第29話 幻惑の神シレーナとの契約

 よく見知った人の声を聞いた気がした。

 その人の声はずっと隣にいてくれた、二ヶ月前のあの日に消えてしまった幼馴染の声に似ていた。


 「勇者も勇者だな!守るべき民の一人が辛い目に会っているのにも関わらず何の行動も起こさない。弱い者虐めを傍観してるだけなら、勇者など辞めちまえ」


 その言葉が胸を深々とえぐる。

 勇者として異世界この世界に転移させられた私達、しかし今の今まで何一つ勇者らしいことはしていない。

 そのくせ自分が勇者であることに胡座あぐらをかいていて、行動を起こすことを即ち貪欲に勇者であろうとすることを忘れてしまっている。


 「春人くん……なの?」


 私は馬車から身を乗り出して喧騒の中心にいる人を見つめる。

 外套を被っていてその顔はよく見えやしない。

 そして二人の綺麗な女性を連れていた。

 きっとあれは春人くんじゃない、そう思った。

 いえ、そう思いたかった……多分。

 兵士達の魔法攻撃を全て無効化し、なおも余裕が窺えるほどに隔絶した実力。

 彼が春人くんだとするのなら、どこか遠い存在になってしまった気がして信じたい可能性を否定する私がいた。

 

 「春人くん……会いたいよっ!!」


 そんな考えの全てを頭の片隅に追いやると、私の口からそんな言葉が無意識に漏れた。

 次の瞬間―――――音が消え時間は止まり景色は色褪せた。


 「えっ、なに……!?」


 さっきまでの喧騒は嘘のように消え失せ、聞こえたのは私の声だけ。

 当たりを見回すと色褪せた景色に溶け込むような色合いの服を身に纏った女性が一人こちらへと歩み寄って来ていた。


 「あなたは誰!?」


 回復魔法に特化している自分では大して扱えない護身用の剣を手にかけて私は誰何する。


 「強いて言うなら神かしら。名前はシレーナと言うの。ある時は人を惑わしある時は人の望みを叶える。特技は歌よ」


 蠱惑的な笑みを浮かべて神と名乗った女性は言った。


 「そ、その神が私に何の用があるの?」


 おそらく時が止まっているのも彼女の仕業なのだろう。


 「何用って訊かれると困るわ。私を呼んだのは貴方だもの」

 「私が呼んだ……?」


 見知らぬ神を呼んだつもりは無いし呼べる力など持ち合わせてはいない。


 「そうよ。貴方の心の中にある強い渇望が私を呼んだの。もっともそれだけではないけれど」


 含みを持たせた言い方でシレーナは言った。

 そこについては気になったけど、質問する勇気が私にはなかった。

 時を止める魔法など聞いたことはないし、辺りに漂うピリついた空気、目の前の女性が私など軽く一捻りできる存在なのだろうことは容易に検討がついた。


 「言わなくてもわかるわ。私は貴方の願いを叶えてあげる」

 

 私の渇望するもの、とは春人くんに会いたいという気持ち。


 「なぜわかるの……?」

 「だって神だもの」


 私からすれば全く説明になっていないその言葉。

 でもきっと神と名乗ったシレーナからすれば、そんなことは些事でしかない。


 「これを食べて」


 赤黒い小さな柘榴ざくろをシレーナが私に差し出す。


 「何か代償はあるの?」


 悪魔との契約の対価として魂を売るように、もしかしたらこれも一種の契約のようなもので代償があるかもしれない。

 その代償がどんなものであれ、私はきっと契約してしまうだろうけど。


 「代償ねぇ……。その柘榴が貴方を彼へと導くの。でもそれは不確定要素が多いから、どんな代償があるかは今の時点では、わからないわ」


 物憂げな顔をしつつもシレーナは私に向かって言った。

 最悪の可能性も考慮しておいて、ということなのかもしれない。


 「そうですか……」


 言われるがままに私は柘榴を口に含んだ。

 皮を剥ぐことなく丸のままだ。

 赤い果汁が流れ出る。

 不思議なことに無味だった柘榴をものの数分で私は食べ終えた。

 

 「うぐっ……あぁがァッ!?」


 突如として心臓を痛みが襲った。


 「何を……ぐッ……ハァハァ」


 刺すような痛烈な痛みはほんの数秒。

 

 「副作用のようなものよ。でも貴方は力を手に入れたわ。切断した手ぐらいは治せるはずよ」


 シレーナはそう言うと私に背を向けた。


 「後は貴方の食べた柘榴が貴方を導くわ」


 そう言い残すと姿を消した。

 それと同時に段々と視界に色は戻り、音も聞こえるようになると共に時間も動き出した。

 現実かも夢かもわからないまま、私は喧騒の波に飲まれた―――――。




  †謝辞御礼†


 3万PV行きました🎊

 お付き合い下さり誠にありがとうございます!(´▽`)

 今後ともよろしくお願いしますm(*_ _)m

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