第90話 口付け

 「【昏睡コーマ】」


 翳した手からエステルは、魔法を行使した。

 すると段々と詩織の意識は遠のいていくのか、喚き声をあげることも無くなり目を閉じたのだった。


 「今のは?」


 見慣れない魔法に思わずエステルに尋ねると


 「意識なく命を奪うための魔法。痛みを感じることなく逝くことが出来る」


 つまりは麻酔というわけか。


 「ありがとうな」


 きっとそれがエステルなりの詩織と、そして俺への配慮なのだろう。

 詩織の死に際の声を聞かずに済むのなら、幾分気は楽かもしれない。


 「殺すための魔法はこれ」


 剣でその胸を貫くでもなければ頸動脈を断つわけでもなくて即死魔法を使うということらしかった。

 浮かび上がった魔法に詠唱は無かった。


 「詠唱は無いのか……?」

 「対象は一人で限定的、その上効果は単純で世の理を曲げる必要も無い」


 なるほど無駄のない殺すことだけに特化した魔法というわけか。


 「その代わりに一度使えば、しばらく使うことは出来ない。そして魔法耐性のあるものに対しては効果ない。それが私の設けたこの魔法の代償」


 その代償は恐らく虐殺を防ぐためなのだろう。

 エステルのその言葉を最後に、その場にいた全員は押し黙った。


 「本当はこんなことしたく無かったんだけどな……悪い。【即死カトブレパス】」


 指先に現れる小さな、それでいてただただ黒い魔法陣。

 魔法陣から緩やかに伸びた光が詩織の胸へと伸びる。

 浅く上下していた胸元は静かにその動きをやめた。


 「急いで!!」


 エステルは珍しく強い口調で言い放った。


 「【蘇生レナトゥス】」


 対照的に白い光が周囲に溢れた。

 

 「人はそれを奇跡と呼ぶ、それが蘇生の魔法。春人の魔法は温かい」


 周囲に満ちた光を見つめながらエステルは訥々と言った。

 

 「本当に詩織は目覚めるんだよな……?」


 まだ詩織の様子に変化は見られない。


 「おそらくは」


 エステルの回答はどこか歯切れの悪いものだった。

 でもそれを最善だと判断して詩織を殺してしまったのは俺である以上、エステルを責めるのはお門違いだし、今はただ信じて待つしかない。


 「頼む……ッ」


 コルネリアがそっと俺の手に自身の手を重ねてきた。


 「大丈夫なのです。きっと目覚めます!!」


 残った魔力がどんどん吸われていく。

 蘇生にそれだけの魔力が必要ということなのだろうか。

 

 「春人、魔力は足りてる…?」


 今一度、魔力量を確かめるともう底が見えかかっている、そんな量しか残っていない。


 「もう尽きる」

 「そう、なら彼女の魔力を貰うといい」


 エステルが指をさしたのはエリスだった。

 勇者パーティの中で重症を負った者たちを治癒して回っていたエリスの顔は疲労の色が濃い。


 「エリス、魔力はどれくらい残っている?」

 

 そう訊くとエリスは、地歩ステータスを確認して言った。


 「あと六割ってところね……魔力の譲渡ってどうやってするのかしら?」

 「私に任せて」


 エステルはそう言うと俺とエリスの間に割って入った。


 「【魔力譲渡セシオ】」


 魔力の糸が俺とエリスとを繋ぐ。


 「後は口付けをするだけ」


 エステルはとんでもないことを淡々と言って見せた。


 「なっ……!?」


 エリスは目を丸くした。

 でもそれ以外に方法がないと言うのなら俺はそれに賭けるしかない。


 「エリス、頼まれてくれないか?」

 

 エリスはしばらく俯いていたがやがて


 「いいわよ、やってあげるわ!!」


 どこか投げやりに、そして頬を赤らめながら言うと俺の唇を躊躇なく奪った――――。

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