第11話 説得


 イチョウの並木通りが繊細なタッチで描写されている。スケッチした人が、この場所を慈しんでいるのが伝わってくるようだった。


「古そうなスケッチの画像だけど、これが何か関係あるのか?」

「これは百年程前にこのイチョウをメインにスケッチしたものだ。これを見ると、道に沿ってイチョウが何本も植わっているのが分かるだろ」


 確かに一番太くどっしりしたイチョウが真ん中にスケッチされている。


「じゃあイチョウは仲間が居なくなって寂しいってことか」

「あぁ。特にイチョウは雌雄異株だから余計なのかもしれない。つまり雌株と雄株があって、実を付けるには両方が必要だから」


 そうか。いくら時を過ごしても次代の命を生み出すことも出来ず、ただそこに存在するだけ。しかも、仲間が居た記憶がもしあるのだとすれば、寂しさを募らせても仕方ないのかもしれない。


「どうして、今はこのイチョウだけなんだろうな」

「それは……イチョウの実は銀杏なんだが、これは落下して踏まれたりすると異臭を放つんだ。それが嫌がられて、どちらかだけを植えるという方法を取り始めたから、もしかしたら意図的に他のイチョウは伐採されたのかもしれない」

「そう……か」


 実に合理的な話だ。でも、イチョウにしてみたら酷い話だろうと思った。勝手に仲間を奪われたのだから。


「アオの感じた感情が確かならば、イチョウは寂しくて暴れていたとも考えられるな。寂しくてたまらないときに、ヤドリギに寄生されて、暴れる力を得てしまったと」

「じゃあ、ヤドリギを取り除くだけじゃ根本の解決にはならないってことか」

「推測でしかないけどな。もっと時間があれば確かめられるんだが、明日には駆除チームが来てしまうし」


 どうにかしてやりたいと思った。イチョウのためにも、そしてイチョウを残したいと一縷の望みを託してくれた深山のためにも。きっと深山のようにイチョウに思い出がある人は他にもいるのだろうと思う。だってこの地にずっといるイチョウなのだから。


「なぁアオ。これは一か八かの提案なんだが」


 ガクが口ごもりながら言ってきた。


「何だよ。もったいぶらずに言え」

「いや、その、なんだ。アオはイチョウの声がおそらく聞こえたわけじゃん?」

「まぁ、そうだな」

「ならさ、逆も出来るんじゃないか?」

「……?」

「だから、アオの言葉でイチョウを説得するんだ」


 学者のくせに、突拍子のない提案だなと思った。科学的根拠が何もない。


「アオ、ぽかんと開けた口を閉じろ。自分でも不可思議なことを言ってる自覚はある。でも、試してみる価値はあると思うんだ」


 どうやら驚いて口が開きっぱなしになっていたらしい。口を閉じて、乾燥しかけた口内を唾を飲みこむことで潤す。

 出来るのだろうか。聞こえたのだから、向こうにも聞かせることが出来るはずという論理だが。


 いや、ガクの言うとおり、やってみるしかないのだ。他に思いつく策もないのだから。そう思い直し、アオは顔を上げた。


「ガク、出来るかは分からない。でもやってみる」

「そうか!」



 ただ喋ったところでイチョウに届くとは思えない。だから、神通力を高めつつ語りかけることにした。


「俺たちは、あんたを救いたいと思ってる!」


 なんにも反応はない。それどころか、威嚇の枝の震えが酷くなった。


「なあ、お願いだ。暴れるのを少しでいい、抑えてくれよ」


 さっきよりも更に神通力を込めて叫ぶ。

 すると、すこし威嚇の震えが小さくなった。ガクの方を見ると、小さくうなづいていた。きっと、大丈夫だ。神通力さえ底をつかなければだが。


 アオはさらに神通力を練り上げるように高めて、声を出した。


「もっと近寄って話がしたい。あんたに寄り添いたいんだ」


 すると、枝全体での威嚇の震えは止まった。だが、まだためらうように枝の先っぽだけが震えている。

 アオは意を決して、一歩踏み出した。背後でガクが息をのむ音が聞こえたが、引き止められることはない。むしろアオを守るかのように背後から着いてきた。


 ゆっくりと、でも確実にイチョウに近寄る。そして、ついに手が届くところにまで来た。


「ありがとう。近寄らせてくれて」


 安堵と感謝の気持ちが広がる。いや、これは、自分だけの感情じゃない。イチョウも今、同じ気持ちなんだ。


 アオは神通力を再び練り上げる。ちゃんと届いて欲しいと願いを込めて、そっとイチョウの太い幹に手を置いた。


 その瞬間、大きなうねりの中に取り込まれたような感覚に襲われる。これは、イチョウの中なのか? 重みのある静謐な空気の流れ、まるで川に流されているように空気の流れに乗っていく。

 

 流れの先に、光が見えた。きっとイチョウの中心だ。あそこにたどり着けばきっと話が出来る。



「俺は御子柴青斗だ。さっきは攻撃して悪かった」


 ぽうっと光っているものに向かってアオは頭を下げた。人格のようなものがハッキリとあるかは分からないが、寂しいという漠然とした感情があるのだ。だから、きちんと心を込めて謝った。


――痛かった


 えっ、反応があった!


「本当に、申し訳ない。あんたが寂しくて暴れていたことに気がつけなくて、酷いことをしたと思ってる」


――痛かった、ずっと痛かった、寂しくて体が無くなっていくように、痛かった


 体がなくなって? それは仲間のイチョウのことだろうか。


「寂しかったよな。一人は、寂しいもんな。うん、わかるよ」


――ひとりは、寂しい


「そうだよ。だからさ、仲間をあんたの横に連れてくるから。約束するから。だから、しばらく待っててくれないか?」


――待ってたら、寂しくなくなる?


「あぁ、約束だ」


――待ってる


「ありがとう。あと、あんたの体にヤドリギが寄生してるんだが」


――なにかいるのはしってる、寂しそうだったから、いっしょにいた


「もしかして、友達だったのか?」


――ともだち? わからない、ちょっと噛みついてくるのがいやだ


「くくっ、そうか。それは嫌だな」


 寄生したヤドリギはイチョウから養分を吸い取っていたはず。そりゃ嫌だろうなと思う。


「引き剥がして遠くに放るか?」


――離れる……? そのままでいい


 優しいなイチョウは。この優しさでこの地の人々を包んで見守ってきたんだろう。


「そうか。じゃあ一緒に居るなら、ヤドリギも大人しくさせてほしい」


――わかった


「なぁ、最後にひとつ、教えてほしい」


――なに


「守護樹の種はどこにあるか知っているか?」


――知ってる、あそこ


 頭の中に石碑が浮かんだ。そうか、あそこにあるのか。


「ありがとう。助かる。じゃあ、今度来るときには必ず仲間を連れてくるから、それまで暴れずに待っていてくれ!」


 アオがそう言い切ると、すうっと意識が外に出される。そして、目を開けると、イチョウの木の前だった。


「アオ、大丈夫か? ずっとブツブツ言ってるから心配してたんだぞ」

「平気だ。それより、イチョウはもう大丈夫。説得した。イチョウの嫁を連れてまた来よう」

「アオ、違うぞ。このイチョウは雌株だ。連れてくるのは旦那の方だ」


 ガクが可哀想なものを見る目をして言ってきた。


「……細かいことはいいんだよ! いちいち面倒くせえな」


 せっかく上手いこといったと機嫌良くしていたのに、変なところで揚げ足とってくるから本当にいらつく!


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