第10話 他人の痛みが分かる人
特訓、そうはいったもののやっていることは今までとさほど変わりない。
しいて言うならば、同じ空間に星川さんがずっといる、それだけだ。
いや、かなり大きな変化な気もするが。
「うん、10話までの改稿はとりあえず完了だね。後は最後まで書き上げた時に齟齬がないか、また確認しないとね」
「ふー、思ったより結構ハードだね」
「当たり前よ! 小説家になりたいならこれくらいのことやってのけて当然なんだから」
なんだか俺がここに泊まると言ってから、星川さんのテンションが高い気がする。気のせいだろうか。
「じゃあ、夜も遅くなってきたことだし、そろそろお風呂入って寝ようかな」
「ん、分かった。シャワーしかないけど、ごゆっくりどうぞ。あ、洗濯機はないから自分で洗いに行ってきてね」
「分かった。星川さんはシャワー、俺の後でいいの?」
「それでいいかな。ヒロが洗濯しに外に行ってる間に済ませておくよ」
それだけ会話をすると、俺はバスルームまで歩いていく。扉を開くとそこは薄暗く、部屋にあるランタンの明かりだけでは照らしきれていない。だが、かすかに光は入り込んでおり、窓の外からはまん丸とした月の光も降り注いでいる。そのおかげで何とか目を凝らせば見える程度にはなっていた。
俺は服を脱ぎ、蛇口に手をかける、だがいくら回してもお湯どころか水すら出てこない。
不思議に思った俺は、再び服を着てバスルームの扉を開ける。
「ねぇ、星川さん。水、出ないんだけど」
ベットに腰掛けて原稿用紙とにらめっこをしていた星川さんの視線がこちらに向く。すると、ハッとしたような表情で、
「あ、そうだった。普段シャワー使うことないからここ水来てないのよね」
衝撃発言をした。
「えーっと、じゃぁ、どうすればいいんだろう」
「そうねぇ……」
指を顎に当て、考える仕草をする。
「洗濯のこともあるし、銭湯でも行くのがいいんじゃないかな。確か、ここから下りていったら銭湯とコインランドリーが併設されてる施設があったと思うよ」
「あー、あそこのことか。あれ、去年潰れちゃったんだよ」
「え、そうなの!? 昔家族でよく行ってたのよね」
そこで初めて星川さんが落ち込んでいる姿を見た。普段は喜んだりはあるのだがネガティブな感情を見せることはほとんどない。よほどショックだったのだろう。
「星川さんの家も、この近くにあるの?」
「んー、そうね。近くといえば近くかな」
「そうなんだ」
そこで会話は止まった。先ほどからだが、上手く会話が流れない。理由はわかっている。女の子と、星川さんと今晩は泊まることになるのだ。だからどうにもから回ってしまい、いつもの調子が出ないのだ。
「家に帰るのはあれだし……、最悪そこら辺の川で洗おうかな」
俺がそう言った瞬間、「プッ」っと噴き出すような笑いが聞こえた。
「川で洗うって……動物じゃないんだから。たまにヒロって抜けたこと言うよね」
「う……うるさいなぁ」
「お、反抗期かな? ふふっ、ヒロさっきからずっと緊張してたでしょ。てか、私にあったときから緊張してない?」
「うっ……」
またもクリティカルヒット。
「だって、学校でも女子と会話することなんてほとんどないし……。緊張して当たり前だよ!」
「そうなんだ……。まぁ、私も男子と会話するかって言われたらノーだし、むしろ同じ女子ともほとんど会話しないかな」
「えっ、そうなんだ。意外」
「私のことなんだと思ってたの、ヒロは? むしろ私はそっち側なのよ。休み時間も孤独に小説を書き続ける、周りから見れば変わった高校生なのかな」
「なんか意外だなぁ。星川さんってそんな感じで明るいから学校でも学級委員長とかやってそうなイメージがあった」
「あー、1番やりたくない仕事ね。なんなら嫌なことがあれば学校サボったこともあったし、ヒロより不良かも」
二ヒヒと、小さく笑う。
「俺は別に不良じゃないよ」
「それは知ってる。だってヒロ弱そうだもん」
「なっ!?」
「でもね、それっていいことなんじゃないかなって最近思うようになったんだ。弱いんじゃなくて、人の嫌なことを知っているからそれをしない、が正しいかな」
「というと?」
「んー、優しい人ってね、痛みを分かってるから優しいんだ。痛みを分からない人は何だっていう。当然自分の都合のいいようにあらすじを書き換えてしまう。そんな人、ヒロだったらどうする?」
「俺なら? やっぱり理不尽なのは納得いかないから、自分の意思を伝えるかな」
「伝えても意味がなかったら?」
「その時は……家出かな。現にその選択をしているわけだし」
「確かに」
「もしかして、星川さんも親と喧嘩してるの?」
その問いに対して、すぐに答えは返ってこなかった。一拍置いて、
「喧嘩、なんて言葉で済ませちゃってもいいのかな。色々、あるんだよね」
この前もそうだった。家庭事情を聞くといつも上の空、ここではないどこかに意思がさまよっているような感じになる。
「星川さんが俺に対して接してくれたように、俺も星川さんの力になれることがあるなら何でもするから、その時は」
そこまで言って、それを制止するかのように星川さんが口をはさむ。
「ありがとう。でも、これは私の問題だから、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう、ヒロ」
その儚げな横顔に、俺はこれ以上話を広げることはできなかった。
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