第70話 神を滅ぼす秩序

 「ぐッ!?」

 「ぬおっ!?」


 イリュリア軍の陣中にある大天幕の外、くぐもった声と共に天幕に寄りかかるようにして二人の歩哨が倒れた。


 「誰っ!?」


 オルテリーゼは眠りが浅かったのか、物音に目を覚ますと誰何の声を上げた。

 だが帰って来る声はない。

 恐る恐る立ち上がったオルテリーゼは、燭台の明かりを頼りに立ち上がった。

 次の瞬間、天幕の入口が音もなく開くと、そこには一人の道化師がいた。


 「せっかく僕が力を与えたっていうのに、無駄にしちゃったね〜」

 

 鷹揚そうに言った少年はしかし、頻りに後ろを確認していた。


 「おかげで僕も追われる身さ」


 軽薄な笑みを浮かべて少年がそう言ったその刹那、大天幕が圧力に屈するかのように崩れた。


 「きゃあっ……!?」


 悲鳴を上げてオルテリーゼが仰け反ると、さっきまで自身の首があった辺りを矢が飛翔していった。


 「おっと危ない、人族までその手にかけようって言うのかい?」


 辛うじて飛び下がったヘルメスの視線の先には、白いワンピースを纏った少女がいた。

 その瞳は油断なくヘルメスを見つめ、神滅弓ミストルティンを構えていた。


 「人族を人質にしようとするその所業、神族らしくもない」


 少女の声は淡々としており、感情は微塵すらも介在しない声だった。


 「誰なのですか!?」


 オルテリーゼの誰何に少女は一瞥くれただけで名乗ることはない。

 代わりに魔杖を抜いたヘルメスが答えた。


 「そいつは神を滅ぼす秩序、フローズヴィトニル。僕の天敵だよ」


 ヘルメスは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 額を流れ落ちるのは冷や汗、神をもってしてもそれほどまでに恐れる存在、それがフローズヴィトニルだった。


 「一応、僕の罪状を聞いてもいいかな?」


 ヘルメスの声は僅かに震えており、その脅威度をありありと示していた。


 「不必要な介入、他種族への意義なき力の貸与、秩序の私物化」


 フローズヴィトニルと呼ばれた少女は、まるで機械音声であるかのようにヘルメスの罪を列挙した。


 「意義なき貸与だって?おかしいなぁ……君の創造主サマも人族の少年に力を与えていたよね?」

 

 ヘルメスの問いにフローズヴィトニルは頷く。


 「創造主様は秩序そのものを託しました。故に貸与ではなく譲渡なのです」


 ハルトの知らない力の譲渡の本当の意味にフローズヴィトニルは触れた。


 「馬鹿なッ……!?我々の存在の証明たる秩序を人族風情に渡したとでも言うのかい!?」


 ヘルメスの顔に余裕はない。

 自身の追及が、しかして間違いであったことに自身の命運が尽きたことを悟ったのだ。


 「貴方のもう一つの罪状、創造神の殺害は万死に値します」


 世界の創造主でありながら秩序の創造主でもあるエステルを、言い方を変えれば自身の母とも呼べる存在を死に追いやったこと、それがヘルメス最大の罪だった。


 「僕は殺しちゃいない!人間に力を託して消えたのは彼女の意思だ!」

 

 ヘルメスの弁明をフローズヴィトニルは鼻で笑った。


 「死に追いやったことは事実。これより刑を執行します」


 フローズヴィトニルは、神滅弓ミストルティンに矢を番えるや否や躊躇いもなく引き絞った弦から指を離した。

 だがそう易々とヘルメスが滅びを受け入れるはずもなく、無詠唱で幾重にも幻影を纏った。

 そして放たれた矢が命中すると同時に幻影は消え去り、そこにはヘルメスの姿は無かった。

 

 「逃げられましたか……」


 フローズヴィトニルが拾い上げた矢には、貫かれた腕があった。

 腕を犠牲にしてヘルメスは逃げ去ったのだった――――。

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