現実味のない人殺し

鉱山こうざん都市、大森林、中間地点—————


 城壁に囲まれた街、鉱山都市を容易く視界に収めることが出来るほどの、広々とした平原。

 その穏やかな大地をめくりあげるほどの力のぶつかり合いが、そこでは起きていた。


 片や異世界からの来訪者、まだ幼さも残り無知で愚かな少年。

 片や守護を使命とする鉱山都市の屈強なる衛士えいし


 衛士は、黒く邪悪な巨躯と化した少年を押しとどめる。

 少年が数刻前まで望んでいた人を殺したくないという願いを、衛士は確かに叶えていた。しかし、それも時間の問題のようだ。

 確かに大盾をかかげた衛士は最初こそヘドロと化した少年と拮抗していたが、その身体は徐々に押し込まれている。


 少年は衛士の顔を確認する。歯を噛み砕かんばかりに剝き出しにし、額に血管を浮かべ脂汗も浮かんでいた。

 客観的に見ても相当な無理をしていることは明らかだ。


(僕もこいつを何とかしないと…)


 そう考えたが、まだこの能力の仔細しさいを知らない少年に、その手段はわからない。

 あれやこれやと行動を起こそうにも、肉体は拘束されているように動かないのだ。


 そこで自身の黒き肉体は行動を起こした。

 この異形もただ突進するだけの間抜けではなかった。異形の体表が流動りゅうどうする。少年はそれに焦りを憶えた。なんと異形は、体色と同じ触手しょくしゅを複数は生やしたのだ。

 触手は少年を食い止める衛士を値踏みするしているようだった。

 それには衛士も気づいているようだ。彼の視線は触手を捕え、その目には微かに恐怖の色が見えた。


(逃げて!)


 異形の肉体に呑まれた少年の声は、もちろん衛士には届かない。まるで存在を世界から消去されたように。逆にそんな人間の言葉がどうすれば届きようものか。

 少年の必死の抵抗を嘲笑あざわらうかのように、触手は動き出した。

 衛士は回避行動をとろうとしない。なぜなら彼はこの触手を回避すれば、勢いをつけた異形を止めることが出来なくなると理解したのだろう。

 そうなれば都市へと一直線だ。


(そんな‥‥‥‥え?)


 少年にまたも諦念ていねんが駆け巡る。やはり無茶だったんだと顔を降ろした時、大盾の衛士の後方から更なる人物が現れた。

 その助っ人は大盾を掲げた衛士に迫る触手を、鈍色にびいろに輝く剣で切り落として見せた。大盾の衛士は、仲間の到着に笑みを浮かべる。


 少年が安堵したのもつかの間、肥大化する異形は彼らに襲い掛かる。

 肉体となるうみから新たなる触手を出現させたかと思えば、再度大盾の衛士にそれを伸ばす。


 だが仲間への攻撃を、剣を持った衛士が許すはずもなく、その脅威は先ほどと同じように阻まれる。

 その対応に迅速さもあったのだろうが、彼らの行動は少年に安心感を与える。

 なぜなら彼らは目前に脅威が襲い掛かっているにも関わらず、会話すらしてみせているのだ。

 その余裕の持ち様に、少年の希望は現実感が増す。


 だが、その希望に新たに疑問が湧く。


(もしこのまま、この人達が僕を倒したら…‥)


 彼らがこの異形を見事にしずめ、自身の能力がその力を失えば、そこから現われるのはただの人間である自分だ。

 そうなれば自分はなすすべもなく捕らえられ、一生をおりの中で過ごすだろう。

 いや、もしかすればその場で即刻殺される可能性もある。むしろそちらの方が可能性は高いのではないのか…。


 起こりえるかもしれない未来に、少年は、自身の能力を操れるのかは一先ず置いておいて、成すべきことを考える。


 その直後、異形と衛士達の交戦に変化があった。

 異形は何度も剣を持った衛士に攻撃を防がれるため、攻撃対象を彼に変えたのだ。

 五つの触手が剣を持った衛士に迫る。

 瞬きの間に放たれた触手群、初めのうちは剣を持った衛士も対応できていたが、それも次第に付いていけなくなっていた。

 その結果、四つ目の触手を切り落とすのではなくいなした彼の胸に五つ目の触手が近づく。

 だがさすがはこの世界の防人と言うべきか、剣の衛士は自身の胸に迫った触手を、身をよじり回避したのだ。

 そして現在、彼の右側方には二本の触手がある。衛士はそれを切り落とすべく掲げた剣を振り下ろす。


 だがここで異常が起きた。


 少年がその冷静な対処から、自身の暴走は確実に彼らに抑えられると確信し、どうすれば彼らから姿を隠しながら逃走できるのか考えていたその時、剣の衛士に切り落とされるはずだった触手から、新たな触手が出現したのだ。


 これにはさすがの剣の衛士も対応できず、その身体は後方に吹き飛ばされる。


(僕はなんてことを考えているんだ‥‥‥)


 目の前でこの世界の人間に危害を加えたという事実が少年を自責に追いやる。

 少年は、都合の悪い未来を避けるために彼らを犠牲にしても構わないなどという愚かな考えを、一時といえども巡らせたことを恥じていた。

 やはりこの怪物は止めるべきだと再認識した少年は、再度この能力の停止を試みる。


 だが、そんなこと異形はお構いなしだと言うように、目前で進行を阻む障害の排除を実行する。


(やめろ!)


 大盾の衛士に左右から三つの触手が突撃する。

 大盾の衛士は、その攻撃を視界に収めているが回避は取らない。異形が止められなくなってしまうことを理解しているからだ。

 そして異形の攻撃は、大盾の衛士に直撃した。

 少年はその時、自分に伝わった信号に寒気を感じた。


 異形はどういう原理なのかはわからないが、痛覚以外を少年に伝播でんぱさせる。

 つまり、少年は感じ取ったのだ。

 触手の先から伝わる、温かな湿り気のある感触に。


 そこからの大盾の衛士の対応は迅速であった。

 もう押し合いでは拮抗できないと考えた彼は、前から圧し掛かる異形の力を横に逸らし、都市へと進ませたのだ。

 その行動に、少年の彼らに対する侮蔑ぶべつはない。むしろ望んですらいた。

 ここで彼らを殺してしまうよりかは、都市に向かい増援部隊に異形を倒してもらう方がはるかにマシだと思ったからだ。


 そしてその後、異形の体内から出てきた自分が殺されることも…。

 しかしそんな現実は起こらなかった。なぜなら大盾の衛士は異形の対応を諦めていなかったからだ。

 異形に包まれた少年の視界が逆さまになる。

 異形を進ませた大盾の衛士は、自身の目前に露わになったその横っ腹に突撃し、異形を横転させたのだ。


 異形の肉体はとてつもなく巨大な重量を有するのだろう。その証拠として、大地が捲れあがっていたのだ。改めて盾の衛士の力量がうかがえる。


 尚も抵抗を続ける少年の視界は数秒後には正常に戻っていた。異形は体内にある少年の体の向きを変えたのだろう。その回転はまるで揺りかごのようだった。

 少年は気付いていない。異形が少年らに向きを直した時、異形の手足はその向きを変え、位置は体表を波立たせながら移動させた。

 手足を定位置に配置した異形は、超重量の肉体を持ち上げる。その視線の先には、傷を負った盾の衛士と剣の衛士がいた。


 剣の衛士は軽傷だ。おそらく体に接近した触手を直前で防いだのだろう。しかしその纏った鎧の胸部はへしゃげている。

 その鎧の変形に自らの放つ触手が見た目のわりにとんでもない威力を持っていることを理解する。

 一方で盾の衛士の負傷は甚大だ。肩、左脇腹、右太股から出血が見られる。


(もういい、もう戦わなくていい!逃げてくれ!)


 少年の懇願こんがんは届かない。二人の衛士は勇敢にも異形に立ち向かう。

 まるで彼らが物語の主人公達に見えたのは何たる皮肉か。

 異形の視点が変わる、その視線は都市に向いていた。


(…!今のうちだ!逃げてくれ!)


 少年は、自身の暴走した能力は都市に固執こしつしていると考えた。なのでせめて彼らの命は助かると踏んだのだ。

 だが実際には違う。異形はただ都市から放たれ自身の顔側面に刺さった矢に憤慨ふんがいしているだけなのだ。

 またも視界が動く。その視線の中には剣を持った衛士がいた。それも目の前にだ。

 異形は自身を切りつけた剣の衛士によって視線を戻した。


 向き直った異形を見ると一度距離をとった剣の衛士に、異形は無数の触手を放つ。

 もちろん剣の衛士も胸部の鎧の変形から、これは受けてはいけない攻撃だという事は分かっている。黙って受けるわけがない。

 剣の衛士の体は瞬時に左に移動し、異形の、少年の視界から消える。

 異形は剣の衛士を視界で追う。それに付随ふずいするように触手も射出された。

 しかし剣の衛士は駆け抜けながら、その攻撃を躱し、いなす。


 だがその対応ができたのは初めだけだ。時期に触手のうち数本が剣の衛士に迫った。加えてその姿の完全に視界に収められている。

 必死にこの能力を止めようと尽力した少年でもこれは確実に当てると予感したが、その予感は外れる。

 視界に先ほどの大盾を持った衛士が入り込み、その触手を自慢の盾で吸い込んだからだ。

 彼ら二人の衛士は二体一対となって、異形の周囲を駆け巡る。


 正面から戦っても分が悪いと考えたのだろう。彼らはその姿を捕えさせまいと動き続け、異形と少年の視界から逃れる。


(ッ!…止まれ!止まってくれ!)


 彼らを見た少年は己を鼓舞こぶする。


 そうだ。そうであった。

 少年は彼らを見て、敵うはずのない者に必死に抗い、立ち向かうその姿を見て、自身は何をすべきであるのかを痛感した。

 彼らのような英雄はいつもそうであった。立ち止まらず、諦めが悪く、泥臭くとも、今できる限りをもって歯を食いしばりながらも不可能に挑む。

 だから彼らはその末に勝利を掴むのだ。


 だから自分がそこに至りたいのなら、やるべきことなど初めから一つしかなかったのだ。


 少年と彼らは抗う、自分達の力量を優に超える存在に。その先へ行くために。


 衛士達は異形の周囲を踊り狂う。その姿は確かに少年の支えをなり、希望となっていた。


 そして新たな希望がそこに訪れる。

 なんと二人の衛士の後方から、複数に人間が都市より駆けつけていた。

 その数は十八名ほど、全員が完全武装だ。

 少年は増援の到着に胸を撫でおろし、安堵あんどする。

 可能性が消えたわけではない。だが少なくとも先ほどの状況よりかは場が好転した。

 これでうまく事が運べば……、



 少年はそれに気づいた。


 ‥‥‥熱い。


 自身の能力、それも内より現われたものなのだから当然と言えば当然だが。


 ‥‥‥怖い。


 原型からかけ離れているとはいえ、少年自身の肉体だ。


 ‥‥‥痛い。


 だから少年は異形が次に何をするかを、この場の誰よりも早く容易に理解できたのだ。


 少年は視界の下方から熱を感じていた。

 少年の脳裏に先ほどの触手の威力が浮かぶが、そんなのは可愛いものだと、理性が失笑する。今下方より感じるものこそが本当の恐怖理不尽である。


 下方、異形内部に出現した力の奔流、その凝縮狂気

 こいつは確実に目前にいる剣の衛士を一撃のもとほうむるつもりだ。


(やめ———)


 遅かった。

 剣の衛士も増援の到着に喜んでいるのか、それに気づいていない。


 そして、異形より、その大質量は放たれた。

 通常の触手とは比べるのも馬鹿らしくなるほどの肥大した肉塊が、高速で剣の衛士に向かう。

 視界に変化が起きたが少年にとっては変わらない。結局は人殺しだ。剣の衛士にとっては幸運であったのだろうが‥‥。

 大質量の一撃は剣の衛士には当たることはなかった。なぜなら盾の衛士が剣の衛士をかばったからだ。

 絶対に生きていない。助かるわけがない。

 次の瞬間に少年の視界に入った光景がそれを確証づける。

 盾の衛士はその一撃により、その身体は彼方へと吹き飛んだ。


 盾の衛士の体は都市に飛ぶ、その姿が点になるほどにだ。そして最終的には都市の壁場付近に落下した。


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