「俺はこれからあの女とお楽しみだからよ!今度邪魔したら本当に殺すからな」


 その一言で意思が呼び起こされる。あの恩人に危害を加える。少年は目の前の男に感謝する。彼は恐怖で忘れようとした行動原理を呼び戻してくれた。


「ま…まへ…」


「あ?」


 男は振り返る。獲物を狩る二つの双眸そうぼうは立ち上がった対象を捕える。


「おまへは‥‥ぼ…ぼふが…あひへだ」


 恐怖と苦痛でろくにしゃべることができない。だがそれだけで目前の男の熱を稼働させるには十分だった。


「ハハ、良いねぇ!良いねぇ!そうこなくっちゃ!女のためにヒーロー気取れ!ご褒美にバラバラにしてやるよ!」


 男は少年に向かって走り出す。その動きはあまりにも早く目だけで捕らえることがやっとだ。反応なんてできない。

 少年の視界を右に左へ移動した男はたちまち何処かへ消えた。


(どこ行った⁉)


 周囲に視線を向ける前に左足に生じた違和感に気づいた。

 身体の細胞が、それを視認する前に正確にその熱と痛みを脳へと伝える。


 左足から血が噴き出す。切り口から熱が零れる。


「オラオラ!次は右だ!」


 一瞬また視界に男が映ったと思ったら、また消えた。そして、右足から血が噴き出す。


「あああああ、っぐあああああああ」


 両足に生じた痛みに悲鳴を上げる。あまりの痛みに先ほどの決意がもう砕けかけている。


「危ないぞ~、次は正面だ!」


 その言葉通り男は目の前に現れる。破れかぶれに手に持ったナイフを男に向けて振り出す。

 ナイフは男に当たったように思えたが、空ぶったようだ。感触がまるでない。

 すると今度は背中に激痛が生じた。


「————————————」


 もう声にならない。ただの空気を吐き出しているだけ。


 どうやら男はナイフを振った瞬間、頭上に跳躍し着地する直前、空中で自分の背を切りつけたようだ。


「う、うう、ふぐっ、ううう」


 奇怪な笑い声をあげながら今度は膝の裏側を切りつけられた。立つことを維持できず、その場に背中から倒れる。背中に衝撃が走ったため苦痛に声を上げる。

 切り裂かれた少年が立ち上がることができなくなったことを察し、男は少年に近づく。その足は少年がナイフを持つ手を踏みつけ、抵抗を許さない。


「ふー、まあこんなもんだろ。後は‥‥」


 男は自身が踏みつけた先、少年の腕、関節部分に刃を振るう。


「ああっ!」


 神経が切られたのか手からナイフが零れ落ちる。その様子を見た男の表情に呆れが浮かぶ。


「おいおい、こんなので声を上げるのか?今から肉を一つ一つ、筋線維の一本一本を切断いていくのに‥‥。まあいっか♪最初に叫ぶのも最後に叫ぶのも変わんねぇもんなぁ!」


 男は足元にいる人間を殺してしまわないように、だけど苦痛だけは与えるように、斬撃をその身体に打ち込む。するとこの後のことを思い出したのか、男は身を捩る。


「この後が楽しみだぁ~。あの女!あの女だ!あの女を貪れば一体どれだけの…」


 想像する。妄想する。男は恍惚な表情を浮かべ、この後に待ち受ける甘美に、快楽に、欲望の解放に身体が歓喜する。


(このままじゃあ‥‥)


 あの人が危険だ。喩えあの一時だけなのだとしても、自信に幸福を与えてくれた相手がこんな男に犯されるなんて、胸糞が悪いにも程がある。


「その後は…ああそうだ!その後も楽しみだぁ!」


 次に帰って来た男の答えに少年の精神が凍結する。


「あいつを殺した瞬間の快楽が楽しみだぁ!」


 この男は狂人であった。今まで幾度も女を犯し、殺してきた。女を犯し、自身の絶頂と同時に相手の喉を掻き切る。殺害欲と性欲を同時に満たす、その普通では得難い状況にこの男は囚われていた。

 少年は初め、その言葉を理解することが出来ず、惚けていた。そして整理がつき、ようやく男の言葉を飲み込むことが出来た。


(あの人を殺す?…‥僕の恩人を‥‥僕の‥‥)


 これから起こる光景を想像する。


(そんなのは‥‥)


 自身にこの世界で初めて安寧あんねいを与えたあの聖域が、夜のような見た目をしたあの太陽が、血に濡れ、地に伏したその姿を。


(いや…だ!‥い…やだ!)


 身体が拒絶反応を示す。これから自身が見るだろう光景を拒否する。


(嫌だ!嫌だ嫌だ!)


 その結末は受け入れられない。その最期は見たくない。


(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ!)


 それを想像しただけで頭がおかしくなりそうだった。

 無惨にも蹂躙じゅうりんされた後に、それに正気を保てない。


「ヒャハハハハハハハハハハハハ!……は?」


 突然、自身の真下のゴミが動き出し、疑問の声を上げる。この先の出来事を熱望していたため忘れていた男は少年にナイフをかざす。


「そうだ。まずはお前だ!メインの前に前菜は必要だよなぁ!・・・・あ?」


 男は違和感に気づいた。自身が押さえつけていた左足、それが動かないことに。引き上げようと、横にスライドさせようと、ビクともしない。

 その理由は分かるが、理解はできなかった。

 男は目の前に広がる景色が幻で夢ではないかと疑う。

 傷を負っていたはずの少年から、優位に立っていたはずの男に向けて、少年の傷口から突如湧いて出てきた黒いうみが足に張り付く。


「うええぇぇぇ!気持ちわりぃ!」


 あまりの気持ち悪さに距離を取ろうとするが、膿はそれを許さない。離さないとばかりに男を引き寄せる。


「このッ!…」


 切断しようと手に持ったナイフを切りつける。

 

 ガシッ!


 なんとナイフを持った腕すら動かなくなった。目の前に少年の右腕から発生している黒い膿から黒い触手が現れ、男の行動を抹消したのだ。


「ガッ!…は…なせ‥よぉ!」


 抵抗するが黒い触手が包む手首への圧迫感は増すばかり。そして…。


 ボギャキッ!


 男の手首は通常ではありえない方向に折れ曲がる。まともな信号命令を手首より先が受け取ることができなくなったのかナイフが零れ落ちる。


「ヒャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 奇怪な絶叫があたりに響く。


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