彼方へ轟け我が誇り


少し時は遡り——————


 その獣は生まれながらに勝者であった。


 三つの頭を持ち、多くの物を屠って来た。


 目を覚ますと辺りは自分の知らない景色、知らない臭い、知らない大地。故郷でない事など一目で理解できた。


 だがこの獣の行動は早かった。三首の獣は新たな巣を求めたのだ。


 森林を視界にとらえる。暗い場所はこの獣の趣味であったのか、それとも郷愁きょうしゅうの念を彷彿ほうふつとさせたのか。


 獣は森林の奥地に進む。するとあるくぼみを見つけた。慣れない土地の疲れから休憩を試み、体を丸め眠る。

 辺りを支配するは静寂せいじゃく。静かであることも獣の居心地をよくさせた。


 三首の獣は安眠をむさぼっていたその時…。


「グルルルルルッ!」


 細胞が突如発生させた警告信号から四肢を駆動させる。

 獣は直ちにその場から立ち退き、音から距離を取る。


 そこには自身と同じほどの巨躯を誇る獣が一匹。

 獣の後ろにはそれと同じ形をした手下たち。


 そうか、こいつが頭か…。


 そう理解した三首の獣は警戒強度を引き上げ、敵対者の行動に注視する。


「……ッ!?」


 次の瞬間、三首の獣に驚愕が襲う。なんと目の前の獣から、そいつよりかは小さくあるが同じ形をした獣が分離した。


 三首の獣は知らない。目の前にいる獣こそが人類を脅かす存在、獣たちの王、東西南北に巣くう四大聖獣が一角、獣王であることを。


 だがそんなことは三首の獣には知ったことではないうえ、知ったところでやることはあまり変わらない。襲い来るというのなら迎え撃つのみ。そしてこの住処すみかを勝ち取るのみ。


 先手を打つは三首の獣。獣王を狙ったのは数を増やされるのは厄介だと考えたからだ。


 三首の一つが目前の敵に襲い掛かり、その牙が獣王に接近する。


 三首の獣は己が勝利を確信する。今まで幾度もこの一噛ひとかみで獲物をほふって来た。

 たとえ避けられたとしても残りの二つの頭が獲物を追い詰め、屠り殺す。


 だがさすがは獣王というべきか。初めの一噛みなど、いとも容易たやすく避けおおせた。

 だが三首にとっては想定の内だ。残りの二首の四つの目で獲物を探す。


 しかしその目には獲物を視認できない。三首の獣は各々の頭を巡らせる。

 自分に死角など存在しない。そう豪語ごうごしていたが、その六つの目には獲物を確認できない。


 逃げたかと考えた瞬間、頭部の一つの後頭部に衝撃が走る。その頭部は痛みにうめきを上げ、衝撃の方に視線を向けるがそこには何もいない。


 手下どもが何かしたのかと考え、そちらに目を向けるが行動を起こした痕跡こんせきはない。

 何が起きているのか理解できず、また理解を起こす前にまたも後頭部に衝撃が走る。


 三首の獣はその衝撃の正体を頭部の一つの目の端が視認した。

 視野の片隅かたすみで瞬時に移動した影。


 この時、三首の獣は獣王が消えてなどいないことを理解する。

 ヤツはいなくなってなどいない。

 ただ自分の死角にその四肢を滑り込ませているだけであるということを。


 これこそが獣王を獣王足らしめんとする異能、数々の戦闘経験から獲得した究極の第六感。獣王は今この時、相手がどこを見ていて、どこを見ていないのか理解している。


 肌に突き刺さろうとする視線の数々、獣王の皮膚感覚はそれを敏感に察知し、視線を回避していた。


 獣王の勝利への核心かくしんは揺るぎない。三首の獣の確かに視線が多く、死角も少ない。だがそれだけだ。


 獣王にとっては相手が増えただけのこと。多対一などすでに経験済みだ。死角の範囲が狭いだけで、そこに体を滑らせることなど造作ぞうさもない。


 崖から崖への跳躍ちょうやく、地面すれすれの滑空かっくう、視認を拒む疾走しっそう

 これらを駆使し、獣王は対象を殲滅する。


 三首の獣は獣王の原理を理解、学習し、行動に移す。

 ヤツが死角に入るというのなら死角をなくしてしまえば良い。


 獣は三つの頭を背中合わせに配置し、それぞれの頭の死角を補う。そして崖に着地する獣王を視認した。見えてしまえばこっちのものだ。

 しかし、こちらからは攻撃できない。するとしても頭部の一つで行うしかない。攻撃行動に入っている頭部以外がそれを行えば、たちまち獣王が死角に再度潜り込まれると考えたからだ。なので守りの体制に入り、攻撃を待つ。相手が攻撃を行えば、自慢の三首でカウンターを行う。


 自身の行動を決定し、構えている三首の獣に更なる驚愕が襲う。

 三首の頭の一つに鈍痛が響く。

 確かに三首の獣は視線を巡らせ、確かに死角など存在するはずがなかった。しかし事実として二つの頭の間、その先に衝撃が走る。よろめきながらも即座に死角を無くす態勢に戻ると、空間に突如獣王が姿を現した。


 獣王は相手に死角がなくなったこと、正確には自身の肉体を隠せる死角がなくなったことを理解した。獣王の皮膚感覚が過敏かびんに刺激され、獣王自身にそれを理解させる。

 そして、どうすれば相手の視線から外れるかも。


 獣王はそれを行える射線位置に着くと後ろ足に力を込める。

 今度は走るのではなく飛ぶように。


 三首の獣の三つのうち二つの頭部の視線のあいま、その境目さかいめ。そこには虫一匹しか入れないような隙間ミリの死角しかなかった。しかし、獣王の跳躍力がそれを可能とする。

 獣王の跳躍はその身体を音速の域に到達させ、高速の粒子へと変換させる。そして獣王は三首の獣の死角の隙間に、点と化した自身を跳躍させた。


 粒子は弾丸と化し、標的に命中する。対象は自身に何が起こったのか理解できず狼狽うろたえる。獣王はそのすきを逃さない。間髪かんぱつ入れず同じ手段で攻撃を行う。


 苦痛に耐えかねた三首の獣はたまらず攻撃を行う。しかしそれは当て勘に頼った命中性の低い攻撃だ。

 そんなものが獣王に当たるはずもなく空を切る。


 三首の獣はすぐさま防御態勢に入る。先ほどの手段で死角をなくし、獣王を探すがどこにもいない。

 先程まではこの手段で黒い影をギリギリ捕えることができたが、今度はその痕跡すら見えない。


 三首の獣は相手が未知の攻撃手段を隠し持っているのかと萎縮いしゅくし、慌てて三つの頭を総動員して対象を捜索そうさくする。しかし捕えることはできない。


 発見することが出来なくて当然だ。獣王はすでに地上にはいない、いるのは上空。獣王はそこで自身の牙をきらめかせている。


 気づいた時にはすでに遅く。獣王の牙は三首の獣の頭部のひとつの首筋をあぎとで掴み。地面に叩きつけた。


 直後、残り二つの頭が痙攣けいれんを起こす。分かれていても痛覚は共有されているようだ。

 気を失う程の衝撃を受けた三首の獣はそれにより四肢をその場に倒れさせた。



                  ◇ ◇ ◇



「フシュッ!」


 体内の空気を入れ替え、獣王は敗者を見下ろす。

 自分達の縄張りに座していた侵入者を排除した。


 こいつはなんだ?今までとは明らかに違う。見たこともない生き物だ。


 対象の容姿に困惑する獣王。

 だが問題はなかった。

 多少は要領を掴むのに苦労したが、わかればこの通り、いつもと変わらない。


「フシュルルッ…フシュルルッ!」


 呼吸が荒い。こいつの死角はなくその範囲は狭かった。

 そのため体の全機能を起動せざるを得なかった。

 本来であるならば一瞬で片が付いている。絶頂期であればまだしも、今は低迷期だ。獣王は力の半分も出せていない。

 自分が弱っているところに付け入ろうとする人間どもを警戒するための体力を多く消費してしまった。

 この森を、自分の縄張りを、自分の分身である子供達を守らなければ。


 そうしなければならないが今は疲労困憊ひろうこんぱいだ。無理をし過ぎた。

 今はこいつで腹を満たし、養分を蓄え、回復に勤しもう。幸運なことに今回の相手は大物だった。これなら自分だけではなく子らの腹も満たせるだろう。


 そう考え、身動き一つしない獲物に近づく。

 獣王の強者としての油断か、低迷期により万全の状態でなかったためか。

 この行動は狼王にとって間違いであったこと、後になって気づく。


 足元のそいつを食べやすいように食いちぎろうとしたその時。対象の二つの頭は突如動き出し、獣王の前足を食いちぎった。



                  ◇ ◇ ◇



 油断した!油断した!油断した!


 三首の獣は歓喜している。この獲物が強者であったことに感謝すらしている。なぜならこの油断は強者の持つ余裕から来たものだからだ。


 三首の獣は今まで多くの者たちと戦ってきた。相手は自身の体躯よりも小さな弱者ばかり。しかし、その弱者の中で唯一自分を傷つけたものがいた。


 三首の獣がここにくる以前の話だ。弱者は自身に挑み、敗れた。体の下半分を食い千切られ息絶えようとしていた。

 残った上半身を食べてしまおうと、その肉塊を口内に運んだ次の瞬間、驚くことに口内で痛みが走った。急いで吐き出し、確認すると捕食対象の手には自身の牙にも満たない小さな短剣が握られていた。

 その光景を見た三首の獣は、あり得たかもしれない誇張した未来に僅かながら怖気を感じていた。


 この経験から三首の獣は対象が完全に沈黙するまでは攻撃を止めず、食さないことを誓い、また自身も強者とぶつかった時、同じ手段を用いることを学習した。

 その罠に嵌ったのが、今二つの頭により掲げられている獣王だ。


 獣王は身をよじり、逃れようとするが三首の獣の咬筋力こうきんりょくがそれを許さない。そしてその牙は獣王の肉の隙間をかぎ分け体内に侵入する。


 獣王から悲痛の声が出る。獣王の配下が三首の獣の足元で己が主のために善戦するが、三首の獣はそれを歯牙しがにもかけない。注目するのは今自分が持ち上げている対象だけだ。


 牙はさらに獣王に食い込む。地面に滴る血は湖と化し、辺りを血の海にする。

 血交じりの悲鳴を上げる獣王の目に、自身の子らの姿が映る。

 獣王は今の自分を恥じた。


 三首の獣に敗北しているからではない。自身が痛みに声を上げていることにだ。

 今自分が示すべきことは痛みに声を上げることではない。


 獣王としての誇りを、子らに示すことだ。


 喩えこの牙が、この爪が陰ろうと。喩えこの四肢が砕け散ろうと。この誇りだけは失墜しっついさせるわけにはいかない。この誇りを我が子らに伝えなければならない。


 なぜならわたしは獣の王だ。


 獣王は頭部を天に掲げ、最後の力を振り絞る。

 あの空を衝くが如く。遠く、彼方の大地に己が存在をとどろかせる。

 響き渡るは獣王の最後の咆哮ほうこう。森の支配者である証左しょうさ

 獣王の子らはその姿に見入るばかりだ。


 すると子の一人が獣王に呼応こおうするように咆哮する。この誇りを消さないために、この誇りを受け継ぐために。


 今この時を持って、災害四大魔獣の一角、獣王は確かに地に堕ちた。


 三首の獣は確かに勝利したのだろう。

 だがその誇りまではけがされない。獣王は最後の時まで咆哮を止めることはなかった。



                  ◇ ◇ ◇



 三首の獣は口の中に広がる美味の味に酔いしれる。強き獣が自身の血肉と化している。それだけで力が体の奥底からみなぎる。加えて、それが勝利の末に獲得したものであるならば格別だ。


 足元を見下ろす、そこには獣王の子らがいる。こいつらも腹に入れるのは悪くはないが、有効活用しよう。


 しかし獣に意思の疎通などできるはずもなく、その数日間の間、獣王の子らのうちの数匹が抵抗したが、三首の獣に敵うはずもなくその畏敬いけいに屈する獣も少なくはなかった。


 子らにとって、もちろんそれは簡単な屈服くっぷくではなかった。獣王が示した誇り、それが最後のどころとなり、彼らの反逆心を奮起ふんきさせた。


 だが三首の獣が日々行う暴力に、本能的恐怖に彼らの精神は疲弊ひろうしていった。


 他の子らを服従させるために見せしめに食われた。逃げようとしたヤツも食われた。何匹かは森の奥地に逃れていたが、まあそのうち野垂れ死ぬだろう。

 そして残ったのは誇りを失ってしまった獣王の子たち。


 獣王の子らが三首の獣の食料と化していたそんなある日、子の一匹が三首の獣に供物を捧げた。


 その獣はまるで褒美だというように何も危害を加えられることはなかった。

 その様子を見た他の子は己が生きる道を完全に理解した。

 そうして子が三首の獣に食料を捧げる構図が出来上がった。


 そして、月日は流れ、今日も獣王の子の餌食となった人間が一人……



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