第21話 旅立ち

 院での諸々の準備を済ませた俺はその晩クロエの屋敷まで来ていた。理由はもちろん『下界更生計画』のために作成した契約書の細かい説明のためである。何ができるようになってどういうことに注意しなければいけないのか、俺がいない間クロエがつまずくことがないように念入りに説明する。


 その時に、自分が半年以上は仕事の関係で隣国に行かなければならないことも話した。彼女は俺の仕事への理解もあるため殊更に不安に思ったりするようなことはなかったが、それでもその日の夜は俺と一緒にいることを強く望んだ。結婚は決めたが、まだ信頼関係が中途半端な状態で出張するのだ。少しばかり不安になるのは当然だし、そう思ってくれるのは非常に嬉しかった。だから、その日の夜はお互いに求め合ったし愛しあった。お互いの気が済むまで。




***

 次の日はハイドのところへ行った。ハイドには俺がしばらくの間来れなくなることと、代理としてクロエが来ることを伝えた。

 クロエと聞いたときにかなり驚いた顔をしていた。一度彼女にその体と交換になら第5エリアを譲ると言って断られたことがあったらしい。それがなんと裏組織に属する人間だったとは、と。……もちろん彼の勘違いである。クロエは裏組織には属していないし、ただの一般人(?)である。


 その後軽く戸籍作成のことについて説明して、最後に彼と模擬戦をすることになった。結果は初めの1勝を除いて全敗。最初の1試合だけは相手の不意を突いて倒すことができたが、それ以外は呼吸を盗まれたために全敗した。


 彼の戦い方はかなり特殊である。相手の動きをしばらく観察して、相手の戦いにおけるリズムを読み取る。リズムの読み取りを終えたら彼が攻撃するターン。相手のリズムを崩しながら攻撃を仕掛け、正面にいるのに相手の虚を突きながら戦うという独特な戦法。彼はこれを“裏拍”と呼び、重点的に昔の俺に教えてくれた。


 俺の戦闘は今でもこれを多用している。なぜなら“裏白”は俺のような身長の低い人間にはより便利なものだったからである。裏白を取って相手の虚をつく。例えば相手が目を瞑った瞬間に体勢を低くして攻撃したらどうなるか。相手は一瞬俺が消えたように見え俺を見失う。さらにそこに『反射』を利用した超速移動をしたらどうなるか。正面にいたのに目を開けた瞬間には背後にいるなんていう瞬間移動染みた芸当ができるようになるのだ。


 だが今回は精霊なしの勝負だった。最初こそ短剣2本持ち特有の手数の多さで押し切れたが、憑依状態でない俺では彼の裏白を超えることができなかった。悔しくはあったが、まだまだ伸びしろがあるのだと肯定的に捉え、教えてくれた彼には感謝した。


 ちなみに、彼が一昨日俺のことを眼がいいと評したのは、見様見真似でやった裏白が一発で成功したからである。これはおそらく今までの生活のたまものだろう。昔から追われる狙われることはよくあった。そのため相手の殺気や動きを感じ取ってから行動に移すというのは造作もないことだったのだ。


 そんなことはともかく、ハイドとはまた模擬戦をすることを約束して別れた。次会うときに酒や女に溺れて戦闘能力が低下していないことを祈りながら。




***

 次に訪れたのは院の地下室の一室。構成員からは更衣室と呼ばれるその部屋には、俺用の服や道具が所狭しと並んでいた。隣国へ行くためのパスポートのようなもの、旅人っぽい服装3セット、寝間着2セット、探索者っぽい服装2セット、1セット、バックラー1つ、レイピアのように細く短めの俺専用ブロンドソード1本、投げナイフ10本、万能ナイフ1本、回復水を入れた水筒1つ、普通の水を入れる水筒1つ、保存食のような食料、火起こし用魔道具1つ、寝袋1つ、大きなリュックサック1つなどなど。


 それらを一つずつ入念に確認しながらリュックに詰めていく。簡単に言えば旅行に行く前の忘れ物チェックみたいなことをしているのである。まあ基本的に漏れや不良品はない。組織の人間にそんなことをする奴はいないからである。それでもまあ一応は確認する。それが最終的に自分の命を救うことがあるということを知っているからだ。




 準備に時間がかかり、終わったのはその日の夜だった。出発は明日の朝になっていたので、今日は大人しく早く寝ることにする。俺は更衣室から出て自分の部屋に行く。この地下室はそこまで大きくないが、Aランク以上の構成員は個室が与えられるのである。といっても俺は寝る時くらいしか部屋を使わないため、ベッド以外のスペースを兄様と呼んでくれる仮の妹たちに貸し与えている。


「おかえり!兄様!」

「おかえりなさい。明日出発ですが、用意はできましたか?」


「ただいま二人とも。明日の準備はもうできたよ。後は寝るだけだ。今日は早く寝たいからあまり騒がないでくれよ。」


「もちろん!僕たちも一緒に寝るよ!何なら一緒のお布団で寝てあげようか!」

「名案ですね。今日からしばらく会えないのですから、これくらい許してもらえますよね?」


 椅子に座りながら上目づかいで俺を見てくる二人。



 こいつらは確かに可愛い。だからそういった要員で外の仕事をすることもあるし、構成員に耐性を付けさせるために中でも働くことがある。俺が彼女らと会ったのはそのうちの中の仕事の際だ。俺に女への耐性を付けるために彼女らが派遣されたのだ。


 だが、俺は初めてにも関わらず耐えきってしまい、彼女らは惨敗。しかも俺に気を使われるという始末。……だってかわいそうだったんだもん。いくら体の成長が早かったとはいえ当時彼女らは12歳。前世で言うと中学1年生だ。そんな子が心を押し殺してこんな仕事をしているのが見てられなかったのだ。


 そうして修行(?)中に彼女らに優しくしていると、何故か彼女らが泣いて俺に抱き着いてきた。どうやら彼女らは心の拠り所を求めていたようで、俺に父性でも見たのか、甘えたくなってしまったらしい。

 その後も彼女らは俺から離れたがらず、元の所属から無理言って王都の所属になり、俺の傍にいるようになった。



 そんな経緯があるから、どうしても彼女らには甘くなってしまう。


「はあ。まあ、いいぞ。だが今日だけだからな。」


「はーい!」

「よし!よし!今日は兄様と一緒に寝るんです!」


 ふんすと鼻息が聞こえてくるくらい張り切った様子の二人を見ると、心が和む。あの時から彼女らが俺の安らぎとなっていたのは間違いない。……ないのだけど。


「今日は兄様は私の胸元にうずまって寝るんです。いいですか?これは絶対です。それから私が兄様が寝るまでよしよししてあげます。いいですか?これも絶対です。」

「私も一緒によしよししてあげます!」


 指で一つ目二つ目と可愛らしく表現しながら、どうやら断ることができない命令をしてくる。……こうやってたまにお姉さん面してくるのがなあ。いくらあの時とは違って彼女らが身体的に大きく成長し、俺がほとんど変わっていないからといって、弟のように扱われるのは癪に障る。


 まあでも、彼女らがそれで喜ぶなら、別にいいか。




***

「武器、服の替え、通行証、えっとえっとそれから、あ、水筒には水を入れましたか?あ、髪が乱れてますよ。」


 俺のリュックを横の隙間から覗いて確認したり、俺の乱れていたのであろう髪を手ぐしで梳いてくれたりとわたわたしているのは、もちろん妹のうちの一人、外ではCと呼んでいる少女である。


 ちなみに今は朝の6時で場所は王都の最も東側。ここには俺の見送りのために4人、クロエ、B、C、アモが来てくれている。普段はBもCも見送りには来ないのだが、久しぶりの他国での長期ミッションだからだろうか、俺のためにわざわざ早起きをして来てくれた。


「旦那様。心配の必要はなさそうですが、どうぞご無理はなさらないでください。それから、これを。」


 クロエが近づいてきて小さな布袋を渡してくる。


「これは?」


「お守りです。私お手製の。何かあったとき旦那様の運が劇的に上がるように願いを込めました。特段何か効果があるわけではないですが、これを見て私のことを思い出してくれて嬉しいです」


 少し恥ずかしそうにしながらお守りを渡してくる。そんなクロエとの関係が嬉しくて、俺も笑みを浮かべながら言葉を返す。


「これがあれば誰にも負ける気がしないよ。ありがとう、クロエ。できるだけ早く帰ってくるからね。」


「ええ。首を長くしてお待ちしております。……どうぞお気をつけて。」


 クロエの凛とした綺麗な声を聞きながら、組織によって訓練された馬に乗る。蹄には装蹄という鉄の靴が装着されており、鞍で馬の背中が傷つくことのないよう鞍敷まで敷かれている。


「じゃ、頑張ってこいよ!」

「兄様!頑張ってー!」


 最後にアモとBから声が掛けられる。アモの格好は今日は平均的な青年のような格好である。これはクロエに気づかれないようにするためである。いくらクロエを信じているとはいえ、アモの正体を知られるわけにはいかないのだ。同じ理由でBの組織内での名前も言うことはできない。


「ああ!いつも通り頑張ってくるよ!」


 馬上から元気よく声を出す。しばらく会うことができないのだから、せめて俺の元気のいい声を覚えてもらったほうが良いだろう。彼女らが不安になったらいけないからな。


「いってらっしゃいませ!」

「どうかお気を付けて!」


 Cとクロエからも声を掛けられる。……ふふ。今までで最も清々しい出発だ。単独での国外任務は初めてだから緊張していたが、そんな緊張はとうに吹き飛んだ。


「行ってきます!みんなありがとう!」


 最後に大声で皆に感謝を伝え、馬に前進するよう合図を出す。




 さあ、新しいミッションの始まりだ!


 目的地は隣国、<モンタローア>。期間は早くて半年。目的は【魔物姫】の調査と王国と帝国が話せる場をセッティングすること。


 できるだけ早く終わらせて、クロエといちゃつくとするか!!






1章『初めての共同作業』 完

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1章をお読みくださり誠にありがとうございました。


1章は『物語の伏線編』ともいえるほどに、随所に伏線を張り巡らせてみました。

そのせいで少し描写が甘くなってしまっている部分があるのかなと感じている次第で、己の未熟さを痛感するばかりです。(投稿してからも少しずつ改変しているので、見返してみると表現等が少し変わっていることに気付かれるもしれません。)


2章では1章で描いた伏線を少し回収しながら、新たな国で新しい登場人物とともに主人公が大立ち回りする予定です。

2章完成まであと少しですので(現在完成度は70%くらいです)、楽しみにお待ちいただけると幸いです。


それでは、また数週間後にお会いしましょう。

筆者のKoPでした。





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